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知っておくべき細かさが必要になるタイミング

枝葉末節(しようまっせつ)
→ 取るに足りない些細なこと。

私は細かい。

というよりは、細かいところに目が行ってしまうという言い方をした方が正確だろう。

ただ、それは取るに足りない些細なことを気にするということとは全く違うレイヤーの話だ。

なにが言いたいのかというと、細かいところまで気を遣うことと、細かい小さなことで悩むということは全く別物だということだ。

そして、このことは準備することの大切さと準備する基準の関係とも似ている。

細かさという概念との向き合い方

瑣末という言葉を知っているだろうか。

聞き慣れない言葉なので初めて聞いたという人も多いと思うが、瑣末は「さまつ」と読む。

その意味は、詳細すぎて重要ではない、または細かすぎて取るに足らないといったところだ。

まさに、今回のテーマに当てはまる部分なのだが、瑣末な部分に気を取られて行動を起こせない人が案外多い。

そんなところまで考えていても仕方がないというか、エイヤで始めなければいつまで経ってもなにも起こらないことに気がついていない。

あるいは、気がついているのかもしれないが、瑣末なことに引っ張られて身動きできなくなっている状況を接見する機会がしばしばある。

ただ、このことに気がついているのであれば、まだマシな方かもしれないと最近は思ってしまうことも多い。

そのことにすら気がついていない、ただただ言い訳をしているだけの人も多いという事実がある。

重箱の隅をつつくという言葉がある。

日本の古い風習から来ている言葉だが、重箱とは、いくつかの段に分かれていて、それぞれの段に別々の料理を入れることができる日本の伝統的な食器の1つだ。

この重箱が完全に組み立てられているとき、それぞれの段の隅まで手を伸ばして食べ物をつつく行為は、非常に礼儀に反する行為とされていた。

つまり、重箱の隅をつつくという表現は、なにかを非常に細かく、厳しくチェックする、あるいは他人の小さな間違いや欠点を探し出しては指摘する様子を指す。

また、他人の行動や作業などを過度に詳しく分析し、細かい点まで批判的に見るという意味合いが含まれている。

ここまで書けば理解してもらえると思うが、瑣末に該当したり、重箱の隅をつつくような、そんな細かさを備える必要はないというわけだ。

細かさが求められるタイミング

こうやって書くと、細かさは必要ないと捉えてしまう人がいるが、私はそんなことは主張していない。

私が言いたいことは、細かさが必要になるタイミングは、なにかを始めるときではないということだ。

そして、細かさは必要不可欠なもので、物事がある程度進み始めたら求められるようになる。

そもそも瑣末なことを考えていても意味がないし、小さなことを気にしていても杞憂でしかない。

いくら頭の中で想像したり、計画を立てたところで、そんなにイメージどおりに物事は進むことはない。

実際に始めてみて、初めて見えてくるものやわかることの方が圧倒的に多い。

つまり、いろいろと動き始めてから改めて細かい部分を決めていけばいいのであって、細かさを気にするのは時系列にすると、ずっと後ろの方になるというわけだ。

そして、細かさを求められる部分では徹底して細かさを追求すべきだ。

その妥協しない細かさが差別化を生み、ユーザを満足させる結果を生む。

細かさと準備することの共通点

細かさは重要だが、登場するタイミングを間違えると、なにも進まないことは上述したとおりだ。

これに似た概念というか、位置づけとして準備という概念がある。

なにかを始めようとする際に、やたら準備という言葉を使う人がいる。

結論から言うと、そういう人で準備を終えて次の行動に移ったという人はいないと言っても過言ではない。

百歩譲って、次の行動に移せたとしても時間をかけすぎていたり、さらにその次の行動に移るまでにまた準備という工程を踏む。

なにもかもが著しくスピードを上げて変遷している時代に、そんな人が上手くいくかを冷静に考えてもらいたい。

アイデアに価値などないということも、私はくり返し述べている。

準備もアイデアも実行に移さなければ、なんの価値もないということだ。

とりわけ意味の分からない発言が、起業の準備をしているとか、商品やサービスを出す準備をしているといった類のものだ。

起業はあくまで手段の1つだし、出したい商品やサービスがあって初めて概念が成立するわけであって、そんな準備など全く無意味だということだ。

ただし、準備が無意味だということとは、全くレイヤーが異なる。

むしろ、準備は非常に重要な概念だ。

準備という概念が重要になるタイミング

細かさと同様にの構成なので、ここまで書くと勘の鋭い人は気がついていると思うが、準備が必要になるタイミングは、なにかを成し遂げようとするときだ。

つまり、すでに決まっていることがあって、それに向けて成功を収めようとする際には、準備が重要になるというわけだ。

例えば、運動会のかけっこで1番を取りたければ、何度も何度も走って少しでも順位を上げようとする準備が必要になる。

このロジックは社会人になっても不変だ。

自社の商品やサービスを買ってもらったり使ってもらいたいのならば、売り込もうとしている先方の情報を調べたり、どうやってプレゼンをすれば受け入れられるか準備が重要だ。

