ルベーグ積分を学ぶ経済学者の話

 えっと、なんか頑張ってる人を見かけたので、一応ちょっと話題に出しとく。
 まず、学部レベルの経済学では、ルベーグ積分論はほとんど必要になりません。微分積分の微分側がやたら使われるのが経済学の特徴。なので、ルベーグ積分を学ぶならその先、つまり大学院~研究者レベルの話になるわけですが。
 いくつか階層に分けて、使う方向性を考えて勉強した方がいいよっていうのが今回の話になります。どの方向に勉強を進めるかでできることが全然変わってくるので、目標を立てて勉強した方がよいかなって。

(2/5、17時追記:ちょっと荒っぽすぎたので少し訂正加筆しました)


基礎

 基礎というか、ルベーグ積分を応用しようとするなら常識になるのが次の結果になります。

1)単調収束定理、ファトゥの補題、優収束定理
2)フビニの定理
3)ラドン=ニコディムの定理とルベーグ分解
4)カラテオドリの拡張定理と単調族の補題
5)ルベーグの微分定理
6)その他いくつか(リースの表現定理とかジョルダン分解とか)

 解説しておくと、1)と2)はないと無理。ほとんどなにも議論できない。3)はざっくりと確率論の用語で言うと、どんな確率も離散確率(みたいなもの)と連続確率(みたいなもの)の和に一意的に分解できるっていう結果です。このあたりは、ないとどの方向に進んでも困ると思う。
 4)は、実は2)を勉強するときに単調族の補題は当然勉強しているんで被ってるんだけど、とにかく使いまくるのだ。というのも、ある性質が任意の可測集合で成り立つことを示すときに使う定番がこの二つだから。最初にσ代数を生成する代数で証明しておいて、その後でこのふたつを使って全体に拡張するのだ。あまりに頻出するので覚えて損はない。
 5)については、微分積分学の基本定理の素直な拡張なので覚えておいた方がいいし、これに関連して関数の絶対連続性の特徴付けも学んでおいた方がいい。6)は、なんとなく入れてしまった。常識感があるんで、一応教養として。
 ここまでは基礎知識で、ここから応用の方向性でいろいろ分かれることになる。

微分方程式

 どういう経緯でも、経済学で微分方程式を使うことは割とある。確率微分方程式はもっとあるかもしれない。そして微分方程式にしろ確率微分方程式にしろ、基本的には積分方程式に還元して考える。たとえば、

x'(t)=f(t,x(t))

という簡単な微分方程式であれば、

x(t)=∫f(s,x(s))ds+C

という積分方程式に還元して解く。この際にfが連続であってくれるとリーマン積分で事足りるのだが、fがカラテオドリの条件を満たす非連続関数だったりすると一気に話は難しくなって、ルベーグ積分の知識がないと議論できない。その場合の解も基本的には絶対連続になるので、絶対連続性の定義も知っておかないと議論できない。例として、消費に不連続性を許容した資本蓄積方程式

k'(t)=f(k(t))-c(t)

は、c(t)が連続でない場合には必ずしも左辺がリーマン積分可能にならないため、ルベーグ積分の知識がないと頭を抱えることになる。たったこれだけでルベーグ積分が必要になってしまうわけだ。ここで必要になるのは以下の知識になる。

