僕のボカロ個人史

数日前、この記事に出会った。

まあ、記事にコメントされた人のように、網羅的にはどうやってもできない点を除いてもこの記事タイトルは主語大きすぎだろと思うが、それは置いておく。べつに公益のためにnote使わなきゃいけない理由もないし、そういう記事もあるんだろうで終わる話だ。まあ週刊ぼからん終わったとか書いてるけどそれはスルーしとく。

それよりも僕はこの記事に驚くほどまったく、カケラも、一切共感できなかったことにちょっとショックを受けた。ボカロについてはかなりディープなファンのつもりなんだけど、「ボカロシーンを語る」記事でここまで距離を感じたのが初めてだったので、なんか僕が間違ってるのかな……とか思っちゃった。

いや、上でも書いたように、上記記事は個人史の側面がとてつもなく強いと思うし、網羅的に書こうと思うと読めない記事ができあがるのがボカロ界だと思うんで、まあ切り口は人それぞれですねって話かもしれないが……それに、僕自身は一ヶ月かかって数千再生が限度の良曲を日刊ぼからんを使って漁るタイプなんで見るところが違うのもわかる。

でもそれを踏まえてもこのまとめ方はちょっとなー……自分の好きな人の名前挙げたかっただけじゃねえの、という気がする。ナユタン星人の名前挙げてるけどあれが出てきたのと同時期にdeco*27がニコニコに帰還してるわけで、ゴーストルール聞いてないの? ってなる。ミク中心に追ってるって言ってるけどゴーストルールはミクだよ?

とまあ、そんな感じで初めてここまで異文化圏からボカロ追ってる人間見たわってなったので、心の整理を兼ねて少し僕のボカロ個人史について語っておこうかなって。僕はマイナーな曲漁るの好きだし好みは偏るけど、それはそれでいいよね。

1)2007年10月~2008年6月

記憶は定かじゃないんだけど、たぶん僕のボカロのファーストコンタクトって「なんかアッコにおまかせが炎上してる」からだった気がするんだよな……なので初音ミクとの出会いもぜんぜんポジティブじゃなく、「この炎上した騒動はそもそもなんなんだろう?」という好奇心から掘っただけです。

で、saturationと出会って、「へー、この曲調行けるなら期待できるな」って思って、桜の季節やミラクルペイントに熱狂し、メルトショックをなぜかスルーして、歌に形はないけれどに出会った。はい、このへんざっくりまとめてるけど実際のところこの時代の激変はいちいち書いてるとそれで記事が埋まるので(記事分割してもいいけど今回はそこまで語りたくない)、とりあえず僕がこの界隈に居続けることを決定付けたのは「歌に形はないけれど」だったことを述べておく。なにに衝撃を受けたかというと、「バラード形式の、ミクの声を中心に置いた歌」だったこと。それまでボカロを出来のよい仮歌生成ツール程度に見ていた僕の認識が完全にひっくり返った。これは「声」という「楽器」をデジタルに作るものだと理解した。

んで、2月末の戦争をたっぷり楽しみ、3月はココロに熱狂し、4月は消失に白熱し、5月はぼかりす騒動をたっぷり楽しんで、6月にパニック障害を発症して、それでいったんこの界隈への熱は収まった。病気になるとさすがにちょっと曲聞き続けるのは難しいよね……とはいえ、未だに僕のボカロ原体験はここで、「次々に新しい使い方が出てくる」というところにはまっていた。この点ではNEUTRINOにいますごく期待してる。もちろん初音ミクNTにもね。

2)2008年6月~2011年3月

この辺から、ボカロシーンの外側でバンドとかやってた連中が、「初音ミクで曲作ると聞いてもらえるらしい」という噂を聞きつけて次々参入してくる。deco*27と40mPがここで出てきてる。ぶっちゃけ僕はボカロ界隈でトップ3の作曲家選べって言われたらこの二人で二枠確定ですわ。なんていうか、活動履歴が長い上に、この時代からいままで全部コンスタントにヒットさせてるのがすごすぎる。三枠目? わかんないけど、たぶんすっごい悩んだ末にkemuを挙げると思う。

この時期には日刊vocaloidランキングやMMD、それからもちろんピアプロといった「ボカロ界のインフラ」が次々整備されていった時代でもあったので、見応えがあった。また、あまり有名でなかった人でも、いい曲を作って少しバズったら一気に10万再生まで行く幸せな時代だったとも思う。ぶっちゃけ砂の惑星聞いて思ったのは、この恵まれた時代を踏み台にした奴がなにぜいたく言ってんだ死ね、って感想だったね。いまはニコニコは恵まれてない。とはいえyoutubeには視聴者がつけられるタグ検索機能がなく、大百科もなくて、新人がのし上がれる環境じゃない。結局どこまで行こうとこの文化はニコニコじゃなければ無理なんだよ。

