【行政書士試験失敗記】15話 人は紙1枚とペン1本あれば勉強できる(理想論)
人は紙1枚とペン1本あれば、勉強できる。
しかし、それは優秀な誰かの話であって私自身の話ではない。
資格試験は登山のようなものだと私は思う。
登山ルートは無数にあり、自分がどのルートを選択するか。そして登頂するためにどのような装備を持っていくのか。
比較的勾配がゆるやかなルートを行くのであれば、登頂まで時間は掛かる。しかし、急勾配なルートを選択すれば登頂まで時間は掛からないが、その分過酷だ。
安全なルートは登山料も掛かる。
登山ガイドとして現地民を雇えば人件費も掛かる。
安全に快適に登頂するつもりならば装備にもこだわらなければならない。装備をこだわるのであればお金が掛かる。
素人目で山の周りをうろちょろしていれば、粗悪品を掴まされるかもしれないし、法外な値段を吹っ掛けられることもある。
大事なことは何をするにしても、まずは自分の能力と登る山について調べなければ始まらないのだ。
当時、全くの資格試験初心者であった私は、拾ったネット知識と自分の財布の心もとなさとを考慮し挑んでみたのだ。
今になって思う。当時の私はそれはまぁ、滑稽な登山者だったのだろう。
その結果がどうなったかなどは語るまでもない、というかすでにこのシリーズで語りつくされているだろう。
行政書士試験はお金がかかる。これは間違いない。
しかし、その金額は人によって変わる。どれだけの費用を投資したのかはその人それぞれだ。
必要最低限の金額なんて、受験料の10,400円さえ支払えば、当日受験できる。そこで合格点を叩き出しさえすれば、それ以上はかからない(行政書士として活動しようとするのであればその後にそれなりの金額は掛かってしまうが)。
しかし、それを法律未学者の人間が実践するのは、真冬の富士山にビジネススーツで登るようなものだ。3歩も歩かないうちに遭難するだろう。
では、どうやって登るのか。
世の中にはちょっと調べれば資格勉強の仕方などたくさん出てくるものだ。例を挙げるとするのであれば、
一つは、予備校に入って勉強すること。
一つは、通信講座を受けること。
一つは、自分で参考書を買い、独学。
代表的なのはこの3つだろうか。最近ではネットビジネスが発達したおかげでYouTubeの無料講義動画や、資格対策系のHPを利用してできる限り費用を抑えて勉強しようとする強者も中にはいる。
最初、私も予備校に入ることを検討し、パンフレットを手に取ったものである。しかし、中身を見てすぐに断念した。
資格を取るのにこれだけの金額は掛けられない。
正直なところを言えば、それが率直な感想だった。
無料で勉強できるものが溢れかえっている現代において、わざわざ高い金を支払って、というところが納得できなかったのである。
結果的に私はその1/4の費用で受講できる通信教育の講座を受講するに至った。
しかし、これで終わりではなかった。問題はここからなのだ。
資格試験勉強は掛けようと思えばいくらでもお金を掛けられるからだ。
例えば参考書。あの参考書が良いと聞けば購入し、この問題集が良いと聞けば購入する。
例えば模試。模試はこのお話でも触れた通り、ぜひ受けた方がいい。数もできるだけこなす方がいい。しかし、数をこなせば当然お金はかかる。
結局のところ、通信講座の受講料だけでは到底収まらなかった。
そもそも私自身が受験勉強しなければならないという使命をすんなり受け入れる準備ができていなかったのである。
ある程度勉強してみて、私は自身の勉強について「こりゃダメだ」と結論付けた。なぜか。
勉強環境が整っていなかったのである。
そこで私は、改めて自分の勉強環境を整えるため、ノートや筆記用具を買いそろえ、脆弱であったPCを高スペックのものに買い替え、補助機材としてiPad、Applewatch等もそろえた。
なにもそこまで……と思うかもしれないが、本腰入れて勉強をしたことのない人間が、全く未開拓な世界に飛び込み、そこで長時間勉強するためには如何に勉強に対してストレスを感じないようにするか、それが大事なのである。
確かに人は紙1枚とペンが一本あれば、勉強できる。追加で参考書があればそれで十分だ。しかし、それは理想論だ。
実際のところ、嫌がる自分自身を飼いならし、宥めすかし、頭を撫でながら机に向かわせるためにはそれくらいしなければならないと私は思う。
今になって、紙とペンだけで勉強できるか? と問われても正直なところ、私は勉強できないと答えるしかない。
それだけの胆力が私には無いのだ。
改めて提言しよう。資格試験とは登山のようなものだ。
登る山を見極め、自分の能力を分析し、自分に合う装備を身に着けて挑戦する。
道中はできる限り同じペースで、自分の状態を逐一チェックしながら進んでいく。
登山の最中は自分がどこにを登っているのか、確認するのも忘れない。もし、間違った道を進んでいるのであれば、どのようなリカバリーが必要なのかを立ち止まって考える。
決して無策ではいけない。
無策で登るというのであれば、その道には優秀なガイドが必要だろう。それすらケチるのであれば、結末は悲惨なものだ。
私は登っている最中に「あ、このままじゃだめだな」と感じた。
そして一度、装備を整えた。それなりな金額はしたが。
だが、登っている道が間違っていることに気が付いていなかった。
その結果、遭難してしまった。
なんとか自力で山を下山することはできたが、その時にはもうボロボロである。
いやー、初めての登山、遭難しちゃってさー!
こういったことを、これが一発合格であればちょっとした失敗話で終わらせられるのだが、不合格だった場合はどうなるか。
もちろん、合格するまでその山に登り続けるのである。一年かけて。
そうするとどうなるか。もちろん、合格するまでお金が掛かるわけである。
ご存じの通り、私は3回受験している。この期間中に支払った金額の総合計を計算してみると……
あの日、「こんな金額払えない」とぼやいた私に見せてやりたい。
お前は最終的に、これの倍以上の金額を払うことになるんだよと。
うーん、これは失敗だろう。
失ったお金は返ってこない。
あとは後の人生で取り返すしかないのだ。
立ち上がれ俺。
自分に言い聞かせる。言い聞かせても返事は無い。それでもやらなければならない。
立ち上がれ俺。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?