MMTの話

 はい。
 このタイトル付けるのめっちゃ度胸いるなあ……と思った。というのも、同理論は旧twitter上で熱烈な信奉者がいて、対立者を積極的に炎上させているのを何度も目撃してるんだよね……僕だって炎上は嫌だけど、なんか最近の旧twitter界隈にはこの点を恐れてなにも言えない空気が漂っている感じがして、それも嫌だなあということで、最低限話だけでもしておこうかと。ただし、今回そういうわけなんで原則としてこの記事への反応に僕は一切リプしません。最初に断っておく。
 それと、僕のこの理論についての理解は極めて浅いものであることを明言しておく。この理由は後で述べるが、僕の認識としては大半の経済学者が現状、「MMTには興味が無い」状態だと考えており、その意味では僕はMMTを専門的に語ることはできないものの、標準的な経済学者のサンプルの一つとして見られる程度の意義はあるんじゃないかと考えている。

1)現状認識

 現状、MMTという理論を肯定的に議論しているグループは二グループに分かれている。片方は学問的なグループであり、もう片方は政治的なグループだ。おそらく大半のまともな経済学者はこのグループを分離して語るべきであるという前提に同意すると思われる。
 政治的なグループは極めて悪質で、彼らが「MMTである」と主張する出典不明な学説から、荒唐無稽としか言いようのない結論を自由に引き出し、それを用いて政治的な対立者を罵倒している。僕の知る限り彼らは何度も事実と異なる主張をして、そのたびに反例を突きつけられているのだが、彼らの中ではこれは論破されたことにはなっていない。この理由は多岐に渡っており、主張自体がなかったことになる場合もあれば、「それは誤解であり、この例は反例にならない」と主張される場合もある。いずれにせよこのグループは、上で挙げた学問的なグループと自身らのグループを都合よく使い分けており、普段は学問的なMMTの権威を用いて自説を展開するが、都合が悪くなると「それは誤解であって、MMTはそう主張していない」「論敵はMMTの勉強が足りていない」と言って反撃する傾向がある。
 したがって、MMTの政治的なグループについては、大半のまともな経済学者は数年前の時点で「議論にならないため、無視すべき」という結論に達している。ただ、彼らは別に学問的に勝とうとしておらず、単に自分のお気に入りの政策を実現したいか、あるいはもっと単純に政敵を都合よく罵倒したいだけなので、この無視は結果としては彼らにとってまったくダメージになっていないのが現状である。
 一方で学問的なグループは、それほど支持を集めているとは言えないものの、書籍が出版される程度には活動実績がある経済学の一部分である。ただ、それはたいして肯定的な評価ではない。というのも、僕の知る限り、1980年代から新しい学派と呼ばれるマクロ経済学の流派は乱立しており、その多くは学問的に成功したとは到底言えず、忘れ去られていっている。MMTは現状でそれらの学派と異なる結末を得られる保証がなく、「たまに話題になる新しい一学派」という程度の立ち位置にとどまる。ここで資料として、英語版wikipediaのリンクを張っておく。

https://en.wikipedia.org/wiki/Modern_monetary_theory

 見てみると、だいたい2008年頃からこの理論は出てきたようなので、理論の年齢としては15年くらいだろうか。Reaction and Commentaryの部分にかなり批判的なものが集まっているのは英語版の特色で、日本語版のページは賛否両論を併記している。が、英語版の方が明らかに全体的な記事の質がいいので、英語が苦手な人はDeepLとかを使って読んでほしい。ちなみにwikipediaには頻繁に出典を明記する[20]みたいな記号が入るけど、この記号を取らないと機械翻訳がバグるからそこだけ注意。
 この「学問的なMMT」は実のところ「有力な学説」とすら現状ではまだ言えないので、大抵の学者はまだ様子見しているところである。様子見というのは「正しいかどうかをもう少し考えよう」ではなく、「勉強する価値があるかどうかをもう少し考えよう」という意味だ。つまり、MMTは多くの学者にとって勉強すらされていない。だから僕も勉強していない。この記事の冒頭で述べたように、この理論についての僕の理解は極めて浅いが、その理由は、MMTに勉強するだけの価値があるかどうかについてすら現状では測りかねているからである。同様の経済学者はかなり多いと思われる。
 まとめると、MMTの現状としては学問的に成功しているとは言えず、とはいえ失敗しているとまでは言えず、まだ結論は出ていないが、いずれにしても知名度がそもそも足りていない。その一方で、政治的には一部の国で影響を与えるほど成功しつつあり、政策議論を行うタイプの経済学者にとってはやっかいな状況を生み出している。このあたりまでは、おそらくたいていの経済学者にとっての共通の現状認識と言えるのではないかと思われる。

