無意識を操作する秘訣 世界で一番やさしいスタニスラフスキー・システム⑭
状況を信じる
「では、いよいよ、今まで学んだことを身体に落し込んでいきたいと思います。先ずこの役に生まれ変わる3ステップを改めて見てみましょう」
「①と②は主に戯曲を手にしてからの作業になります。ただ、俳優の洞察力の要となりますので日頃から行動や目的にフォーカスして人間観察すると良いと思います」
「はい、他人だけでなく、自分も含めて、共感をゴールにその状況や目的を深く理解する習慣を身に着けられればいいなあと思いました」
「良いですね!習慣化の秘訣はまた別の機会にお話しできるかと思います。今日は③の虚構の状況を信じて行動するという事に焦点を当ててみましょう」
「行動の重要さはスゴク理解したつもりなのですが、「状況を信じて…」となると相当ハードルがあがった気がします」
「そうですね。ただ、これが俳優にとって最も重要な技術になりますし、誤解も多いところですのでじっくりと取り組んでみましょう」
「はい」
「さて、あなたは自分のお芝居を観ている観客にドキドキしたり、感動したりして欲しいですか?」
「もちろんです」
「そんな時、お客さんはこれがお芝居だと百も承知であるにも関わらず、どこかでは本当の事のように信じているわけです」
「はい」
「お客さんを信じさせるには、先ず俳優が信じている必要があります」
「はい…」
「では、あなたは演じている最中にお芝居を現実だと信じてしまったことありますか?」
「うーん、瞬間的にはあるかもしれませんが、全編通してとなると気の遠くなるような感じです」
「では、お芝居を現実だと信じ切ることが本当に可能だと思いますか?」
「理想ではあります…」
「ええ、憑依にも似た演技に多くの人は憧れますし、私もいくつか覚えがあります、しかし、必ずどこかでこれはお芝居だと知っていましたし、知っている必要がありますよね」
「ですね…本気でハムレットに暴力を振るわれるのも嫌ですし、殺陣ではなく本気の果し合いをすれば観ていられないと思います…」
「そうですね、まず、お芝居を本物だと思いこもうとするのは、無理がありますし、逆効果になるのでやめておきましょう」
「えっ!…では、この状況を信じて…というのはどうなるのでしょう?」
「私が「お客さんはどこかでは本当の事のように信じている」と言った事や、私は「必ずどこかでこれはお芝居だと知っています」と言ったのを覚えていますか?」
「はい」
「では、それぞれのどこかで…とはどこの事なのか?という問題なのです」
「どこか…?」
「いいですか、これは芝居ではなく現実なのだ!という風に、あなたの頭を騙すことはできませんし、すべきではありません。できたとしたら、それはお芝居でなくなってしまい、不健全でもあります。しかし、あなたの身体なら上手に騙すことができるのです」
「?」
「今はまだピンッと来ないかもしれませんが、身体を通して本能や無意識に働きかける事ができるという事です」
私はリンゴの樹の絵を再び見た。理性ではなく本能を巻き込んで結果を見守る…
「右手を上げられますか?」
「正確な心理学用語ではないかもしれませんが、意識していないのに私たちに自然に起きてしまうことを本能や無意識の働きと呼ぶことを許してください」
「はい」
「あなたは右手をあげる事ができますか?」
私は右手を挙げた。
「できますね。では、おろしてください。その右手は勝手に上がりましたか、それともあなたの理性の命令に従いましたか?」
「勝手にあがったわけではありません…」
「ですよね、勝手に無意識に本能的に手があがると生活が大変だと思います」
「では、あなたの心臓は今動いていますか?」
「はい…」
「あなたの理性の命令で?」
「いいえ・・」
「ですよね!これを右手の時と同じようにいち意識的にやらないといけないのだとしたら生活はスゴク大変ですよね」
「はい…」
「では、少し、その心臓をゆっくり動かしてもらっていいですか?で、できたら少し止めてみてください」
「無理です!」
「アハハ!ですよね」
「あなたの心臓や内臓は本能が管理していて必要な調整を勝手にしてくれるので便利です、しかし、あなたの意志に簡単に従いません」
「確かに」
「このように循環、消化、免疫機能など私たちの命を守る働きのほとんどは私たちが直接コントロールできないように、私たちの感情、感覚、思考も理性や意識で直接コントロールできない領域にあります」
「はい」
