Galeの反例について

はい、また論文を書きました報告です。

 もっとも、後々消すかもしれないのであしからず。これ、Galeの生誕100年記念の本に載る予定の論文なので、その際に出版社側から消せって言われたら消します。
 とりあえず今回はこの論文がなにを書いているかについて軽く解説をする……つもり。軽く……なるかなあ?

Gale (1960)の背景

 まずはここから書かないとね。今回の僕の論文はゲールの1960年の論文に深く関わっているので、そもそもゲールの論文がなにを書いているかという話をしておかないといけないのだ。
 1938年から話を始めたい。ポール・サミュエルソンは論文の中で、後に有名になる顕示選好の弱公理を提示した。なぜこの公理を提示したのかは、我々にはもうわからないと思われる。というのも、当時の経済学といまの経済学は違いすぎて、その関心ごとが完全に断絶しているからだ。
 その話について詳しく書こうと思ったのだが、ちゃんと話すと1エントリくらい書く必要がありそうなのでここでは簡単にだけ記しておく。現代的な理解だと、顕示選好理論は行動主体の行動が合理的であると認められるためには、彼が従う選択関数がどのような条件を満たしていることが必要か、あるいは十分か、を議論する理論だと考えられている(実はこれもちょっと怪しい)。そして、サミュエルソンは、少なくとも消費者の合理的行動のためには顕示選好の弱公理を需要関数が満たしている必要があるだろう、ということを提示した。
 問題はここで、合理的な行動とはなにか? という議論が持ち上がることだ。現代的な理解をすると、選択関数が合理化可能であるとは、ある弱順序の最大化行動と整合的であることを言う。だがサミュエルソンの時代にこれが定説であったかはちょっと疑問である。そもそも、連続な弱順序に対する効用関数の存在を示したDebreu (1954)より前の時代なので、その当時の経済学者が弱順序の最大化行動を合理的と呼ぶことに同意したかどうかにそもそも疑問符がつくのだ。そもそもその時代の彼らは、そんな定式化は知らなかったのではないか?
 まあ、これ以上ここに踏み込まないことにしよう。ともかく、現代的な解釈として弱順序の最大化行動が合理的という言葉の意味だと考えて、そのための「必要条件」として顕示選好の弱公理が示された。その後、Houthakker (1950)によって顕示選好の強公理が提示された。ハウタッカーは顕示選好の強公理を合理化可能性の「十分条件」だと主張していたようであるが、無差別曲線を微分方程式で議論していたりするので、どうも弱順序一般の話と捉えると無理があるのではないかという感じがある。最終的には、Richter (1966)が顕示選好の強公理は合理化可能性の必要十分条件だということを示してこのあたりの議論には一区切りつくわけだが、問題はそれより前の時代である。
 Rose (1958)などを見るとわかるのだが、ニューマンなどをはじめとしたその時代の影響力ある経済学者の一群は顕示選好の強公理をあまり信用せず、弱公理が合理化可能性の必要十分条件であると議論していたようである。ローズの論文は財空間の次元が2だと弱公理が強公理を含意することを示した論文であるが、ローズ自身は財空間の次元が3以上であるときに同じ結果が成り立つかどうかは疑わしいと思っていたように見える。とはいえ、これは自明ではない。つまり、たとえ上の知識をすべて持っていたとしても、もし顕示選好の弱公理から顕示選好の強公理が導出できるのならば、顕示選好の弱公理が合理化可能性の必要十分条件である可能性は否定できないことになる。
 そしてGale (1960)はまさに、上の可能性を否定する論文である。つまり、ゲールは顕示選好の弱公理を満たしながらも、それがどんな弱順序の最大化行動とも対応しないような需要関数を作って見せた。したがって顕示選好の弱公理は合理化可能性にとって「必要」ではあるが「十分」ではなかったのである。これがこの論文の持つメッセージであり、これがあるために、我々は顕示選好の弱公理では合理化可能性には不十分であることを知ることができたのである。

