食事が食べれなくなった認知症の人
時々 認知症のある人で食事が食べれなくなる人がいる。
軽い肺炎などの身体疾患のために一時的に食欲が低下している人であれば、しっかりと身体疾患を治療すれば改善することも多く問題はない。
しかし
空腹感が分からなくなった人
食べることを忘れてしまった人
嚥下機能が低下し食べるとすぐに肺炎を起こす人
うつ状態などにて食欲がない人
などは 改善がなかなか難しく、どう対応するかは大きな問題となる。
食べれないとき
・点滴をする(通常の点滴、中心静脈点滴)
・鼻から管を入れて栄養剤を入れる(経鼻栄養)
・胃に穴をあけて栄養剤を入れる(胃ろう)
・食事が食べれないのは寿命と考える
などの選択肢がある。
もちろん、うつ状態で食欲が無い、嚥下能力が一時的に低下している などの、治療やリハビリによってある程度の期間治療を続ければ回復し得るときには積極的に治療を行うべきである。
しかし重度の認知症の人が食事を食べなくなったときは、多くは回復不能である。
経鼻栄養や胃ろうは一度導入してしまえば、途中で中止することは難しく、比較的長期間 生き続けることになる。
しかも健康的に生き続けることは多くはない。
認知症は確実に進行し、ほとんど反応がなくなっていく。
点滴では栄養が足りない一方で水分は多すぎるため、次第に身体がむくみ、見た目的にもかわいそうな感じになっていく。
点滴や管を抜いてしまわないように抑制している時間もながくなっていく。
次第に栄養状態や血行が悪くなり、いたるところに褥瘡ができてくる。
食べれなくなった認知症は寿命
個人的には中等度以上の認知症の人が食事を食べなくなったときには、寿命と考えている。
「食事が食べれなくなった時は自然な寿命であり、胃ろうや経鼻栄養は行わず、点滴も極力しないで、できるだけ食事を勧めて食べてもらうようにしたい。もしかするとそれによって肺炎を起こし、死亡する時期が早くなるかもしれないものの、自然な状態を優先させたい。」と説明している。
本人が最低限の会話が可能であれば、「しばられて鼻に管を入れられたり、胃に穴をあけられて無理やり栄養を取らなくてもいいよね?」と説明している。
基本的にほとんどの家族と本人は同意してくれる。
しかしこの辺りはなかなか難しい問題である。
胃ろうをしたら長生きできることが多い。
それをしないのは結果的に自分が殺してしまったのでは? という罪悪感を家族が抱いてしまう可能性があり、ある程度のガイドラインが必要である。
認知症の人に経鼻栄養や胃ろうは有用ではない
Choosing Wiselyでは、重度の認知症の人に経鼻栄養や胃ろうは有用ではないと明確に記載している。
その理由として、
寿命が必ずしも延びない
体重増加につながらない
能力は回復しない
肺炎や褥瘡のリスクがある
介助による口から食べる方が人としての交流があり、好きなものを食べる楽しみがある
などを挙げている。
アメリカのガイドラインは非常に明確で踏み込んだ記載をしてくれていることが多く、大変ありがたい。
一方日本における日本老年医学会 高齢者ケアの意思決定プロセスに関するガイドラインでは以下のような記載になっている。
上記 ガイドライン内でもいろいろと書かれているものの、非常に回りくどく、「結局 どうしたらいいの?」と全く分からない内容である。
本人の希望を尊重するというのは当然としても、「より良い人生を過ごせるように」「快適に過ごせるように」「QOLを向上させる」などは、言葉としては美しいものの、何も言っていないに等しい。
個人的な解釈は、
・毎日の生活をそれなりに楽しめるレベルの人であれば、経鼻栄養や胃ろうは価値のある選択肢かもしれない。しかしそのために長時間の抑制を必要とするのであれば避けるべきである。
・ただ生きているだけのレベルの人であれば、経鼻栄養や胃ろうの必要性はあまりない。
である。
日本老年医学会のガイドラインでは、医師の価値観の影響を強く受けて、同じ状態の人でも方針は異なることになる。
自分なら と 家族なら では考え方が変わる
この問題の難しいところは、自分の場合は「認知症が進みながら胃ろうや経管栄養をしてまで生きたくない」と思いながら、家族に対しては「どんな状態でもいいから生きていて欲しい」と思う人が比較的多いということである。
引越で去る方は案外平気で新しい世界に行くものの、残される方は寂しくて仕方なく執着してしまうという感覚に近いのかもしれない。
もちろん いざあの世に行ったら 「まだ死にたくなかった~~」と思っているのかもしれない。
あなたはどう見送られたいですか?
そして
あなたの家族をどう見送りたいですか?
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