7)カラテオドリの存在定理

連続時間マクロ動学モデル

 次に、上の方程式に関係してマクロ動学の話を。連続時間のマクロ動学モデルでは、目的関数自体が積分である、たとえば

∫e^{-ρt}u(c(t))dt

みたいなのが教科書でも出てくる。このc(t)が不連続であることを許すと定義自体にルベーグ積分の知識が必要になる、というのは上でも述べた通りだが、今回はもうふたつ厄介なところがある。第一にオイラー方程式を導出することで、これは一階条件を変形したものなので、上の関数を連続関数c(t)について微分するという操作が必要になる。本来ここでポントリャーギンの最大値原理を使うことになるけど、これはバナッハ空間のものすごいたくさんの知識が必要で、非常に面倒くさい。フレシェ微分やガトー微分だけではなく、もっとたくさんの知識が必要になるのだ。ただここは、裏技としてこれをもっと簡単に議論する方法を実はいまKeio Economic Studiesに投稿中。なんだけど、簡単と言ってもやっぱり優収束定理に対応するものは使わざるを得ない。第二に、解の存在はどちゃくそに難しい。というのも、普通は最大化問題の解の存在というのは、「定義域がコンパクト集合で」「目的関数が連続であるから」存在する、というやり方を取る。だけど上の関数、c(t)の空間にどんな位相を入れても簡単にはこの二つを両立できないんだ。
 簡単に問題を整理する。まずc(t)は簡単化のために可積分関数として議論しよう。可積分関数の空間はL^1空間と言われる。だがL^1空間の部分集合のコンパクト性はめちゃくちゃ厳しい条件が必要であることが知られていて、制約条件を満たすc(t)の集合は普通コンパクトにはならない。
 そこで次に登場するのが弱*位相。弱*位相はリースの表現定理を使って双対空間により定義するわけだけど、アラオグルの定理から、弱*位相でのコンパクト性は非常に簡単に特徴付けできることがわかっている。つまり、「有界閉集合」である。これならいけそう、と思うかもしれない。弱*位相は双対空間に適用するものなので、L^1空間はL^{∞}空間の双対空間ではないという問題が地味に発生するが、まあそこは置いておく(実はこれが本当に厄介で厳しい)。ところがここでさらに問題があって、弱*位相は名前の通り普通のL^1位相より「弱い」。つまり、開集合が少ないのである。連続性の定義は、開集合の逆像が開集合になることだから、開集合が少なくなると連続になりにくくなる。つまり、上の目的関数が、この位相で連続になるかがわからないのだ。
 これを助けるのが、マズールの定理。これはハーン=バナッハの定理とその系である分離超平面定理のさらなる系で、凸集合については普通に閉であることと弱閉であることが同値になるという定理である。これを利用することで、弱*収束する点列の凸結合をうまいこと取ることで、普通のL^1位相で収束するような列が取れる。ここまで行けばわりと素直に議論できて、後はL^1収束から測度収束を出して、測度収束から部分列を取って概収束を出して、優収束定理で解に収束することを示して終わり。
 実は上の議論はめちゃくちゃ乱暴で、というのはc(t)は普通可積分ではないし、有界でもない。それから弱*位相は距離付けできるかわからないのでコンパクトと列コンパクトの同値性があやふやで、エバーライン=スムーリアンの定理(Eberlein-Smulian theorem)というのが必要になる。この辺埋めていくとクラクラする議論が必要なので、実はマクロ経済動学の解の存在定理って普通まともに示されてないんだよね……僕、見たことほとんどないわ。さらに最先端だとこれに加えて確率ショック入れるからな。わけがわからなくなる。
 まあともあれ、この文脈で必要になる知識は以下の通り。

