見出し画像

黄金

 「自分の機嫌は自分でとる」という言葉を聞くけれど、いまだに上手くできない。安易に憂鬱を引き連れたり、涙を受けとめてくれる掌を求めたりする。溢れ出す感情を隠せないときがある。そんな自分を責めて、ぬるい湯船の中で反省する。

 冬の寒さが厳しくなる頃、心身の調子を崩した。先に身体、それから心という順番。繁忙期でもないのになぜか仕事が慌ただしくて、家に帰ればすぐ布団に潜って朝までスキップした。働く日々の中で僕が下す決断。僕の部署には二十人の同僚がいるから、さまざまな色合いの視線がつねに付きまとう。すんなり話が進むことなんてあまりない。

 僕の決断に対する静かなボイコットが起こった。具体的に話せないのが心苦しいけれど、ある同僚が密告してくれなければ気づかなかったほど、かなり遠回しな「否定」だった。ボイコットの経緯や理由は、正直いまもよくわからない。僕は僕で、散々頭を悩ませた結果の上で決断したので、まさかという感じだった。だからこそ、このボイコットは想像以上にきつかった。同僚が自分に向ける敵意の鋭さを想像した。心がよろけ、ついに躓いた。

 はじめは、崩れた心の積み木を一人で組み直そうと思っていた。あくまでこれは僕ひとりの問題で、巻き込んでいいのもただ僕だけだと思っていた。でも、いざ木片に触れようとすると指先が震えて仕方なかった。暗闇の奥底で、恐怖は肥大化していた。

 恋人の車に乗っていた。夜、「さてそろそろ帰って明日からも頑張りましょうか」という頃合いに、僕は泣いてしまった。涙の粒が、僕の意思を無視するように次から次へとあふれていくのは、我ながら情けなかった。そんな僕の肩や背中のあたりをゆっくりさすってくれた掌の温もりは今も覚えている。正直、嬉しいと思った。甘いムードをぶち壊して泣いてしまった自分を受けとめてくれたことや、つらい気持ちを矮小化せずにそのまま認めてくれたこと。申し訳なかったけれど、本当に有り難かった。

 それから、開き直ったように職場の先輩に相談した。その人はシフトを組んだりまわりを束ねたりするような役割を担っている人で、僕の話を聞くなり「俺らって割に合わん仕事しよるよなあ」と微笑みながら言ってくれて、いろんなアドバイスを貰った(夜中には励ましのメッセージをくれた)。氷霜がやさしく溶けていくイメージが頭に浮かんだ。積み木を組み直す指先の震えは和らいだ。

 心の問題を自分ひとりで解決できれば、どれほど楽だろう。下腹部を貫くストレス、しぶとく長引く悲しみ、そういうものを人に頼らず流せるようになりたいものだ。でもいまの僕は、身の周りの人に頼ってみたいと思っている。心が歪んでどうしようもなくなる前に、助けを求めることが重要だと信じている。人がくれる優しさは、朝日や暖炉の炎のようなきらめきを宿している。そうであるならば僕の方も、大事な人の心をできる限り支えたいと願う。いまはとりあえずそう考えている。