テクニックに振り回されるな!あなたの目的は何? 世界で一番やさしいスタニスラフスキー・システム⑦
俳優になって何を経験したいのかを知らなければ手段は選べない
先生の話をメモにまとめた。
どんな演技が正しいか?どの訓練が正解か?の前に、なぜ、私は俳優になりたかったのか、何を経験したかったのかを知ること。
俳優と呼ばれさえすれば良いってわけじゃないでしょ?とのこと。そりゃそうだ。
そのために、「俳優になって良かった!サイコー!」と感じている瞬間をしっかりと味わってみる。
すると、そのサイコーの瞬間を経験するにはどんな演技が必要なのかを考える事ができる。
それが、私にとっての理想の演技。
理想の演技が分かれば、そこへ到達するにはどんな訓練が必要なのかも逆算することができるはず。
演技もその訓練方法もあくまで手段。
私の行きたいことろへ行くために、私がそれを乗りこなす。
手段に私が振り回されない。
違う景色が見えてきたら、そいつからは降りなきゃならない。
見たい景色を知らなければ、違う景色に気づけない。
だから、目的地も知らずに最高の手段なんて選べない。
飛行機は好きだし速いけど、夕食の買い出しにライフへ行くならママチャリの方が速く着く。
ロンドンで観劇したければ色々乗り継ぐ必要がある。
玄関出たら最初の一歩は右。電車乗り継ぎ成田へ向かう。
ヒースローからはバスとチューブでウオータールーへ。
最高の芝居が味わえる。
経験したいことを前もって五感で経験して身体を通してゴールを知る。
すると適した交通手段が分かる。
※これは、実は俳優にとってスゴク重要な技術になるので習慣にするように言われた、後ほどもっと詳しく解説するとのこと。
場所にたどり着けば良いのではない。
その目的地で、そのプロセスでなにを経験したいかを身体で知っておく。
それを含めてのゴール、目的地。
私の旅は道中も楽しくなければ旅ではない。
このメソッドが一番とか、この順番に従えとか、素晴らしい俳優になるためには犠牲や覚悟が必要とか、もはや信じなくても良いのかもと思う。
俳優サイコーの瞬間とは?
「あなたはどこにいましたか?」
「多分、千穐楽だと思うんです、舞台の上でスタンディングオベーションに応えてました」
「いいですね!お客さんの顔は見えましたか?」
「はい」
「その表情まで見えましたか?」
「はい、すごく晴れやかで、泣いている人もいました。みんな興奮している様子でした」
「それを見てあなたはどうでしたか?」
「自分が誇らしくて、充実していて、自由な感じを味わっていました」
「何か他に感じたことはありますか?皮膚や内臓で?」
「あります!私は共演者と手をつないでて」
「いいですね」
「自分も仲間も観客も好きだーという感覚で一杯で。とにかく一体感がすごくて、何よりも嬉しいのは私は役の人物になりきったという爽快感があったのです」
「なりきれたんですね」
「はい、役の人物とも一体感を味わえた後だったんだと思います」
「すごいですね!すると、あなたが俳優サイコーというためにはまず観客の満足なしにはあり得ないようですね」
「絶対に」
「でも、観客だけが喜んでいるのはどうですか?」
「…うーん、どうでしょう…お客さんが喜んでさえくれれば良い、とは思えないと思います」
「ですね!もちろん、自分だけが満足している舞台っていうのもなんだか痛々しいですね」
「はい」
「世の中には、この芝居の良さが分からないのは観客のレベルが低いなどと言ってしまう集団もいますが、いつまでもそんな強がりを言い張っているのも疲れると思います」
「確かに、そういう人達っていらっしゃいますね」
「逆に毎晩のように喝采を味わいながらも、一度も役になりきれた満足を味わえずに俳優を続けるのが辛いと打ち明けてくれたミュージカル俳優もいます」
「辛そうですね」
「ええ、中には俳優は駒なので本当に感じる必要などない。観客は想像力豊かなので俳優がわざわざ本当に心を動かさなくても感動は創り上げられると主張する人もいます」
「そうなんですか」
「はい、わざわざそんなこと改めて主張しなくても私達はアニメでも絵本でも人形でも感動できるのは十分に知っていますよね」
「ですね」
「しかし、人間である俳優がやるからこそ、自分が感じてもいない事を表現したり、信じてもいない言葉を発するのがとても辛いのだという事をその人は想像もつかないのかもしれません」
「なるほど」
「私達のやろうとしていることはあなたが想像で経験したように心を豊にするための活動です。芸術です。お客さんも私達もお互いに心が豊かにならないのだとしたらそれは私達が目指しているものでは無いという事になります」
私が目指していたのは芸術。
人の心を、そして私の心も豊かにする。
ああ、こんな事が本当に実現したらどれほど素晴らしいだろう?
