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2人のライトワーカーな言語聴覚士のライトワーカーな日々。その2

穏やかな朝の日曜日。

家族が起きてこない一人の時間はとっても癒しの時間。

ただただぼーっとする。癒される。

言語聴覚士とライトワーカー

これはとても良い組み合わせだと思う。

言葉を操り、人の生死に関わる仕事。

現場ではいつもとても神秘的に感じている。

看取りの人は、本当に神聖な世界にいるようでそこにポンとお邪魔させてもらう感覚に陥る。

その姿はとても美しい。

一回一回紡ぐように行われる呼吸。

その一回の呼吸が、今、命をつなげるために
とても価値あるもの。

その呼吸音を聞いていると、
あぁ今この人は生きている。

でも、限りなく曖昧な世界にいるんだろう。

そして不安も恐怖もない世界で
こっちを見てるんだろうと感じる。

命が行ったり来たりする場。

とても神聖だと感じる。

その場所で私は何ができるだろうといつも思う。

だってもはや完成されているから。

私にできることは邪魔をしないこと。

穏やかさを失わせないこと。

楽しみ程度の食を無理強いしないこと。

最低限これは守りたい。

その年数は違えども、一緒の時間を生きてきてくれてありがとうと思いを込めて。

人は死ぬ時、最後必ず美しくなる。

キューブラーロスの五段階

否認、怒り、取引、抑うつ、受容

看取り期においても
一人一人の個人の中でこれらは行われてるのではないかと思う。

そして最後、全ての欲が剥がれた時
その一瞬の姿は人は皆美しくなっている姿だと思う。

私にはそう感じられてならない。

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