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敵を愛せって、本気で言ってるの? 「群衆ではなく、イエスに従う弟子として。」 ルカの福音書6章17〜36節 2023.3.12 守谷キリスト教会礼拝

私たちをありのままで愛してくださっているイエス様は、
しかし私たちにそのままでいてほしいとは思っておられません。

イエスに出会ったならば、
その場所から立ち上がって、イエスに従い、
そしてイエスに似た者へ成長してほしいと願っておられます。


イエスのもとにはおびただしい数の人々が集まってきていました。
彼らは教えを聞くこと、あるいは病の癒し、
汚れた霊からの解放を求めていました。

群衆はイエスに出会うことで、
自分がありのままで愛されていることを体験したのです。

イエスに付き従うようになっていた弟子たちもまた、
かつてはこの群衆の1人でした。

群衆が目の当たりにしていたのは、人生の不公平さです。

私たちが生きるこの世界は、
必ずしも頑張ったことがそのまま反映されるわけではありません。

どんどん前に進むことができる人もいれば、
もがき続けても前進できない人もいます。

そうであるなら、
どこかの時点で帳尻が合うようになっているはずだ。

人生は公平であるはずだから。

人類は本能的にそのように考え、
救いを求めて様々な宗教が生み出されてきました。

しかしイエスは弟子たちに天国への行き方や、
この世での耐え忍び方を語ったのではありませんでした。

神の国がこの地にやってきていると語ったのです。
神による支配によってこの世の悪が十字架打ち負かされること、
恵みの時がご自分を通して
すでに始まったことをイエスは宣言しました(ルカ4:18-19)。


自分を呪う者を祝福し、
敵を愛することは、永遠のいのちをこの地上にあって味わう生き方です。

神の国は弟子たちのそのような生き方を通して、
この地を癒し、その領域が広げていくのです。

イエスが示した具体的なそのような行動は、
今の自分からはかけ離れているように思えるかもしれません。

しかしそれでも、聞くだけでなく行う時に、
私たちのイエス様の愛を体験し、土台は強固にされていきます。

一度の決意で変わるわけではないかもしれません。

失敗を重ねます。

新しく決心するたびに、自分の愛のなさを突きつけられます。
しかし、失望することはありません。

なぜなら1番の不公平も、最大の「なぜ?」」も、
イエスが十字架で背負ってくださったからです。

私たちの内側には、
十字架の上で自らの敵を赦されたイエスと同じ御霊が
住んでくださっています。

そしてイエスはすでに悪に打ち勝たれました。

そのイエス様の似姿にまで到達することも、
やがて神の国が完成することも約束されているからです。


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