ゲールの議論の問題

 さて、上の議論は完成されているかのようにわざと書いたのだが、実はここで問題がある。一部の人々が、ゲールの論文について欠陥があると指摘しているのだ。つまり、ゲールは上の構築した需要関数が「顕示選好の弱公理を満たしながらも、どんな弱順序の最大化行動とも対応しない」ことの証明に失敗していたというのだ。したがって、ゲールの論文では上の議論には不十分である。この主張が正しいとすれば、実は顕示選好の弱公理が合理化可能性よりも「弱い」ことは、ゲール以外が証明したか、あるいはまだ証明されていない未解決問題であるか、どちらかになってしまう。
 で、僕はこの一部の人々の主張を検証することから始めた。その結果、次のことがわかった。第一に、ゲールは構築した需要関数が顕示選好の弱公理を満たすことをたしかに証明していることが確認できた。第二に、ゲールは構築した需要関数に対応している逆需要関数がヤコービの積分可能性条件を満たさないことを示していることが確認できた。ここからゲールは、この需要関数はどんな効用関数の最大化でも表せないと主張している(弱順序の、でないのは時代のせいだろう)。
 ここにギャップがある。実のところ、この需要関数が「連続微分可能で、全微分がどこでも0にならない」効用関数の最大化と対応しないことは、それがヤコービの積分可能性条件を満たさないことから言える。これはラグランジュ未定乗数法を用いて簡単に対偶法で証明できる。が、上の太字の条件がない限りこれは言えない。したがって、ゲールは構築した需要関数が「弱順序の最大化行動に対応しない」ことの証明には失敗していると言える。
 上の論文はまずこれをちゃんと確認することから始めた。そして、ゲールの主張である、構築した需要関数が「どんな弱順序の最大化行動とも対応しない」ことを、3つのやり方で証明している。

ゲールの主張の証明(1):ゲールが当時作れた証明

 まず最初に僕は、ゲール自体の証明が不完全だったことを受け、ゲール自身が1960年当時に自身の主張を証明できたかどうかを検証することにした。実のところ、ゲールは彼の構築した需要関数が顕示選好の強公理を満たしていないことを証明している。これはちょっと驚くべき結果で、そして重要な結果でもある。なぜなら、リクターの定理が述べるように、顕示選好の強公理は合理化可能性の必要十分条件だから、ここからただちに我々はゲールの需要関数が合理化不可能だと結論づけられるのだ。というわけで、我々の目から見るとこれでこの問題は解決なのだが、少し待ってほしい。ゲールの論文は1960年に書かれた。リクターの定理は1966年に出版された。ではこの論文の執筆当時、ゲールにはリクターの定理は使えない。
 ゲールは自身の論文に強公理と関係する二つの論文を引用している。片方はHouthakker (1950)で、もう片方はUzawa (1959)である。しかしこれらは、実は両方とも強公理が合理化可能性の「十分条件」であることを証明するもの(だと、少なくともゲールは説明している)である。そしてゲールの証明にほしいのは十分性ではなく必要性なので、これらはともにやはり使えない。では、ゲールはやはりこの問題を解決できていなかったのか?
 しかし、ここで僕はもう一歩踏み込んだ。つまり、1960年にゲールにとって「顕示選好の強公理を満たさない」ことから「合理化可能ではない」ことを示すことは可能だったのかを、ちゃんと検証してみた。その結果、顕示選好の強公理を満たす需要関数が合理化可能であることを示すのは非常に難しいが、顕示選好の強公理を満たさない需要関数が合理化不可能であることは簡単に証明できること、そのための知識が1960年当時になかったとは思えないことを見つけた。したがって、ゲールはたしかに証明を間違えていたが、彼自身が1960年に使える技術で簡単に彼の需要関数が合理化不可能であることを証明できていただろうから、顕示選好の弱公理を満たすが合理化不可能な需要関数を見つけた功績はゲールのものと言って不当ではないだろう、と僕は結論した。

ゲールの主張の証明(2):現代的な最短距離の証明

 ゲールが、彼の需要関数が顕示選好の強公理を満たしていないことを示していたのは衝撃的だった。というのは、普通そんなことできないからである。与えられた需要関数が顕示選好の強公理を満たすかどうかというのは検証が非常に難しく、別種の方法を用いないと普通は不可能である(なんなら、コブ=ダグラス型需要関数が顕示選好の強公理を満たすことを、ノーヒントで証明しようとしてみるといい。無理だから)。そこでもうちょっと簡単な証明を作れないかということで、僕が着目したのが微分可能性である。
 ゲールの需要関数は、値が内点に出てくるところでは何度でも微分可能になるというたいへんいい性質を持っていた。そこで、もしこれが弱順序の最大化に対応しているとしたら、シェパードの補題が使えるだろうと踏んだわけである。
 まず、背理法の仮定として、ゲールの需要関数f(p,m)が弱順序≧の最大化と対応しているとしよう。そこで内点であるx=(1,1,1)を用いて(言い忘れてたがゲールの需要関数において消費財の種類は3つである)、これに対応する支出関数