別人になれる。
実人生では決して味わえない感情や感覚を経験できる。
実人生では言ってはいけない事、してはいけないこともできたりする。
なのに、それを見ている人に勇気や感動や明日を頑張る活力を与えることができるし、私が貰うこともできる。
そして、私の演じた人物は彼らの心の片隅にでもずっと生き続けて欲しい。
自然とはなんだ?
「さて、私達がどこを目指しているのかが、かなり明確になってきたと思います」
「はい」
「そこで、その理想の演技に名前を付けましょう」
「名前ですか…」
「はい、名前が無いモノは無いに等しいので。逆に、名前がつくと実態を持ち影響を受けてしまいます」
「よくわからないです」
「あなたは自然な演技を目指していたりしませんか?」
「はい、常に不自然ではありたくないと思って、自然であろうとしていると思います」
「しかし、自然であろうとすることが、邪魔な時がありませんか?」
「ああ、ありますね。あっ、これも、いわゆる無意識下の矛盾する二つの命令なんでしょうか?」
「そういう場合もありますね」
「もっと大きく表現してとの演出だったり、私ならしないなあと思うリアクションなど求められたりすると、自然でありたい私がどこか抵抗してたりして不自由さを感じている時がありました」
「なるほど、別人になりたくて俳優になったのに、いつの間にか、私に寄せたがっている自分もいるんですね」
「…ですね…」
「自然でありたいという欲求ほど私達を不自然にするものはないのです」
「分かる気がします」
「でも、一方で確かに演技には自然なモノと不自然なモノがあります。しかし、表現が大きければ不自然、小さければ自然というわけでもありません」
「わかります」
「感受性豊かでや表現力に富んだハッピーな人物として自然に見える演技もあれば、大げさな不自然な芝居をしている俳優に見える演技もある。素朴で誠実な人物に見える演技もあれば、覇気がなく、素のまんまで見てられない不自然な演技もあるわけです」
「ええ」
「私達は一体、何に自然・不自然を感じているのかを明確にしないままこの「自然」という言葉を使い、演技の良し悪しの判断材料にしています。しかし、その曖昧な定義のせいで俳優を混乱に誘う力を持っているのです」
「なんとなく分かっていたつもりですが、なるほど、なんとなく、であることでそんな影響も受けていたのですね…」
理想の演技に名前をつけるワーク
本日最後のワークらしい。
時間をかけていいので次の3つの質問に答えて欲しいとのこと。
「これは、俳優としてですか?観客としてですか?」
「どちらの立場からも考えてみてください。あなたは両者を満足させたいのですよね」
「はい」
「参加者が多い時には俳優グループと観客グループに分かれて質問の1と2をやってもらうのですが、今日はお一人ですので頑張ってください」
「はい、さっきのイメージのお陰で普段自分が演技について何を思っていたのかがかなりハッキリしてきましたので最初よりは言葉が出てくると思います」
私は先ず自分のちょっとした成功の瞬間やドラマや映画で感動した瞬間を思い出しそれらを言葉にする作業に没頭した。
やりたくない演技、見たくない演技はいくらでも思いつきそうだった。
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