見出し画像

「好きなことも仕事になると嫌いになる」の中身

 例えば、料理をするのが好きな人が一生懸命頑張って料理人になったとする。勤務先のレストランでは、一日中大好きな料理のことを考え、腕を磨いていく。そして、自分が作った料理に喜ぶお客さんが大勢いて、「ごちそうさまでした!」と毎日言われる。
 まさに思い描いていた料理人生活はこんな感じで、ますます料理が好きになっていくだろう。

 1年経って、ウナギ料理に挑戦することになる。料理人になる前に買ってきたウナギは捌かれていたものばかりで、生きたウナギを捌くのはチャレンジングだ。難しいし、ぬめぬめしているし、注文は絶え間なくやってくるし、ある日指を切ってしまったし、、

 5年経って、新メニューを考える立場になる。旬の食材は何か?お客様に人気のメニューは何か?必死に考えて試食と微調整を繰り返す。お客様に提供する料理を調理する時間などなく、それは後輩に任せて自分は新メニュー開発に全力を注ぐ。

 「ウナギを捌くのがストレスで、料理をするのがいやだ」
「自分が本当にやりたかったのは、新しいメニューを考えることじゃなくて、お客様に料理をとどけることだった」

 「好きなことも仕事になると嫌いになる」の一つはこういうことなんじゃないかと思う。(もちろん他の経路もあると思う)
とある仕事のとある側面に魅力を感じてその業界に飛び込む。仕事をしていくにつれて、自分の知らなかった側面をたくさん知っていき、更なる興味につながるものもあれば、モチベーションに繋がらないものもある。
本当は「ウナギ料理」だけが苦手なはずなのに、気づけば「料理」自体が苦手になっているかのように感じる。

 湖に飛び込んだと思ったら大海原だった。こんなに恵まれていることはないし、感謝の気持ちは自覚しているのに、負担に感じてしまう。
 どれだけ努力を積んでも、シミュレーションをしていても、新しい環境に飛び込むと「思ってたんとちゃう」挑戦には出くわすのだと思う。

 こうなった時どうするか?22歳の現状での答えは、「気合と知性」だ。
 大海原を乗り越えてやる、全貌を把握してやると思える気合と、泳ぐのではなくて漂着物で船を作ってしまうような知性が必要なのだと思う。

 心技体は難しい順に並んでいるといわれることがある。この場合、「心」が気合で「技・体」が知性に該当するだろう。
 いつだって気合十分だったら迷うことなんてない。自分の気合はどうやったら入るのだろうか?気合の本質は何なんだろうか?

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?