手放すまでは、ぼくらのもの
まとまった文章を書くのが久しぶりなので、うまく伝えられますでしょうか。お久しぶりです、白井宏幸です。
もしかして、「クロス×シーン」という作品を見た後にこのブログに辿り着いてくださる方もいらっしゃるかもしれません。みなさま変わらずお元気でしたら嬉しいです。
稽古場ブログとしながらも、今はちょっとだけお稽古から離れていて、久しぶりに家族とひとつの部屋ん中にいて、そこであれこれ文章を考えております。来週の今頃にはには舞台も無事に終えていて、また日常に戻れていればよいなぁと、そんなふうに考えています。
とはいえ、なんだかんだ頭の中には僕が演じる保坂優輔という人や彼を取り巻く環境やら縁やらについて考えてばかりいます。
演劇含め、芸術作品なんてものに答えはないもんですから、見てくださった方がお好きに評価してもらったり、あーだこーだと話のネタにしてくれたり、大事に心に抱えてもらったり、ふとした時に思い出してくれたり、なんだっていいんです。そちらに手渡った後にどんなものがうまれるかですので。と、僕の考えはこうです。
ですけれど、手渡すまではこちらの領分なので、手渡すギリギリまではほんとにほんとにこだわって、考え続けていきたいなぁと思っているんです、僕。
つい先ほど。たくさんの人にみてもらった通し稽古が終わりました。何度も最初っから最後まで一通り通すお稽古を重ねても、まだまだ新しい感覚が出てきます。今日も、僕にとって面白い驚くような発見がありました。日々の稽古はそういう驚きの連続です。めちゃんこ楽しい。でも、くりかえし、と思ってやってるよりは今日みたいにはじめてみてくれる人がいる前でやるときのほうが、そういう発見が多いんですけど。
これまでみなさんも、こっからのみなさんも、もちろん僕も。サイコーな瞬間とかサイアクな瞬間ってあったと思うんですよ。そういうのひっくるめて、愛せるような。そんな作品になればいいなって思っています。いいことばっかりがいいことじゃない、というか、自分にとってサイアクな瞬間だったとしても、いつか「そのサイアクな時」が必要だったかもしれない、って思い返すことができたらポジティブじゃないかなぁ、って思ったりもします。その理屈でいくと、ネガティブだって悪いことじゃない、みたいなことになってややこしいんですけど。
なので、僕は、今回の作品の中で、サイアクな瞬間はよりぶちのめされて、サイコーな瞬間はより楽しんで、ってなれるように思って役の人を生きています。ほんで、誰かに見られてると、想像してた以上にサイアクにぶちのめされてクッタクタになってしまうこともあるんですけど。
こっちからは、そんな感じです。
受け止めてくれた人は、本当に勝手に、自由に、想いを馳せたり思い出したりして、嬉しくなったり愕然と凹んだり、なんだかんだなってくれたらいいなーと。渡してしまった後はもう、みなさまのモンなので。
なので、もう少しだけ、僕らで、僕らの手の中にあるうちは、いいもん作れるようにあがいてみようと思います。
まだまだ、生まれる可能性はたくさん残ってると思うの。も少しがんばるよー。
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