「笑おうと意識すれば顔が引きつるでしょうし、絶対に泣かないと決めた夜なのに涙が抑えきれない、イライラしてはいけないと言い聞かせるほどにブチ切れてしまう…こういうことを嫌というほど経験しているはずです」
「はい…感情はむしろ私の思いの真逆に働こうとさえしますし、マイナス思考をやめたいのに、気づけば嫌なことばかり考えていたりして…」
「ところが、本来、本能や無意識の支配下にある感情を、戯曲の指定通りに生じさせないといけないのが私たち俳優です」
「非常に矛盾した仕事ですね…」
「では、その矛盾を克服する秘訣を試してみましょう」
無意識をコントロールする秘訣
無意識をコントロールする秘訣と書くと先生はリストを付け加えた
「無意識を操作する秘訣はこの通りですが先ずはやってみましょう」
「はい」
「あなたはこんな話に似た経験はありますか?暗い夜道を歩いている…と、ふと後ろからの足音に気づく、…といったような?」
「…あります」
「よくよく思い返すと、その足音は、駅を出た時からずっとあった感じがする」
「はい…」
「角を曲がっても、ついてくる」
「…」
「歩くペースをあげると…」
「…」
「足音も同じペースでついてくる…」
「はい…」
「その時のあなたの顔色、鼓動、皮膚の様子を想像できますか?」
「はい…きっと顔は青ざめ、ドキドキして、手に汗をかいているかと思います」
「それはあなたの意志で起こしているのですか?」
「いいえ、勝手に起きている事ですし、意志でなんとか出来るものでもありません」
「ですよね、では、なんのためにそんな事が起きるのでしょう?」
「怖いからではないのですか?」
「怖いとなぜ、そんな事が起きる必要があるのでしょう?」
「必要…?何のためか…えっ…いや、わからないです…」
「あなたの身体は必要のないことはしないはずなんです」
「身を守るためですか…」
「そうです!もし、急に襲い掛かられたらあなたは即座に戦わなければなりません。そのときケガしないようにウォーミングアップしている暇はありますか?」
「ないです…」
「腕に自信がなければ、逃げなければなりません、しかし、急にダッシュして肉離れになりたくないので…とストレッチもしていられません」
「はい…」
「ですから、あなたの身体は戦うにしろ、逃げるにしろ何か事が起きたら即座に対応できるよう自動的に暖機運転を始めているのです」
「!…それで、心臓が高鳴っているのですか?」
「そうです、あなたの心臓はドッドッドッドッドッっと、最も大きな大腿筋に大量の血液を集結させて、ダッシュにも蹴りにも備えているのです」
「…」
「すると、血流は顔には足りなくなるので青く見えます。手に汗をかくのは武器を手にしなければならない時、何かによじ登らなければならない時にグリップが効くように準備をしてくれているのです」
「凄いですね!」
「これを闘争逃走反応と言います。これだけの事を無意識にやってのけるのがあなたの本能や無意識です」
「そのように、私の命を守ってくれているのですね」
「はい!…しかし、この話で最も重要なのは、そこではありません」
「?」
「最も重要なのは、あなたは、その足音の正体を、まだ確かめていない、という事です」
「!」
「あなたは相手に詰め寄り、「あなたはストーカーですか?」と聞いて、相手が「はいそうです」と言ってからドキドキしたのではありませんよね」
「確かに…」
「振り返ると、それは近所のおばさんかもしれませんし、偶然帰り道が一緒の赤の他人かもしれません]
「…ですね」
「すると、それだけの身体的変化を起こさせたのは現実のストーカーではなく、単にあなたの「ストーカーかもしれない」という想像なのです」
「確かに、無駄にドキドキしたりしたことは何度もあります…」
「私たちの無意識は実際に起きている事と、リアルに想像してしまった事の区別をつけません。そもそも、実際に起きてからでは遅すぎるので想像に反応するように出来ているのです」
「なるほど…」
「俳優がこの本能の仕組みを利用できれば理想ですよね?」
「はい」
「その際に使えるのが先ほどのリストです」
無意識をコントロールする言葉の使い方
「まず、私たちの理性は嘘を嫌います。ですから「これは現実である」と思いこませようとすると理性が反発します。「そんなわけないだろ!これは芝居だよ!」と」
「なるほど…」
「だから分別臭い理性を迂回するには命令や断定を避けた方が良いのです。ですから曖昧な言い回しにします。「かもしれない…」とか「もしかすると…」などです」
「確かに、ストーカーかもしれない…が始まりでした」