そんなタイミングでないのに、いくら準備をしても無駄であるということを私は主張している。

そして、この準備という概念が発生するタイミングと細かさが求められるタイミングは後発的だということも理解すべきだと言っている。

完璧主義や準備優先主義を捨てるべき理由

パーフェクショニズムと呼ばれる完璧主義は、個人が自分自身または他人に対して非常に高く、ときには達成不可能なスケジュール設定する。

そして、それが満たされないときに不満足感やストレスを感じる心理的傾向を指す。

そんな完璧主義者は、少しでも間違いがあると、それが全体の成功を台無しにすると感じることがある。

一方で、完璧主義者は高い目標を設定するため、業績や成果が高いことが多いと言われたり、努力家でその努力は成果に結びつくことがあると言われることもある。

ただ、私は完璧主義に対してはかなり否定的だ。

かつての私は完璧主義に近い感覚を持っていたように思うが、それを続けるのは返って完璧から遠のくことを痛感してきたからだ。

具体的には、下記のような事態を招くことが増える。

ストレスと不安

完璧主義者は、常に完全な結果を求めるため、一定のストレスと不安を感じることがある。

これは、物事が完全でないと感じた場合の恐怖や、常に最善を尽くすプレッシャーから来るものだ。

達成不可能な目標

完璧主義者はしばしば自分自身に達成不可能な目標を設定する。

これにより、彼らは自分自身を劣等感に陥れ、自尊心を低下させる可能性がある。

過度の自己批判

完璧主義者は、自分自身を厳しく批判し、常に自己改善を追求する傾向がある。

これは、自己否定や自己疎外感を引き起こす可能性がある。

健康問題

ストレス、不安、過労は、身体的な健康問題を引き起こす可能性がある。

これには睡眠障害、消化器系の問題、心疾患などが含まれる。

人間関係の問題

完璧主義者は、自分だけでなく他人にも高いスタンダードを求めることがある。

これは、ストレスを感じる人間関係を作り出し、対人関係の問題を引き起こす可能性が高くなる。

同様に、準備優先主義という言葉がある。

これは、新しいプロジェクト、タスク、または課題に取り組む前に十分な準備をすることを強く重視する傾向を指す。

準備優先主義者は、事前計画、研究、訓練、あるいはあらゆる形の準備を重視し、自分が行おうとしていることを理解し、成功を最大化するためにこれらの活動を行うのである。

こうやって書くと、いいことのように思うかもしれないが、私はここもかなり否定的に捉えている。

というのも、その弊害が大きく、具体的には下記のようなものが挙げられる。

行動の遅延

過度の準備は、実際の行動を遅らせる可能性が高くなる。

準備優先主義者は、まだ準備が十分でないと感じることで行動を遅らせることになるからである。

分析麻痺

情報を収集し続け、過度に分析することで、分析麻痺に陥ることがある。

新しい情報が矛盾した結果をもたらす、または決断をより複雑にする可能性があるため、結果的に行動を取るのが難しくなるという悪循環に繋がりやすくなる。

機会コスト

過度の準備は、他の重要なタスクや活動から時間とリソースを奪う可能性がある。

特に準備が既に十分であるにも関わらず、更なる準備を求める傾向がある場合に当てはまる。

完璧主義への傾向

準備優先主義は、完璧主義の一種と見なされることがある。

その最大の理由が、タスクを完璧にこなすための準備を強調する傾向があるからで、となると完璧主義の弊害も同様に発生しやすくなる。

まとめ

細かさ、準備という概念についてまとめてみたが、いかがだろうか。

何度も繰り返しになるが、いずれも重要な概念ではあることは間違いない。

けれども、登場させるタイミングを間違えると、結果としてなにも進まないという事態に陥る。

そして、こういった概念の重要性とどのレイヤーで登場するのかを混同させてはいけないということも改めて書いておこう。

その根本の部分を間違ってインプットすると、間違ったアウトプットになるので、今一度しっかりと整理してもらいたい。


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植田 振一郎 Twitter

株式会社stakは機能拡張・モジュール型IoTデバイス「stak(すたっく)」の企画開発・販売・運営をしている会社。 そのCEOである植田 振一郎のハッタリと嘘の狭間にある本音を届けます。