デデキントの切断公理についてのメモ

 なんか昔、これを書け書けと言われてた気がするんだけど、つい放置してたネタだったんで、まあせっかくnote始めたし書いとくかなっていう。
 で、実数体の理論はわりと好きなんでいろいろハマって自分でガリガリ計算したりもしてみたわけだけど、実数の連続性の公理、あるいはそれと同値な数体におけるデデキントの切断公理について、勉強しようとするとあんまりいいテキストないなあってのが正直なところなんだねえ。杉浦さんの解析入門はデデキントの切断、出て来ないし。高木貞治の本のは載ってるけどなんか中途半端だし。
 なにより問題なのは、「なんで実数をあの形で公理化するのか」ということが、主要な教科書のどこにも書かれてないことだと思うんだよね。「実数はこういうものです、じゃあこれ研究しましょう」で納得できる学生はいいよ? いや僕も実を言うとそういうタイプだよ? だけどあんまりそういう学生、多くないと思うんだよ。公理系の中で体の公理と順序の公理は、数の性質として自然だからいいとして、なんで連続性の公理なんてけったいなものが「実数の性質」として必要とされてるの? ってところを、誰も説明してない。じゃあいちおう説明つけとくかってのがこのページの趣旨っす。
 んで、まずデデキントの話の前に、「なんで有理数で満足できなかったか」って話からしよう。いろんなところに書かれている有名な伝説だけど、かつてピタゴラス教団という数の秘密を探る団体が紀元前の……あれってシチリア島だっけ? まあともかく地中海のどっかにいたんだけど。首魁であるピタゴラスは有理数がお気に入りで、すべての数は有理数だと思っていた。ところがここで弟子のひとりが、直角二等辺三角形の短辺と長辺の長さの比が、絶対に有理数にならないことを証明してしまった。んで、ピタゴラスは自分の説は曲げられなかったが、一方で弟子の証明が間違っていることも示せなかった。悩んだ挙げ句彼はこの弟子を処刑してしまう……というのが、伝説。
 実際にそうだったかはまあ置いとくとして、この話の前提にあるのは、「直角二等辺三角形の短辺と長辺の長さの比」というものが、数「でなければならない」という哲学だ。この哲学さえ放棄してしまえば、ピタゴラスは弟子を処刑する必要はなくて、単に「その比は数ではない」と言ってしまえばよかっただけの話。もうちょっと具体的に言うと、「短辺の長さを1としたときの長辺の長さ」に対応する数は、「なければならない」という前提が、みんなのどこかにあったということになる。
 そこで、数と呼ばれるものへの要請として、「任意の線分は、その長さに対応する『数』が存在する」というものが、この時代からあったという風に考えてみよう。(以降、要請1と略す)これを「数直線」という近代的な構造物の中で考えると、どうなるか。
 まず、数直線というものはなんなのか、思い返してみよう。これは仮想的な、無限に長い横に伸びた線である。その中に二点、特別な点がある。まず最初に、「0」という名前を与えられた点が、線の中にある。そしてその右側に、「1」という名前を与えられた点が、線の中にある。
 他の点は、これらの点を補助として作られる。まず、たとえば「2」というのは、「1」という点がもし「0」だったら、「1」がある場所はどこかというのを探して、該当する点につけられた名前だ。「3」「4」「5」も同様。「-5」というのは、そこが「0」だったら「5」の位置に元の「0」が来るような点だ。
 今度は演算を考えよう。「3+2」というのは、「3」の点が「0」だったら、「2」になっている点を指す言葉だ。お察しの通り、それは「5」である。「3×2」の方は、「3」の点が「1」だったら、「2」になっている点を指す言葉だ。これも少し考えればわかるように、それは「6」である。こうして足し算とかけ算は定義できる。マイナスの概念があるので引き算も定義できる。
 が、割り算を定義するためには、分数を定義しなければならない。まず「1/3」を定義してみよう。これは、「1」がもし「3」であれば、そのときに「1」になる点を指す言葉である。「7/3」も同様に、「1」がもし「3」であれば、そのときに「7」になる点を指す言葉である。こうして分数が定義されれば、後は割り算は簡単で、「3÷2」は「3×1/2」を指す言葉だと理解すればよい。
 というわけで数直線を考えることで、有理数体に対応する点が全部出てくることはわかる。そこで、これに最初に述べた「要請1」、つまり「あらゆる線分は、その長さに対応する「数」が存在する」という文章を、数直線の中で表す方法を考えてみよう。それは、簡潔に言うと、数直線のどこに「目盛り」を打っても、「0からその目盛りまでの線分」を表す「数」がなければならない、という要請を指している。
 これで具体的に書けたかというと、そうでもない。「目盛りを打つ」という概念がwell-definedでない。そこで、この「目盛りを打つ」というのを、「数直線を目盛りの左側と、目盛りの右側に分割する」という風に解釈してみよう。こうして、我々は「切断」の概念に行き当たる。数体Xの「切断」とは、数体の分割となる二つの部分集合AとBのペアで、Aの要素がBの要素よりも常に数直線の左側に位置しているものを指す。「数直線の左側に位置する」という言葉がわかりにくければ、「Aの要素はBの要素より常に小さい」と、順序構造を使って言い直してもいい。
 で、デデキントの切断公理とは、「切断(A,B)を取れば、Aに最大値があるか、Bに最小値があるかのいずれかが成り立つ」というものだが、これは言い換えると、「切断(A,B)には、それに対応する目盛りの点を表す「数」が必ずある」ということである。
 ……はい、説明終わり。つまり、デデキントの切断公理というのは、上で挙げた「要請1」を集合論的に書き直しただけのものだったわけだ。その意味は「すべての線分の長さは数で測れなければならない」……と考えれば、ああ、この公理たしかに必要だわ、と理解できるのではないだろうか。
 うん。書きたいこと書けて満足した。おわり。

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