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2023〜2024年のLGBTQ+関連の判決分析と、D&I再考

2023年から2024年にかけて、LGBTQに関連したさまざまな裁判の判決が出ました。
その傾向と中身を、私見100%で、探っていくのがこの記事の目的です。
もうひとつの目的は、そもそも多様性とか人権とかダイバーシティ&インクルージョンってなんだろうということを問い直すことです。個人的関心では、大和言葉で置き換えられないのかな?と思っています。

法律について

まず、2023年の6月には、いわゆるLGBT理解増進法、という法律が制定されました。
この中身については、賛否両論あって、どちらかというと否定的な意見もありますが、私が一番注目しているのは、LGBTQ+についてもっともっと日本の中での理解を進めようとする法律ができた、ということです。
大事なことでなければ、そんな法律はできません。まして、国民の代表である国会議員が忙しい日程や業務量の中で、法案を成立させることはしません。ということで、この法律ができたということは、国としてLGBTQ+の理解を進めることを明言したということであって、方向性としてもLGBTQ+にとってポジティブであると思っています。
比較してみても、最近の障害者差別解消法や、男女共同参画社会基本法、男女雇用機会均等法など、まず、理解するための法律を作るところから始めています。
今後、ますますLGBTQ+の理解は進んでいくものと思われます。
ちなみに、最近、ノンバイナリーに関する情報に接して、「性別」を男性と女性だけで分けていいのか?、ということが根本から問われていることを実感しています。
今知られていないことが、今後どんどん知られていく、それがこの日本でも起こるんだ、と感じています。

判決分析

私の予想では、あと数年で、日本でも同性カップル同士が婚姻できるようになります。
そう考える理由は、日本の最高裁判所、日本で1番えらい裁判所が最近出している判決文とか、最高裁判所のひとつ下の裁判所で、日本で2番目にえらい高等裁判所が最近出している判決文を読んでいると、おや、同性婚を認めるための布石なのではないか?、と思われる論理が随所に散りばめられているからです。

それは、その相手のことを大切に思う人がいるときに、その性別で保護されるとか保護されないが変わるっておかしくない?、という論理だと、私は分析しています。
つまり、例えば子どもとそのお母さん、お父さんがいて、その子どもが大切だという関係にあるのは母だろうが父だろうが、同性だろうが異性だろうが変わらなくない?ということがわかりやすい気がしています。そこから、愛し合う2人が愛し合うという関係にあること自体が大切であって、その2人の性別が同性か異性かで、その愛し合うという関係に何か違いってあるのかな?、国が、異性同士の関係の方が大切で、同性同士の関係はそれよりも大切じゃないなんていう序列をつけていいのかな?、という悩みを、最高裁判所の裁判官を始めとする裁判官が持ち始めているんじゃないかと、思っています。

何でそんなふうに言うか。長いですが以下で裁判の判決を紹介します。

2019年に、宇都宮地方裁判所真岡支部で、驚くべき判決が出ました。
レズビアンのカップルが外国で同性婚もしていて日本に住んでいたところ、そのうちの1人が、別の人と不倫してしまった。カップルのもう1人が、その別の人に対して、損害賠償を請求したというケースで、損害賠償責任を認めたのです。
なぜ驚くかというと、これまでの不倫での損害賠償責任は、男女の婚姻するカップルや男女の内縁のカップルのうち一方が、別の人と不倫してしまったときに、その不倫した別の人が、カップルのもう1人に対して損害賠償責任を負う、というもので、全て男女カップルのケースだったからです。
しかし、この2019年宇都宮地方裁判所真岡支部の判決は、男女カップルだろうと同性カップルだろうと、パートナーが不倫したときに受ける衝撃は変わらないということを前提にして、同性カップルの不倫にも損害賠償責任を認めたのです。
そもそもこれまでも、男女の内縁関係、事実婚関係のときにも、不倫での損害賠償責任が認められてきていて、それは、内縁が婚姻に準ずる関係だから、というものでした。宇都宮地方裁判所真岡支部判決の理由は、同性カップルの関係は、その内縁に準ずる関係であるから、不倫での損害賠償責任が認められる、つまり婚姻に準ずる内縁に準ずる同性カップル、ということで、同性カップルの関係性が、男女の婚姻の2段下、男女の内縁の1段下かのようにいいました。
これに違うでしょと言ったのが、東京高等裁判所です。その2019年宇都宮地方裁判所真岡支部判決は、控訴されたので、同じケースに対して、2020年に東京高等裁判所が判決を出しました。
そこでは、結論としては損害賠償責任を認めつつ、理由として、同性カップルの関係は、男女の婚姻に準ずる関係であるから、としていて、男女の内縁関係と同じ保護のレベルだと言ったのです。
これ、めちゃくちゃ大きい出来事です。
だって、内縁関係って元々は、男女が愛し合っているのに両家の対立とか氏を残すとかでどうしても婚姻することができないけれど、婚姻届を出していない(出せない)だけで事実上は婚姻と同じ関係性がある状態を指しています。同性同士だって、同性婚が日本では認められていないから婚姻届を出せない、出しても受理してもらえないだけで、事実上は婚姻と同じ関係性がある状態であると、東京高等裁判所という、日本で2番目にえらい裁判所が認めたとも言えるからです。