なんで2011年3月で切ったかというと、僕が未だに「ボカロで一番好きな曲は?」と言われたら即座に名前を挙げる「メテオ」がこのとき投稿されたから。ちょうど地震の後にみんなが沈んでいる時期で、有名なひとたちが「地震たいへんだけどがんばろう!」みたいな曲をたくさん投稿する中、颯爽と地震関係ない曲でぼからん一位取ってった……かっこいいわー。未だに最高に大好き。

3)2011年6月~2014年11月

まあおわかりだと思いますが、Vocaloidエンジンがver.3にアップグレードされたのが2011年6月8日。この発表会、クリプトンだけ呼ばれてないのは未だにかなり不穏だったと覚えている。実際、ヤマハに対する不信感がこの後どんどん募っていくんだよね。日刊ぼからんが2011年の年末に続行不可能になって、ヤマハが引き継いだんだけど、どんどんサービスが劣化していったのがその典型例。個人ではなく企業として引き継ぎ決めといてあの体たらくはなんなんだとマジであの当時激怒してた。挙げ句にめちゃくちゃなランキング生成するようになって撤退。馬鹿じゃねえの。

Vocaloid3はすごくいろんな企業が参加したけど、結局生き残ったと言えるのはIAだけだった……と言っていいかな? まああの発表会で発表されたキャラはみんな死んでるはず。またIAは「キャラクター」としての側面が非常に薄いソフトウェアで、よく言えば初音ミクと差別化できていると言えるが、悪く言えば「IA自体ではバズ効果はない」んだよね。gumiも同じで、結局あの辺が「出来のいい仮歌ソフト」から一歩踏み出せないのはそこで限界にぶち当たってると思うんだよね。初音ミクは、初音ミクだから聞く人間がいる。他はどうか。そういうことなんだ。ヤマハはそれをわかってないでクリプトンに喧嘩売ってたと思う。

そういう意味では、この時期に出てきた結月ゆかりは傑作だった。ボーカロイドの弱点である「元の声とまるで変わってしまう」という特性があって、たとえばミクだったら藤田咲の音声データでしゃべるソフト作るとミクじゃなくなってしまう。それを、「ボーカロイドにしても元の声と大差ない『人』を探す」という荒技によって、ボカロとボイロを同梱させて同じキャラですという商法を取るというあぜんとするような解決策をとったのがゆかり。ぶっちゃけいまでもミクとガチ正面から戦えるボカロってゆかりだけだと思うんだよね。

歌としては、僕はもちろんマイナーな曲が好きだけど、この時期に有名だった曲で思い入れのある曲も多い。つなまるさんの『paranoia』とか、てぃあらさんの『undefined』とか、とあさんの『ツギハギスタッカート』とか、もちろんneruさんの曲は毎回大好きでずっと聞いてたし、Mitchie Mさんはこの時期が一番好き。orangestarさんと出会ったのもこの時期だし、ナナホシ管弦楽団さんも大好きだったし、実はこの頃からOmoiさん大好きだったし、ああもう書き切れない。yukkedoluceさんも、みきとPもだ。

一方で、この時期一世を風靡していたカゲプロには僕は冷淡だった。なんていうか、物語音楽がクールな理由は、曲という短い中に必要な情報を完全に詰め込んでストーリーを理解させてきちんと完結させるからだと思うんだよね。カゲプロも最初の数曲はその方向だったけど途中から『カゲプロというラノベのキャラクターソング』になっていって、その時点でクールさがなくなった。曲としての完成度は上がっていったと思うんだけど、少なくとも僕の趣味じゃないね。

kemuはこの点、危ういラインながらも上の僕の基準を最後まで踏み外さなかったって点と、やっぱどれ聞いても音が気持ちいいんで尊敬してる。けどあんなことできるのkemuだけだよ。カゲプロに魅せられて似たようなことした人みんなこけたじゃん。挙げ句に……と、これ以上悪口はやめよう。そんなわけで2014年11月、Vocaloid4がひっそりと公開されてこの時期は終わりを告げる。

4)2015年1月~2017年8月

この時期からボカロ衰退論が深刻に叫ばれ始めるんだけど、僕は衰退したかどうかはともかく、ランキング上位と趣味が合わなくなったなとは感じていた。いい曲は相変わらずいっぱいあったんだけどね。はるまきごはんさんとかキノシタさんと出会ったのはこの時期だし。

ただまあ、いまになって俯瞰してみると、やっぱりつまんない時期ではあった。技術的な進展はだいたい終わりを告げ、上位層の新陳代謝も止まった。deco*27は好きだけど、2016年にもなって彼頼りの業界はさすがにどうなのよ、と思ってたりもした。かといって、僕にできることは曲を聞いて感想を言うことだけだ。それ以上は僕の権限にない。