「そうです、そうすると、確かに「そうかもしれない」し、「そうじゃないかもしれない」ですよね。両方の可能性があるのは事実ですので、理性がジャッジしなくなるのです。すると想像の世界に入りやすくなります」
「「これは現実だ!」とか、「私は~だ!」と言い聞かせるのはむしろハードルを高くしていたのですね」
「「おらぁ、トキだ…」と北島マヤなら、一瞬で憑依できたのかもしれませんが、あれは天才女優なので真に受けないほうが良いかもですね…」
「ちょっと、影響受けてるかもです…」
「私もあの漫画は大好きですがアハハ!」
先生は解説を書き足した
無意識をコントロールする想像力の使い方
「想像力にも秘訣があります。臨場感あふれるものにするという事です。梅干しを想像できますか?」
「あー、私は想像があまり得意でなくて…」
「恐らく、活字や絵を思い浮かべているだけなのかもしれません。俳優に必要な想像には秘訣があります」
「そうなんですね…」
「梅干しにも色々ありますが、タポタポとした大きめの真っ赤な南高梅の梅干しを想像で見てみましょう」
「はい」
「それを真っ白な炊き立てのご飯にのせてください」
「はい」
「ご飯の湯気にのって梅干しの匂いがあなたの鼻に漂います」
「…」
「あなたは、熱々のちゃわんを持ち、お箸で梅干しを半分に割り、梅干しのトロッと濡れた果肉の断面を見ます、ご飯と一緒にお箸でよそって口に運び入れ、ハフハフいいながら噛みしめます」
「口の中が…酸っぱいです…」
「唾液は本物、梅干しは想像です」
「はい」
「あなたはわざとキューッと唾を絞り出しましたか?」
「いいえ」
「あなたは唾液がどのように生成されてどのように分泌されるかその仕組みを知っていますか?」
「知りません…」
「するとあなたは意図的に唾液を絞り出したのでもない、唾液がでる仕組みを知っているわけでもない、しかし、想像力によって、あなたの本能、つまりあなたの内なる自然を働かせることができたというわけです」
「はい」
無意識をコントロールする五感の働き
「そして、私があなたの頭ではなく身体に働きかけたのにお気づきですか?」
「私の身体?分かりません…どういうことですか?」
「あなたは単に想像の中で絵を描いていたよう感じているかもしれませんがそれは違います」
「そうなんですか?」
「匂いに反応してから想像が楽になったのに気づきましたか?」
「わかるんですか?」
「ええ、あなたはその時に微妙かもしれませんが実際に嗅覚を働かせたのです」
「そう言えば、俳優サイコーの時にも汗の匂いがきっかけだったように思うんです」
「人それぞれ、敏感な感覚が違いますので、先ずは五感全てを働かせてみてどれが入り口になるかを試してみると良いですよ」
「なるほど…」
「今の想像のポイントに気づきましたか?」
「五感全てを刺激するようにしていたことですね」
「五感はあなたの理性ですか?」
「違います、私の身体に備わっています」
「そうです。色彩、重さ、熱さ、匂い、歯ごたえ、擬音などなるべく五感を刺激できれば臨場感が出てきて、まるで経験しているかのようにあなたの身体は反応しはじめるのですね」
「身体に働きかけるというのはそういう事なんですね!」
「ですね」
「つまり、どこかで知っているというのは理性で、もうひとつのどこかで信じているというのは身体=無意識ということですか?」
「そうです、お客さんは頭では芝居だと知っています。しかし、身体で、恐怖や喜びや焦りを経験しているのです」
「そうですね…私もそうです、手に汗握ったり、心臓がドキドキしたりしています」
「私たちの無意識は身体に起きた反応の原因をそれが実際に起きた事なのか想像なのかを区別しません」
「はい」
「ですから、お客さんの頭はお芝居を見てきたのだと知っていますが、身体はまさに虚構の物語を実際に経験して劇場からでてくるのです」
「なるほど…」
「ですから、身体をコントロールする方法を知れば無意識の領域から生まれてくるはずの感情も感覚も思考もある程度はコントロール可能になってくるということです」
「まだ、全てにしっくりと来たわけではないのですが、これまで無意識を操作するとか言われると怪しいスピリチュアルな感じでしたし、本能に従えっていうのもなんだか自己啓発や根性論のような感じで敬遠していたので安心しました」
「では、リストの最後の行動について見てみましょう」
やはり、ここでも行動が重要らしい…
俳優の環境を少しでも良くする一助になればと頑張ります。よろしければサポートお願いいたします。より、分かりやすく、役立つお話を創る原動力にさせて頂きます!