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自己紹介(差別との出会い)

自己紹介なるものをまじめに書くのは、いつ以来だっただろうか。なかなか書く機会というものはないように思う。と、グチグチするくらいなら「書くな!」とお叱りを受けかねないので、さっそく書いてみたいと思う。

とは言え、インターネットの匿名性というものについて、有意義なものだと感じている私にとって、現実世界(リアル)でするような、自己紹介は避けて、なぜ今私がこんなにも「補聴器」について興味を持っているのかについて、語りたいと思います。

「差別」との出会い

私が、初めて福祉と呼ばれるような世界を意識して触れたのは、「部落差別」という問題との出会いです。私が生まれ育った地域には、被差別部落の地域がありました(あります)。保育園の同級生の中にも、被差別部落出身の子もいました。私自身、保育園に通っていたころについては、そもそも知りもせず、差別について全く意識をしたこともありませんでした。

小学生のころ、道徳の授業の中で、「部落差別」の問題についての授業がありました。記憶はすでにあいまいで、正しくないかもしれませんが、授業の中で先生が、「被差別部落の地域の子供たちは、おうちの手伝いをしなければならず、充分に家で宿題や勉強をすることができないから、学校で補習をする必要がある」ということ説明していたように記憶しています。私はこのことに、非常に違和感があり、保育園のころの友人たちの家は、私が住んでいる家よりも立派で、私の親が乗っている車よりも立派な車が停まっているのを見たことがあり、宿題ができないほど家でお手伝いをしなければならないような貧乏な家には思えず、先生に「そうではない家の人もいると思いますし、被差別部落の地域の子供でなくても、おうちの手伝いをしなければならない家はあると思います」と発表した記憶があります。


身近にある差別

中学生になり、クラスメイトが担任に自分は虐められていると訴え、クラス会が開かれることになりました。そのクラスメイトは、アトピー性皮膚炎のひどい症状のある子でした。当時、私は彼のことが嫌いでした。そのため、極力関わらないようにしていました。その彼は、教壇に立ち、アトピー性皮膚炎による見た目でクラスメイトからいじめられていることを、訴えました。名指しされた数名のクラスメイトは、それを受けて謝罪をしていたように記憶しています。その名指しされたメンバーに私は入っていませんでしたが、手を挙げ、「僕は君が好きではありません。それは、君がアトピーだからではなく、君の性格が僕とは合わない。仲良くできるタイプではないと実感するからです。」と言いました。今考えると、なんとも薄情な奴だとつくづく思いますが、当時の私には、君が受けているのは差別ではなく、単に嫌われているだけだと言うことをどうしても言いたかったのです。

このころから、「差別」について、意識するようになりました。何が「差別」なんだろうかと。差別されていたという理由で、手厚く優しくすることは差別ではないのか、自分と心が通じ合う人もいれば、生理的に受け付けない人もいるが、生理的に受け付けない人と仲良くできないことは、差別なのか、など考えるようになりました。

あとがき

長くなりそうなので、いくつかに分けて投稿したいと思います。あっさり書くつもりが、あれも書きたい、これも書きたいと思い始めると、どんどん長くなってしまいました。徐々にアップしていきたいと思います。気長にお付き合いください。あと、ツイッター(@StandByHearing)をしています。徒然を紛らわせる程度にフォローして、読んでいただけたら光栄です。

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