2)現状が変わる可能性

 では、上の現状が変わる可能性があるかという点についてだが、MMTが学問的に「成功」と言える状況を引き出すための方法は、少なくとも政治的に成功することではないという点は強調しておきたい。正直に言って、僕を含めてかなり多くの経済学者が、典型的なMMT論者の「論争とは多数派工作である」みたいな態度に辟易しており、これは少なくとも学問的には逆風であると思われる。
 だが、現状ではMMTは上で述べたように、大部分の経済学者から「勉強する価値がある」とすら思われていないと考えられる。そして勉強されなければ当然学問としては成功しない。だから学問的なMMT論者はMMTを勉強させようと躍起になる傾向がある……けど、これも正直、逆効果だと思う。実際のところ、MMTの政治的グループを批判して「おまえはMMTをまったくわかっていない」と言われるのが嫌だからという理由で、MMTについて一切発言しなくなった経済学者に何人か心当たりがある。それは当然ながら学問的にはMMTは「そもそも議論されない」ことにつながるわけで、君たちそれでいいの?という感想。
 じゃあMMTが成功するためにどうすればいいか。とりあえず、MMTの解説については日本語記事で質がいいものは見つからなかったが、上で張った英語版wikipediaはたぶんかなり良質な記事だと思われる。wikipediaだからもしかすると将来の編集でおかしなことになる可能性はあるけど……その中で、最後の方に書かれているこの部分が気になった。

Krugman described MMT devotees as engaging in "calvinball" – a game from the comic strip Calvin and Hobbes in which the players change the rules at whim.

 この部分、かなり無視できない点で、つまりクルーグマンの感想が正しければ、MMT論者は「理論を検証できない状態」を意図的に作り出しているんじゃないかという疑いがあるのだ。
 経済学では、サミュエルソンが強調して以後、ポパー型の反証主義がかなり重視される傾向にある。僕はこれについて、必ずしも反証主義が絶対だとは思わないものの、MMTのような新興理論にとっては重要だと思っている。つまり、MMTだと起こり、それ以外の理論だと起こらない現象はあるのか。逆にMMTだと起こらず、それ以外の理論だと起こる現象はあるのか。それらは現実だと起こっているのか、起こっていないのか。この検証結果次第では、MMTは重要な理論になり得る。
 これらは、MMTを支持する学者が中心となって積極的に検証するべきである。前もどこかで書いたと思うが、主流派が主流派である所以は、この種の検証に耐え続けているからであり、MMTが主流派と対抗できる理論になるためには、最低限この種の検証に十数年は耐えられる(つまり、積極的な検証の結果としてMMTに深刻な誤謬が見つからないまま十数年が経過する)必要があるというのが僕の見解である。言っておくが、これができたからと言ってMMTが正しいとは限らない。しかしその場合、経済学者たちはMMTについて「少なくとも勉強する価値はある」と考えるようになるだろう。結果として肯定されるか否定されるかはわからないが、少なくともそうなれば理論としては生き残りに成功した状態と言える。
 残念ながら、僕が観測した範囲内でMMTの支持者にこのような動きは見られない。どころか、検証されてもいない新理論であるMMTを無理やりねじ込んで行こうとする人間がやたら多い。実はこの記事を書く気になった最大の理由は、マクロ経済学の授業改善アンケートで「MMTを教えずに嘘を教えている」というクレームが学生の一人から来たことなんだよね……出てきて10年ちょいの、定説でもない上に検証されてもいない新理論を必修のマクロ経済学で教えたらその方が問題でしょうよ。というのが僕の感想なのだが。
 まとめると、MMTは学問的には、現状では勉強するに値する魅力的な理論とすら思われていないので、まずは状況証拠を集めて、最低限勉強するに足るだけの魅力があるということを立証するところから始めるべきではないかということです。そして現状はそれができているようには見えず、さらに政策に無理やりねじ込もうとするグループが悪目立ちしすぎるので、僕は少なくとも距離を取っている。正直その連中に炎上させられたくないから言及すらしたくないが、将来的にこの理論が政治的に大問題を引き起こしたときに、おまえ反論しなかったじゃん!と言われないために、こういう理由で相手にしなかったんですよという証拠を自分のnoteに残しておきたかったと、はい、実はまあそんなところです。
 今回は以上で。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?