E(p)=inf{p・y|y≧x}

を構築する(ここで背理法の仮定を用いていることに注意)。シェパードの補題から、この関数は微分方程式

∇E(p)=f(p,E(p))

を満たし、またf(p,m)=xならばE(p)=mである。ゲールの需要関数ではf(1,1,1,3)=xだったので、p=(1,1,1),m=3とセットすると、上の結果から、支出関数のヘッセ行列が、(p,m)に対応する点でのfのスルツキー行列と対応していることが示せる。したがってヤングの定理から上の(p,m)のところでスルツキー行列は対称でなければならない。ところが具体的に計算してみるとスルツキー行列の(1,2)-要素は11/3で(2,1)-要素は-1/3、つまりスルツキー行列は対称ではない。これは矛盾であるので背理法の仮定は否定され、上のような弱順序は存在しない。これで証明が完成する。
 この証明は現代的には常識となった消費者理論の道具だけから構成されていて、ゲールのような天才でなくとも誰でも構築できるという点で美点を持っている。

ゲールの主張の証明(3):ゲール自身の証明の続き

 最後にこの論文で扱っているのは、「ゲール自身の主張である、ゲールの需要関数がヤコービの積分可能性条件を満たしていないことから、ゲールの需要関数が合理化不可能であることを証明できないか」という取り組みである。これは蛇足かなと思いつつ入れたのだが、結果としてここが一番長くなった。
 実は2013年に、僕はとある条件を満たす逆需要関数から、弱順序に近いが厳密には弱順序になるとは限らない二項関係を導出し、そこから作られた需要関数が元の逆需要関数に対応することを証明していた。そして、ゲールの反例は実はその条件を満たすのである。これの証明のためには、

sup{115x^2-140xy+115y^2-140x-140y+115|9/16<y<4/3,
9/16<x/y<4/3, 3/4<x<16/9}<0

とかいう、わけのわからない評価をする必要があって地獄を見たが、なんとか示せた。実はここがこの論文で一番つらかった……
 で、実は2013年の論文では、上の二項関係が弱順序になることと、ヤコービの積分可能性条件、そして作られた需要関数が合理化可能になることがすべて同値だということを証明していた。そしてゲールの作った逆需要関数はヤコービの積分可能性条件を満たしておらず、よって上の結果から、それに対応するゲールの需要関数は合理化不可能なのである。
 細かい話をし始めるとこのあたりきりがないのだが、つまりゲールの考えていた方向でも一応ゲールの主張は証明可能だということを示すことができたわけだ。ただし、このためには2013年の僕の論文の結果が必要であるため、これがゲールの時代にできたとは思えない。
 ちなみにこの証明はSamuelson (1950)の"three-sided tower"論という議論、それからPareto (1906)の"Open Cycle Theory"というものと密接に関係している。また、Villeの公理と言われる顕示選好理論の公理とも関係している。これらについても上の論文では詳述してある。

結論として

 ゲール自身はたしかに彼の需要関数が合理化不可能であることを証明できていないけれども、ゲールがそれを証明できなかったとは思えず、その材料もほとんどゲール自身が準備していたので、結局ゲール自身がこのような需要関数の発見者だという評価は正しそうである。
 一方、現代的に証明しようと思えば、ゲールのような天才でなくとも、はるかに機械的にスルツキー行列を用いて証明できる。
 最後に、ゲール自身の考えていた方向に沿っても証明は構築可能だが、その証明はものすごく長く難しいものになることを示した。
 というわけで、学説史的にゲールの貢献を眺めつつ、それを基軸に消費者理論の発展を見ていくということができたかなというのが、論文が完成して見直した僕の感想です。

 はい、以上です。

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