位相空間ってなんだと思う?

 はいみんな知っての通りこの言葉、ふたつの違う分野が同じ訳語選択しちゃったせいでめっちゃ不便だよねという話です。
 知らないわけがないと思いつつも一応解説すると、純粋数学、特に解析系の人間がこの言葉を聞けば、「ああ、topological spaceな」と思うわけだよ。ところがたとえば物理寄りの連中は「あー、phase spaceか」ってなる。ちなみに「位相をずらす」とかいう創作用語があるけどあれたぶんphaseの方な。
 経済学でも、ミクロ系はだいたい位相って言ったら「ああ、開集合の話ね」となるんだけど、マクロ系は「ん、位相図の話? オイラー方程式?」ってなる。このあたりがややこしいんで、一応それぞれの概念を整理しておこうってのがこの記事。知ってる人にはなーんも役に立ちません。
 さて、まずtopological spaceの方の位相空間の話。こちらは上で書いたように、「なにが開集合であるかを定めるルール」を「位相」と呼びます。開集合がなにかを定めるということは、たいていの場合「列の収束とはなにか」を定めることと対応するので、「どんな状態を「収束」と呼ぶかを定めるルール」を「位相」と呼んでも問題ありません。(列ってのはsequenceで、自然数からその空間への関数のこと。普通f(n)と書く代わりにf_nと書く)
 例を挙げると、実数の列(a_n)がaに収束しているというのであれば、これはaを含む任意の開集合Uに対してある番号Nが存在して、nがN以上ならa_nはUに入っている、と定義されます。この説明文の「実数の」という部分は実はいらなくて、「なにを開集合と呼ぶか」というルールが決まっていれば、あとはそれを用いて上の文章のように「収束」という概念を定義できるわけです。
 とはいえ、どんなルールでもよいというわけにはいかなくて、位相と呼ばれるためには3つの条件が必要とされています。第一の条件は、空間全体と空集合は開集合でなければならない。第二の条件は、開集合をいっぱい集めてきて(無限個でもよい)その合併を取ったとき、それも開集合でなければならない。第三の条件は、開集合二つの共通部分は開集合でなければならない。このルールが満たされていれば、どんなルールでも「位相」と呼びます。
 通常の位相は「距離」と呼ばれる二変数関数を用いて定義されるのですが、たまにそれでは定義できない位相があって、たとえば確率変数の収束について議論するときの概収束位相、あれは一般に距離で定義できないことが証明されてたはずです。一方でミクロ経済学でよく使われる閉収束位相のように、定義に距離はいらないけれども、実際には完備距離空間と見なせる(Polish spaceと言います。ポーランド空間という訳を見るがどうなんだそれ)であることが示されている例もあったりします。
 ……さて、ここまでがtopological spaceという意味での「位相空間」のお話でした。位相幾何の話は省略な。で、次、phase spaceという意味での「位相空間」はどういう意味かと言うと、これは自励系の微分方程式に関係する話です。微分方程式とは、

y'(x)=f(x,y(x))

という形で書かれる方程式のことです。この関数の未知変数は「関数y(x)」で、関数y(x)が連続微分可能で上の式を常に満たすとき、この方程式の「解」と呼びます。yは普通、値がn次元ベクトルなのでそこだけ注意。
 で、特にf(x,y(x))がf(y(x))という形で、つまりyだけの関数として与えられている次の方程式

y'(x)=f(y(x))

を、「自励系」と呼びます。さらに自励系の中で、fという関数が局所リプシッツ連続であるときを考えましょう。このとき、この方程式は初期値y(0)を定めると解が自動的にただひとつ定まるということが知られています。(Picard-Lindelofの定理。おおざっぱな説明だけど細部は省略)
 で、重要なのは上の自励系方程式、初期値がなんであれ解は一つなわけで。となると、0でないx^*に対してy(x^*)が与えられたら、y(x^*)をz(0)とする上の方程式の解zを持ってくれば、z(x)=y(x^*+x)となる。つまりいまの位置だけで、将来の軌道が全部決まってしまうのです。
 そこで、じゃあyの入ってるn次元ベクトル空間を持ってきて、そこでの軌道がどうなるかを調べてみようぜ、というときに出てくるのが「位相空間」。n=2のときは平面なので「位相平面」になるわけで、平面だと図でだいたいの解軌道がわかるので、めっちゃ楽に議論できるのです。マクロ経済学の「位相図」は、オイラー方程式と資本蓄積方程式の連立常微分方程式の位相平面の図です。最近疫病関係で有名なSIRモデルも、SとIについての位相平面を図示したりする議論が盛んですね。
 ちなみに、ポントリャーギンの『常微分方程式』の訳では、phase spaceは「相空間」となっています。半月前に会った生物系に近い数学者の人も、「相空間」とか「相図」と呼んでました。数学寄りの人間は「位相」ではなく「相」と呼ぶっぽいですね。
 で、創作用語の「位相をずらす」という話は……
 どこから出てきたんだろうねこれ。とりあえず、位相空間上だと力学的にどうにもならないので、違う座標導入してそっちに逃げるみたいなイメージでしょうか。位相平面を「断面図」だと見なしてるのかもしれませんが、一番最初に使い始めた人はなに考えてたのか、コレガワカラナイ
 誰か知ってたら教えてください。以上。

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