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ある有名な経営者を偲ぶ。

新卒で最初に入った会社、京セラ株式会社。その創業者である稲盛さんが2022年8月に亡くなられました。もう一度新卒で入るとしても、京セラに入るんだろうなと思うくらい、社会人最初に働いた会社として色々と学びました。

強烈なフィロソフィ

京セラと言えば、稲盛さんと言えば、その強力過ぎる位のフィロソフィ(考え方)。もう新卒で入る前には、どういう考え方の会社だろう?ということで、創業者の本を2冊程度熟読したわけです。

・働き方
・アメーバ経営の実践 一人一人が社員の主役

京都の会社から自分の技術を世の中に問うために起業をし、そこから社員の蜂起に会った際に、自分の技術、ではなく、世の中や社会のため、ひいては社員の精神的・物質的な幸せを願う、企業理念が生まれた。

会計学などの知識がまるでなかったがゆえに、複雑な会計のやり方ではなく、実態に即した組織運営、経営者の仲間を作るような流れで、アメーバ組織、そこから成るアメーバ経営学を生み出しました。

どちらかというと、初めての会社なので、仕事に没頭でき、一方で、単なる利益追求型ではなく、会社としての考え方がしっかりとある、ある意味クセの強い会社で、経営など全体的な組織運営が役職関係なく、できそう、という印象を覚えて、京セラ株式会社へ入社。

入社したら、実際にだいぶ癖が強かった。。。

社員限定で配布される京セラフィロソフィーの分厚い本2冊。

毎朝繰り返される唱和、フォロソフィーの講話。

年末年始には、業務とフィロソフィーを一緒に考えるフィロソフィ論文。

本社の中にある和室で繰り広げられる、社内コンパという名の飲み会。

強烈でしたが、単なる儲けだけを追求しないしっかりとした考え方があると、安心するし、多様性は認められる、でも、その中で、一つの共通の考え方があると、寄るべき考え方があるので、道に迷った時に光が差し込むような感じを覚えました。

全員が経営者、アメーバ経営

この考え方が特に一番好きでした。自分達が所属している組織は、自分達で運営する。大きな組織になればなるほど、下位組織の主体性が無くなる傾向にあるんじゃないかって思います。

組織がでかくなればなるほど、相対的に自分が所属している組織が小さくなるので、より小さい歯車だと感じて、何か大きな力が動くから、自分達では何もできない、ととかく、無意識的に他責な考え方になるのだと。

ただ、大きな組織って、小さな組織の集合体で(人間と一緒で、細胞は小さいけれども、その細胞が沢山集まって人間ってできている)。
だから、小さな組織が動かなければ、大きな組織って動かない、推進力は自分達なんだよっていう意識をつけるためのアメーバ経営、アメーバ組織。

売り上げや経費の管理も極力、その組織内でやりくりしているので、本当に毎月、自分達の組織の帳簿を眺めるって感じ。

そんなだから、会社が〜、とか、外部環境が〜、とかっていう言い訳が、それこそ売り上げが足らない時に、他責にするような言葉が出てこなかった気がする。

じゃぁ、どうするの?って常に考える必要があったし、考えなかったら、めっちゃ指摘される、というか、叱咤激励される。

とかく、自分の中では、入社当初に配属になった国内営業部の営業部長には本当に色々と教えてもらった。めっさ、怒られていたけども。

あの方も稲盛さんが社長で現役の時にガツガツやっていた方だったようで、少しだけでも間接的に当時の厳しさを感じられたのが嬉しかった。

もう一度・・・

だから、もう一度もしも新卒で会社に入れるとしたら、どこにする?って答えたら、間違いなく、同じ会社を選ぶと思う。

何よりも、製造業の世界(B2Bの世界)で営業をするっていう自分のキャリアの選択の中で、製造業の営業には何が求められるのか?っていうベーシックな考え方を築けたのは、この会社だったからだと思う。

まだまだ、青臭い考えや、いろいろなことに一喜一憂しますが、これからも心を高めて、自責の念で、常に何をすべきか、考えていきたいし、そうやって生きていたい。誇り高く生きたい。

ただ単に仕事をするっていうのではなく、何のために?どうして?どんな価値提供が?という常に自分の仕事の質に自問自答する癖をつけてくれた、そして、人間としての資質は、能力x熱意x考え方で構成されて、常に能力は未来進行形で捉えるっていう自分の中で今も生き続いているフィロソフィーを築いてくれた、この会社、そして、その会社を作ってくれた、創業者の稲盛さんには感謝の気持ちしかない。

今まで、お疲れ様でした。安らかにお眠りください。


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