見出し画像

問3人脈とは?

 ああ、そうか。日付をまたいだので今投稿すれば3日間連続投稿ということになる。入試小論文のようにと思って書いてきたが、かなりラフな文体になってきていると感じている。まあいい、人様に見ていただくようなことを書けているとは全く思わないので。

 本題。若者にとっての人脈って何だろうか。地方都市に住んでいる中では、交友関係は広いと思うし距離的にも属性的にも多岐にわたっているのは事実である。人脈とは広辞苑によれば「集団・組織等の内部の、ある関係をもった人と人とのつながり。」だそうだ。そう思えば学校や地域という集団・組織の内部に属してある関係を持っている友人や、単なるクラスメイトを人脈と呼ぶことは間違いではないのかと思う。

 人脈と聞くと、ある種の利害関係を持ちそれを期待して持つ人との関係のようなものを私は漠然と思い浮かべるが、もっとフラットに言えば上記のとおりである。そうであるならば、人脈と一括りにその重要性を語ることはできないのではないかと考える。

 例えば友達という人脈はその言葉の定義のように親しく交わっている人物であるから大事である。加えて、大して親しくもないのに友達を名乗ることは本来はばかられるべきである。常々どこまでの人脈を友達と呼ぶべきか私は悩んできた。そこで回りくどく関係性を説明してきたが、例えば大学の講義の教室が同じで数度話すが、相手のことをそこまでよく知らずインスタだけは知っているような相手がいるとするならば、顔見知り以上友達未満即ちある程度仲の良い顔見知りと表現する。私が回りくどいのか気にしすぎているのか、どうしても言葉にすることは少ないとしても、私はこのような思考で過ごしている。そして今回人脈という言葉の定義に立ち返って人間関係を振り返ることで「人脈」についての解像度が上がったような気がする。

 では例えば大して親しくない同級生はどうだろうか?このような人物を友達と表現することは間違っていると思うので、同級生若しくはクラスメイトだった人と答えるのが正確ではないのかと思う。そしてその中でのかかわり方に関しては三者三様であり、仲の良さはグラデーションの様相を呈しているため、それらすべてを友達とくくることもできなければ、単なる顔見知りと表現することも間違っているだろう。

 もちろんどんな人にも親切に尽くすべきだろうし、友好的な姿勢が間違いであるとは思わない。それでも人脈は大事であると盲目的に述べることに関しては、かなり疑問が残る。そのため、人脈が大事だという人に対しては、その内訳に対する解像度の低さを指摘せざるを負えないため、疑問を持つ私の思考は間違っているわけではないと考える。もちろん人との距離を詰めることに秀でている者にとっては、単なる知り合いの多さは即ち友達(親しく)になれる人の数とも解釈できるため、ある意味宝の山でありその選別をする必要がなく、一様に重要であるのである。そのため、一様に人脈は大切だということに関してもまた間違えであるとは言い切れないため、結局人それぞれであると言うほかないのであろうかと思う。

3


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?