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使徒の働き7章51~8章3節 「最悪なことから、最善を。神の不思議さ。」 2023.7.23 守谷キリスト教会

初期のエルサレムの教会には、
当時のユダヤ教指導者たちを戸惑わせ妬ませるほどの
力強さと影響力がありました。

そしてついに、

教会がエルサレムから世界中へと広がっていく時が来ました。

しかしそれは
信頼あるリーダーの1人だったステパノの殉教と、
それに続く迫害という、
彼らにとっては最悪で悲しみ満ちた出来事によってだったのです。


神は、最悪な出来事からも最善を引き出してくださる方です。


ステパノと議論した結果、
その知恵と聖霊に対抗することができなかったユダヤ人たちは、
「告訴」という政治的な力によって対抗します。

「ステパノは、神殿と律法を蔑ろにするイエスについて語っている」
という訴えにより、彼は裁判にかけられました。

イエスの弟子たちの信仰と、
ユダヤ人の伝統的な信仰との違いの一つは、
神の臨在がどこにあると信じるのかについてです。


イエスの弟子たちは一人一人のからだが
聖霊が住む新しい神殿であると信じます。


ステパノは、
彼らの祖先と神との歩みについて紐解きました。

それは、完全には神の計画を理解できなかったけれども、
従うことを選んだアブラハム、モーセ、ダビデの物語でした。

しかしその周りのほとんどの人々は自分たちの知恵によって歩もうとし、
神に逆らったとステパノは言います。

ヤコブの兄弟たちはヨセフをエジプトに売り渡し、
出エジプトの民は偶像を拝みました。

それでも神は、
私たち自身を聖霊が住む「歩く神殿」とするために、
イスラエルの民を導かれたのです。

ステパノへの迫害は、目に見えるエルサレムの神殿からの、
目に見えない新しい神殿への攻撃だったのです。

神の計画は、
人の罪によって頓挫することはありません。

私たちの目には回り道をすることになったように見えても、
その回り道によって祝福はさらに広げられます。

聖霊を宿した新しい神殿である私たちは、
この神の働きかけに応答するか否かを委ねられています。

聖霊に逆らうのではなく、

信仰に応える行いによって、

御言葉を聞くだけでなく実行することによって、

この祝福をさらに強固なものにしていきます。

ステパノへの凄惨な迫害には、後のパウロも賛成していました。

神の不思議さは、このような立場にいたパウロでさえも、
大きく用いられたことです。

納得がいかない出来事が私たちの人生にあったとしても、
神はそのように働かれるのです。


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