8)弱*位相、マズールの定理、その他諸々

確率論と統計学

 こっち側はまた別方面でエグいんだ……確率論だとたとえば、中心極限定理を厳密に証明したい! とか、ブラウン運動を厳密に理解したい! とかいう欲求が出てくるんだが、まず僕の体験した限り、確率論や統計学で最も重要になるのは「関数空間の位相」です。つまり、確率変数Xというのは確率空間から実数とかそのあたりへの関数として定義されるわけだけど、この確率変数の列が収束するという概念自体が、僕が知っている範囲でもめちゃくちゃ多くあって、「概収束」「確率収束」「法則収束」「分布収束」「L^p収束」あと最近流行りの「Mosco収束」このくらいある。当然全部定義が違って、それぞれの関係も入り組んでいる。はい、では問題です。中心極限定理の極限ってどの収束での極限ですか? これに即答できない人はあの定理を理解してないですね。
 ちなみに答えは法則収束だよ。より正確に言うと、あれの証明はi.i.d.な確率変数(X_i)の従う法則Pをフーリエ変換してできた関数(特性関数)の各点収束を示しているんだけど、レヴィの連続性定理ってのがあってここから法則収束が言える。ところが法則収束ってけっこう扱いが難しくて、概収束はおろか確率収束より弱いんだ。(ちなみに分布収束とはなんかの条件下で同値性あった気がする)ということはフーリエ変換の知識がここでいるわけだ。
 他の例としては、確率変数の法則を議論するときに、スティルチェス積分の定義が必要になる。また、法則収束や確率収束は距離化可能なので、その距離(Ky Fanの距離とかProhorovの距離)を知ってないと議論しにくい。あとポルトマントーの定理も知らないとまずい。それから、確率空間がある程度リッチでないと狙った確率変数があるかどうかがわからないことになるが、このためにはブラウン運動と停止時刻を組み合わせて作るスコロホッドの埋め込み定理が必要になる。
 このように、ガチ統計しようとするといきなりこのあたりの知識がばーんと降ってくる魔境が確率論だ。止めはしない。実際、勉強すると無敵の実りを得ることができる。だがあえて言っておく。おい、その先は地獄だぞ?
 あ、というわけでこのあたりで必要な知識はこのへん。

9)スティルチェス積分
10)さまざまな収束概念とその関係、距離、フーリエ変換
11)スコロホッドの埋め込み定理

 あとまあ、絶対これを勉強するときには習うけど、一応追加で

12)ボレル=カンテリの補題

も入れとく。

確率微分方程式、金融工学

 はい、この分野僕あんまり詳しくないです。一応認識している話だと、たとえばブラウン運動W_tがあったとして、これでスティルチェス積分

∫f(t,x(t))dW_t

を取ることを考える。できるかというと、できないんだ。なぜならW_tのサンプルパスは確率1で「有界変分ではない」という性質を持つ。そしてスティルチェス積分可能性の必要十分条件は有界変分であることなので、無理なんだこれが。あっはっは。
 だから、伊藤積分を定義する必要があるわけですね(メガトンコイン感)
 というわけで、このあたりちゃんとやると積分論の普通の知識が使えないという頭おかしい話になります。あとは二次変分をちゃんと理解しないといけないのでそのあたりも大変面倒くさい。僕は伊藤の公式まで勉強したあたりで止まっているのであとはあまり詳しく知らないので、この辺みんな勉強して僕に教えてくれ。
 とりあえず知識としては、

13)ブラウン運動、伊藤積分、二次変分

あたり挙げておく。ごめんこれ以上知らないのだ!

ゲーム理論

 ゲーム理論だと、ルベーグ積分が問題になるのは進化ゲームで微分方程式を使う場合でなければ、おそらくはベイジアンゲームまわりだと思う。この過程で最も重要になるのは戦略で、これはシグナルの空間から行動の空間への可測な関数である。これは純戦略の定義だが、純戦略だと普通解の存在とかが出しにくいから、混合戦略を考えたくなる。ところがこれはシグナルの空間から行動の空間への可測関数の空間上の確率測度である。ややこしすぎる! というわけで、文脈上は行動戦略と言われる別の戦略が使われる。これは、シグナルの空間から、行動の空間の上の確率測度の空間への関数である。
 ということは、行動の空間の上の確率測度の空間についての位相の知識が必要になるわけだ。だから確率のところで挙げた10)が必須になる。さらには、行動の空間がコンパクトだったり完備だったりしたときにその性質が確率測度の空間に引き継がれるか、そもそも確率測度の空間にはどの位相を入れるのか、とかいう議論が必要になる。そこさえクリアすれば後はまあ、標準的な独立性とかの知識があればわりとなんとかなる場合が多いかな?
 というわけでここは10)ともうひとつ。

14)測度の空間の位相的性質

最後に

 というわけで、どの方面に行くにしろかなり基礎知識がたくさん必要だという話でした。僕は微分方程式の専門家だからあえて言うが、これが一番マシでは……?
 あ、あと、ポントリャーギンの最大値原理に手を出すことはおすすめしない。証明を翻訳したことあるけど、あれ地獄だよ? 以上。

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