唯一特筆すべきことはazumaさんが琴葉姉妹で革命起こしたことかね。カレンデュラは本当に革命的だったと思うよ。kotonosyncがあれでばーっと界隈に広まった。未だにボイロが面白い界隈であり続けているのはあの曲があったからだと思っている。

そんなこんなで過ごしていた時期に、2017年のミク誕がやってきた。10周年。僕はさほど興味がなかったんだが、ここで3つ事件が起きた。

第一に砂の惑星が投稿された。なんじゃこりゃあという内容だった。曲の完成度はさすがとしか言いようがなかったが、歌詞に激怒したのは上に書いた通り。自分だけ恵まれた時期にボカロ踏み台にして出て行きながらなに上から目線で煽ってんだテメエと思った。あれがあるから未だにあいつ嫌い。

第二に、アンノウン・マザーグースが投稿された。帰る場所を守っていてくれてありがとうという歌だった。僕は感動したし、この曲を聞いただけでも10年ボカロ聞き続けてよかったと思った。

第三に、君が生きてなくてよかったが投稿された。ボカロとはこれだと思った。このような認識がみんなにあれば、ボカロはまだ死なないと思った。

この時期、たくさんの対談が公開された。僕がいちばん印象に残っているのは、佐々木渉さんとMitchie Mさんの対談。Mitchie Mさんはボカロを踏み台にして出て行く人間に怒っていた。一方で佐々木さんは、それもまたボカロの使い方だと諭していた。僕はそれまでわりと佐々木さんのような見方をしていたけれど、これを見て考え直してみた。そうすると、Mitchie Mさんは「初音ミクが生きてたらこんな声だろう」という声を創作することについての職人だという事実に気がついた。つまり彼にとっては、初音ミクというキャラクターは彼の創作物なわけだ。そう考えたら、それを踏み台にされるのはたしかに嫌だろうなと思った。

「ボーカロイドはボーカルシンセサイザーだ」という僕の認識が変わったのはこの案件がきっかけだったように思う。人によっては、初音ミクというキャラクターはそれ自身が自分の創作物で、そういう人も内包しているのがボカロシーンなのだ。だとすれば踏み台にするにもある程度のマナーは必要なのだろう。こういう見方をするようになったのも、僕が砂の惑星を好きになれない根本的な理由の一つかな。あれはとっととべつの踏み台探そうぜって歌だ。

5)2017年9月~現在

最近になって、NEUTRINOによって大幅に技術革新があったのは喜ばしいことだと思う。前にも書いたが、キャラクター+ボーカルソフトとしての完成形は初音ミクと結月ゆかりで尽きていて、この二人にいまから勝つのはちょっと無理なんじゃないかと思っていた。が、「技術で殴る」という方向性があることを、NEUTRINOは教えてくれた。初音ミクよりはるかに使いやすいボーカルソフトウェアが出てきて、それに面白いキャラクターがついていたら、そのときが初音ミクの終焉かもしれない。残念ながらきりたんには未だ苦手な曲がけっこうあるようで、いましばらくの研鑽に期待したい。もちろん、初音ミクNTにも期待している。

技術以外の面では、週刊ぼからんがとうとう工作によって完全に機能を失い、またボーカロイド以外のボーカルソフトが増えすぎたこともあって、ルールを根本的に刷新したことが挙げられる。少し遅かった気がするが、ぼからんの失墜は心を痛める要因だったので、純粋に喜ばしい。

一方、界隈で曲を漁るための最も基本的なツールである日刊は、現在るかなんPという個人に専ら頼り切っている。いや、日刊が始まった頃からそうだったんだけど、ヤマハが引き受けた後放り投げて、その後そのままである。こういう、sippotanとるかなんPに頼り切った界隈がそのままでいいものか、ちょっとみんな真剣に考えた方がいいんじゃないかなあとは思う。あれらがなくなったときの損失けっこうすごいぞ? 付け加えると、個人の人間っていうのはいつ死ぬかわからんもんだからね? 作曲家に限定したって、有名な人でも消息不明ではなくしっかり訃報出たケースがけっこうあるわけで。椎名もた、samfree、wowaka……まだまだいるよ。

あとの問題は、やっぱみんなで集まっておすすめボカロ曲を持ち寄ってわいわい騒ぐ場、いまなくなっちゃったね。ボカロ本スレはとっくに廃墟、にゃっぽんは閉鎖、いま個人でtwitterで追うしかない状況で、その状況だと有名Pしか人を集められない。このへん、kiiteには少し期待していたんだけど、まだまだ力不足って印象だね……

そんな感じでいまに至る。これが僕のボカロ個人史だ。省略したところはいっぱいある。好きなPとかたくさん語りたいけど、でも今回はそういう記事じゃないんで。

さて、曲漁りに戻ろう。今日はどんな曲が投稿されてるのかね。

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