自分の半生を振り返る 中高時代


中学生時代 

 中学校では、部活の魅力に取りつかれた。ボールが見えなくなるまで同級生と練習した後、真っ暗な中でひとり練習をして、帰ってからはひたすらに素振りをした。お風呂を出たら、部室から借りてきた雑誌のバックナンバーを積み上げて効果的な練習法を勉強した。運動は得意ではなかったけれど、みんなに負けたくなかったし、とにかく試合に出てみたかった。
僕の本質が顔を出し始めたのは、代が替わった新人戦の地区大会、個人戦で優勝してしまったところからだ。「下手でも練習すればここまで出来るんだ」という確信を得てしまった。自分より運動能力の高い部員たちがとろとろ練習をしていることに我慢がならなくて、思ったことが口をついて出た。自分たちは勝ったのに団体戦で負けると悔しくてたまらなかった。そんな思いをしたくないから、練習への姿勢をきつく問いただしたこともあった。
気付けば、僕はまた仲間外れになった。僕の独り善がりな姿勢を理解させるために顧問が実施したアンケートや、練習風景を見ていた父から「おまえ、部活にひとりも友だちがいないんだな」と言われたことは、当時のぼくには到底受け止めきれないものだった。
結局、県大会からブロック大会に進むペアを2組擁していたにもかかわらず、団体戦は1回戦敗退。敗因が結束力のなさにあったことは明らかだった。

高校時代

 高校では部活を続けるか悩んでいたけれど、以前から親交のあった仲間がいたこともあって、入部せざるを得なかった。1年生の時は、団体戦メンバーに選ばれながらも試合に出られない時期が続き、モチベーションの維持が難しかった。試合に出られない立場の人間の気持ちが少しだけわかったような気がした。
代替わりをして、部長になった。中学時代にチームを崩壊させたこともあって、自分はチームの調整役に徹しようと考えた。和を乱すことを恐れ、自分を殺し続けた結果、自分がこのチームで何をしたいのか、さっぱりわからなくなった。部長としてどうあるべきか、しか考えてこなかった。チームメイトに「おまえはなにがしたいの?おまえがやりたいことはなんなの!?」と聴かれることすらあった。チームの雰囲気をうかがうことばかりして自分の練習にも身が入らなかった。
引退するときには、悲しいというよりも心底ほっとした。チームメイトのことは嫌いじゃなかったし、友情も感じていたけれど、学校で顔を合わせるとなぜだか気まずい思いになった。

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