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それは「私’」の失敗

(※「失敗」をテーマに
 実際に聞いた話を、
 ドキュメンタリータッチで
 書いてみました)

ーーー

AとA’(エーダッシュ)、
BとB’、
そして、私と私’(わたしダッシュ)

それは、「私」の失敗ではなく
「私’」の失敗だった・・・

木村香織(仮名)は、
木村家の次女として生まれた。

一人目が女の子だった木村家では、
「二人目こそ男の子を!」という
”期待”の声が上がっていた。

そこに生まれたのが香織だった。

周囲に
「また女か」
と言われた香織の母は、
心に決めた。

「この子は絶対に
 優秀に育ててやる」

香織が物心ついたときには
公文に入っていた。
いうまでもなく、
母の意向だった。

小学二年生の夏休み。
母は香織に
「一日プリント百枚」という
ノルマを課した。

最初はこれをこなしていた香織も、
ほどなく
「自分は夏休みに何をしてるんだ?」
と我に返った。

しかし、香織は
母に嫌だとは伝えられず、
別の方法で課題をこなした。

母が留守中、
公文から母が預かっていた
回答集を盗み出し、
これを書き写した上で、
もとあった場所に戻した。

母には、
「ノルマを達成した香織」
を見せていた。

この頃から香織の中で、
「本当の私」の他に、
「母親の前での私」が生まれ始めていた。

その後も公文は続けた。
持ち前の負けん気の強さがあいまって、
高校は県内の進学校に進んだ。

高二の夏だった。
試験の成績がたまたま良く、
上位校をも視野に入れたクラス
―「発展クラス」に入った。

香織の志望校は県外の医学部だった。
香織の住む地域では、
「県外」の医学部は一つのブランドだった。

しかし、
県外医学部を目指すにしても、
発展クラスである必要はなく、
もう一つ低いクラスでも、
志望校対策としては十分だった。

とはいえ、
下のクラスの学生からしたら、
上から来る人は疎ましい。

加えて、
そもそも下のクラスに
レベルを落とすということ自体、
恥ずかしいことであった。

香織は、
発展クラスに身を置き続けた。

しかし、
いつも難しい問題ばかりが出された。

「毎日自分を取り繕って、
答えを見て、
答えを分かっている風に
装っていました」

自分でもそう分かっていながら、
誰にも相談できず、
実力も伸び悩んだまま、
受験当日を迎えた。

「もう、受けてる時に
『あ、ダメだ、終わった』って
結構気付いてて…」

あるいは、香織としては、
受ける前から
結果は見えていたのかも知れない。

だからこそ香織は、
いっとき落ち込みはしたものの、
それほど引きずることはなかった。

しかし、
自分以上にショックを受けていた人がいた。

母だった。

幼い頃から公文に通わせ、
高校も進学校に行った。
しかも、志望校より高いレベルの
クラスに所属していた。
そんな「優秀な香織」が、
まさか落ちるとは…

しかし、
母が見ていた香織は、
「香織’」(香織ダッシュ)だった。
受験に失敗したのも、
「香織’」であり、
香織にしてみれば、
「私’」に過ぎなかった。

香織の中で、
母のための「香織’」は、
もはや存在意義が失われた。

香織は、
県内の医学部がある大学に
自ら連絡し、足を運び、
研究機材を前にして、
直接話を聞いた。

「医学部ならどこも同じだなって
 気付いたんですよね。
 むしろ県内だったら友達もいっぱいいるし、
 親元でぬくぬく大学生活送れるし、
 県内で良くない⁈って」

「本当の香織」が満面の笑みを浮かべた。

一浪を経て、
県内の医学部に進んだ香織はいま、
「本当の香織」だけで生きている
― のではない。

今も「香織’」と共存している。

ただそれは、
誰かにとって都合の良い存在ではない。

本当の自分がどのように考えているか
それはしっかりと自覚しつつ、
しかし社会との折り合いはつける。

「本当の香織」を維持するための
「香織’」との共存である。

「本当の私」を殺して生み出した
「私’」の失敗―その経験はいま、
「本当の私」を生かすための
「私’」へと引き継がれている。

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