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大企業で5年。中小企業で3.5年。そして...

2021年最初の投稿です。喪中のため、新年の挨拶は差し控えさせていただきます。昨年は激動の一年でしたが、今年も激動の一年になりそうです。なぜなら、転職するから。1月末で現在の会社から離れて、2月から新しい会社で働くことになります。

大企業(京セラ株式会社)で5年。

現在の会社で働く前は、京セラ株式会社で働いていました。金沢大学・法学部を卒業後、2012年4月に入社。創業者である稲盛さんに強く憧れをいただきつつ、大企業で質の高い仕事を覚え、キャリアを積む。大企業であれば、多くの人たちと関わりながら、仕事ができる。海外と仕事ができる。部品メーカーであれば、いろんな業界と関わることができるetc...

そんな思いで、第一志望であったファインセラミック事業本部に配属されました。※創業当時からある京セラの根幹である事業。

最初の配属は、国内営業部・関西営業課。京都本社を中心に、西は兵庫県、南は和歌山県、東は北陸地域までカバーする国内営業。10日に及ぶ新入社員研修を終えて、その翌月からは徐々に営業として学びつつ、担当客先を任されました。

当時の部長に直接教育されつつ、徐々に担当客先も増え、新規顧客開拓数では西日本営業部で1位を獲得したり、月数千万クラスの新規案件も獲得するなど面白くなってきたところで、部署異動。

海外営業部・欧州営業課へ。

大学時代にドイツ留学をしたこともあり、それが評価されたのか。入社1.5年で欧州営業課に配属。その半年後には欧州出張を一人で行かせてもらうなどありがたい経験をさせてもらいました。

当時では担当客先も課で一番多く任せていただき、月の担当数字で1億円/月以上を担当していて、やりたい!と言ったら、やらせてもらえる環境で本当に楽しかった。

でも...

数ヶ月に1度はヨーロッパには行けるけども、国内営業の時とは違い、お客さんとは直接やり取りせず、現地法人の営業をサポートするのがメインの業務。出張などでは直接訪問するけども、やはり直接お客さんと接して、交渉も含めて、そのやりとりが一番の醍醐味だったのに、それができない。

そして、ヨーロッパ(一部、インド、中国、アメリカも)だけでもっと全世界的な活動ができないものか。何よりも、大学時代に行った開発途上国(アフリカとか)に仕事が関わりたいと強く思うようになった。

中小企業で3.5年

2017年4月に石川県・金沢市にある明和工業に転職してきました。

当時、僕は結婚していました。大学時代から連れ添った妻が、石川県の教職3年を経て、京都に移住。新たに教員採用試験を受け直し、京都市の教員採用試験に一発合格。まさかの配属先の小学校は、京セラ本社の近くという偶然。

にも関わらず、

僕の都合で、妻は教職を離れ、お腹には第一子を授かっている状況で、石川県に戻ってきました。(住まいは、金沢から少し離れたかほく市。妻の実家と会社のちょうど真ん中らへん+住みよい町だと調べていたため。)

なぜ、そもそも明和工業なのか?

どんな会社なのか?どうやって知ったのか?は以下をご参考ください。

アフリカに恋焦がれて。入社2ヶ月でアフリカに初出張。夢にまで見た、アフリカ。部品メーカーから装置メーカーへ。何もかもが手探り。

当初は、海外営業でしたが、国内営業にも興味が湧き、過去開発した技術が埋もれていたため、それを国内での新規事業に繋げたりしました。正直、京セラ時代から比べると、圧倒的に仕事量が足りず、法学部の知識を生かして、法務を兼務。知財強化や各種契約の見直しなどもしつつ、京セラ時代、リクルーターをしていたので、採用活動や広報活動(HPなどの管理)も担当。

本当に幅広くやらせていただきました。

ですが、全ては2019年末。明和工業で海外事業を作ろう!と会社を引っ張っていった前社長が逝去しました。

そこからは、色々と会社が変わっていき、そんな中、コロナがやってきました。

その結果、海外事業自体が凍結に。

今後も仮にコロナが収まったとしても、海外自体を積極的にするかどうかは分からない。

会社が変わっていくのに不安を覚え、直接口頭で今後の展望を確認しましたが、上のような答えだったので、転職することにしました。

国内でも案件を対応しており、お客さんなんかと協力しつつ、これから面白くなる案件も沢山ありました。

が、自分の中では、海外ができない(別にアフリカだけに拘っているわけではないですが)のは、本当に自分の今までの人生の半分を活用できなくなってしまう、ぐらいの感覚なので、転職することにしました。

明和工業でやったこと、感じたこと、諸々はまた別の機会に書きたいと思います。

そして...

次の会社は、2月から働き始めます。従業員100名程度の明和工業の2倍ぐらいの大きさで、金沢市の企業です。

今は、もう有休消化期間で、あと2日程度明和工業に行って、僕の明和工業でのキャリアが終わりを告げます。本当にお世話になったお客さんには挨拶をしつつ、残念に感じられているのを見ると、心苦しくもあります。

それでも、この道を選んだことが、後になって正解だったと思えるよう、これからの自分がどう行動するか、それが大事だと今は感じています。

自分の人生だからこそ、直観に従う。

ただ、今はその直観がそうすべきだといっているから。



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