ここで、私はこう思うのです。
え、これ、同性婚が認められるんじゃない?

2021年は、3月に札幌地方裁判所が、同性婚を認めない日本の民法とかは憲法違反だ!、という画期的な判決を出しており、その後名古屋地方裁判所も憲法違反、東京地方裁判所と福岡地方裁判所もほぼ憲法違反、といいました。他方で大阪地方裁判所は、憲法違反はない、と言っていて、判断が分かれています。
そんなところ、2024年3月には、札幌高等裁判所が、同性婚認めていないことが憲法違反だ!、という判決を、高等裁判所で初めてだしました。今後も他の高等裁判所や、最高裁判所で判断されますが、それはもう少し先になりそうです。

私は、最高裁判所も、同性婚を認めていないことは憲法違反だ!、と判断すると思っています。
楽観的だから?いや、一応、最高裁判所の最近の判決文のニュアンスからそう感じています。
簡単にいうと、
2023年10月の最高裁判所判決で、これまでは戸籍上の性別を変えるためには手術をして生殖器を取り除かなければならないという要件があったのが、その要件がなくなりました。もう一つの要件で、外性器を変更後の性別の形状にしなければならないという要件があり、これまた手術が必要ですが、その要件も広島高等裁判所が審理中ですが、多分その要件もなくなります(細かい議論は省きますが、医学的議論や世界の状況などを踏まえた骨太の判決です。もっと知りたい方はぜひ判決文を読んで見てください。)。

そうなると、事実上、男性の体を持つ人同士が婚姻することは可能になります。つまり、男性の体を持っているが、性別変更して戸籍上女性になった人と、男性の体を持っていて戸籍上も男性の人は、戸籍上は男女であるため、婚姻できるのです。
これは性自認でも男性と女性の婚姻であることに変わり無いため、同性婚ではありませんが、これまでよりも婚姻の範囲は広がっていて、それを最高裁判所も容認していることになります。

また、2024年3月に出た最高裁判所の判決は、この流れをさらに加速させます。
この最高裁判所の判決は、犯罪被害者の遺族に遺族給付金を払うという法律の文言について、新しい解釈を示しました。その法律は、犯罪の被害を受けたときに、その被害者や遺族が、加害者から十分な損害賠償を受けられないことが多いことも背景に、国が一定の要件を満たした遺族などに給付金を渡して、特に経済的な被害を少しでも和らげようとするものです。
その中で、犯罪で被害者が死亡した場合に、

犯罪被害者の配偶者(婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にあつた者を含む。)


に対して、遺族給付金を支払うという定めがあります。
今の日本では同性婚が法律上は認められていませんので、配偶者の中には同性カップルのパートナーは入りません。しかし、

婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にあつた者


の中に、同性カップルのパートナーも含まれる、と判断したのが、2024年3月の最高裁判所の判決です。
これまた非常に大きな判断です。婚姻の届出をしていないが、という点を重視すれば、婚姻届が出せる男女カップルだけがここでいう事実上婚姻関係と同様の事情にあったことになりますが、最高裁判所はそうではないと判断しました。
最高裁判所は、この法律が保護する犯罪被害者の遺族というのは、犯罪被害者が犯罪によって死亡したことで精神的にも経済的にもダメージを受ける人であるとした上で、その人は犯罪被害者と同性だろうが異性だろうが関係ない、といいました。
この最高裁判所の判決文はとても短く、公開されているので、すぐに読めます。判決文には書かれていませんが、例えば、犯罪被害者の方にお母さんとお父さんがいて、遺族給付金をもらうときには、お父さんとお母さんが半分ずつもらいます。ここでは、性別がどちらだからどちらに多くするなんて判断はありません。おばあちゃんおじいちゃんがいるときだってそうです。息子と娘がいるときだってそうです。姉と兄がいるときだってそうです。
それなのに、事実上婚姻関係と同様の事情にあった者、という文言の会社だけ、異性を優先することが、果たして論理的に一貫した態度だと言えるのでしょうか?
ということを、最高裁判所の裁判官や調査官は考えたかもしれません。
この同じ文言は、健康保険証の被扶養者の記載とか、世の中のいろんな法律で使われています。これまでの判決と比べても、極めて影響力が大きい判決で、それだけ最高裁判所が覚悟を決めたともいえます。

これまでの宇都宮地方裁判所真岡支部の判決、その控訴審である東京高等裁判所の判決、性別変更に関する最高裁判所の判決、同性婚違憲訴訟の各地方裁判所判決や札幌高等裁判所判決、そしてこの最高裁判所の判決を見てくると、裁判所における同性カップルに対する理解がどんどん進んでいて、同性カップルの保護に手厚い判断が進んでいます。
海外でも、そしてアジアでも、同性婚を認める国が増えてきていることから、日本で同性婚が認められる日は近いのではないかと、思います。

ダイバーシティ&インクルージョン再考


ここまでお読みいただいてわかるとおり、私は同性婚が認められたらいいなと思っていますし、性別変更も手術なしになればいいなと思っていますし、LGBTQ+が特別ではなくなる日を夢見ています。

私は、そのことが、他の意見の抑圧になることは望んでいません。納得できないという意見もあると思います。そういう声を上げたり思ったりすること自体がダメとされたら、それはもう多様性を受け入れておらず、強制だと思うからです。

私は、特定の意見が一方的に持ち上げられて、反対意見が一方的に貶まれることには、どうにも我慢できません。それぞれ事情をお持ちだと思うし、本当に話してみたら分かり合えるはずかもしれないし、決めつけてしまうことが怖いからです。報道でも、スキャンダルに対して一方的に叩かれている人がいる場合には、そうでは無い記事を探してしまいます。一方の話だけを聴いていると、そちらが正しく聞こえますが、他方の話を聴くと、そちらにも共感できることがあります。
多様性といいつつ、ついつい強制になっていることもあるので、私は、そんなことを念頭において、上記のように考えています。あくまで、全て私の意見です。

最後に、ダイバーシティ&インクルージョンって、何だか分かったような分からないような気がしてしまうので、それが何かをもう少し考えてみます。
英語とか漢字がばっちりとその概念を説明してくれるときもありますが、私にはどうしてもその単語だけでは意味をつかむことが難しいときがあり、ダイバーシティ&インクルージョンはその最たるものです。
どうしたら、と思ったときに浮かんだのが、とりかへばや物語です。1000年ほども前の話で、お父さんが、娘の心を持つ息子と、息子の心を持つ娘を見て、大切で好きだという気持ちは変わらないし、その子どもたちに対して好きなようにやってくれ、と考えてそのために行動する、そんな物語です。その後いろいろありますが、私はこのお父さんの気持ちが、ダイバーシティ&インクルージョンではないだろうかと思うのです。自分の大切な人に対して、属性とかがどうあろうとやっぱり大切だと、そういう、愛というような気持ち。
かといって、それを一言で表すのは難しいので、結局はダイバーシティ&インクルージョンなどの言葉を使っているのですが、何だかよく分からない気がしたときは、もう少し身近なものに置き換えてみた方がわかるときがありました、というご紹介でした。

以上です!良いゴールデンウィークを!

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