見出し画像

平和のかけら#3 スーサイド パラドクス


 鉄の扉が勢いよく閉まった。何もない部屋にはその金属の音はよく響く。手錠を掛けられた両手首には細い痣が痛々しく浮き上がっている。
「はぁ、ようやく終わったか……」
アラビア語かなんかで情報を吐けと怒鳴られるがもう喉も枯れて自分の名前すら言う気になれない。
静かな室内には両手に括り付けている手錠と鎖の擦れ合う音が鼓膜を伝う。
 捕まってから二週間かそこら、十分な水はおろか新鮮な空気すら吸えていない。狭い個室の中自分の血や汗で湿った空気が嫌というほど肺に入ってくる。極度の脱水症状や栄養失調で頭もしっかりと回らない。自分の仕事もここまでか……身体から力が抜けていく。
自分の意識はコントロールできず遠のいた。
 
二〇〇〇年代初頭本国で起こった同時多発テロによって国対国ではなく合衆国政府は、対テロへと代わり国内外におけるテロリズムとの戦いが始まった。当時の私は母親の運転する車で学校まで送られる途中であった。いつも通りのラジオを聞いていた。急遽放送内容が変更され、ニュースをキャスターが読み上げる。坦々と読まれたその原稿にはどうも現実味に欠けていた。状報も錯綜しラジオ局ごとに違う内容を伝えている。小型機がぶつかった。や操作ミス、旅客機がビルに突っ込んだなど、どれも現実味に欠ける、何かの小説を読み上げているのかと思ったほどだった。母親の方を見ると電話のアンテナを伸ばし父親に連絡を取ろうとしていた。
「つながらない」
 母は困った様子で一言呟く。
「そんな顔しないの、レナ、大丈夫よ」
母の声はこの数年の激務で忘れてしまった。しかしいつもとは違う日常に、私の心のどこかに恐怖という感情を幼心に刻み込んだ事は確かだった。母親は、私を安心させるように手を優しく握る。あの人肌という温もりはなかなか忘れられないものだった。指先や手のひらに感じた暖かさはすぐに記憶から浮かびあがる。
 
うぅ……
口の中に広がる慣れた血の味と切れた口内の痛みが現実へと引き戻す。人間は意外とやわじゃない。こんな所で知りたくは無かった。
本部には自分のヘマが届いているだろうが助けてくれるかは話が別だ。折角あと少しの所まで行ったのに……場所は教えているから私の情報に信憑性と重要性があれば助けに来てくれるはず……そんな淡い期待にすがる事しかする事ができなかった。また数時間もすれば奴らが来て拷問の時間だ。今は少しでも体力の回復に専念するため、もう一度考えるのをやめた。
その時はすぐにやってきた。
鍵を開ける音、扉の開ける音、それに私は敏感になっていた。心の準備をしなければいけないからだ。
もしかしたら今回で死ぬかもしれない、そう思うと毎回と言っていいほど仕事選びを間違えたかもしれないと、少しの後悔の念が出てくる。それと同時にかかってこい、なけなしの反抗心を燃やしていた。
奴らの集団は多国籍でなっている。私もそれなりに語学を学んできてはいるがすべては分からない。
「きょうでここも、おさらばさ。俺たちはお前たちの国へ行く。だから今日はお前に乱暴する必要もないな。ここで指くわえて待ってな」
 男の言葉を脳内で直訳すると無意識に安堵の溜息が出ていた。安心している場合では無い。いつでも奴らは合衆国国民に牙をむく事ができる、そういう事だ。こいつらを止めたいのに身体が動かない。手榴弾があればこの場で迷わずピンを抜くだろう。なにを言っても止める事はできない。奴らは笑いながら部屋を後にした。複数の足音が遠き、金属の扉が勢いよく閉まる。
 もう時間がない。
 手錠を横に引っ張るが当たり前のように金属はびくともしなかった。手首から血が滴り始める。痛みなど、この際どうでもよかった。鎖は音を立てるだけ同情など一切無い。アクション映画なら基地ごと壊滅するとかのシナリオが妥当だが、あいにくここはリアル。マッチョでもなければスーパーパワーもない。外に連絡する連絡手段すらない。どうにもならなかった。
 無常にも時間だけが過ぎていく。第二の『9.11』を防ぐために私はこの仕事に入ったのに無力さが身体中の傷に塩を塗り込むように痛んでくる。
 くそ、くそ、くそ。自分の失敗を何度も何度も悔やんだ。体中に力を入れるがやはり拘束を解く事は出来なかった。カロリーはいたずらに消費され、いつしか眠りについていた。気絶といった方が正しいのかもしれない。
 
ふと目が覚める、あれからどれぐらいの時間が過ぎていたか分からない。
 
外がなにやら騒がしかった。扉の外で打撃音が聞こえてくる。人を殴る音だ。この二週間自分自身が聞いてきた。あの音だ。数発の後扉にぶつかりノートルダムの鐘の様に部屋に鳴り響く。何が起こっているのか一考に理解ができなかった。ただただ恐怖でしかなかった。
年季の入った建付けの悪い扉は金属の嫌な音を立てながらゆっくりと開かれる。一人の足音が近づき目の前までくるのが分かった。
「大丈夫ですか? CIA職員のレナ・ファミルですか?」
 久しぶりに訊いた本国の母国語、声の持ち主は男性だった。
「大丈夫そうじゃなさそうだな。鎖を切ります。じっとしておいてください」
 二週間ほど繋いでいた手錠が甲高い音を立て、自由にした。久しぶりに両手足が自由に動かせる。
「あなたは……」
「海軍特殊部隊です。あなたの局長から依頼を受けました。とりあえず水を飲んでください」
 口に水筒をあてがわれ中に入っている水を飲ませる。特に冷たくはない、普通の水だった。しかし、この時飲んだ水はこれ以上ないって程おいしかった。初めてセブンナップを飲んだ時よりも、今まで飲んだどんな飲み物にも敵わないだろう。人体の三分の一が水分で出来ているという事が身に染みる程、身体に吸収されるのが分かった。
「はぁ、はぁ、ありがとうございます。それよりもあいつらは?」
「残念ながらほとんど警備だけ、報告を受けていたリーダー格はここには居ませんでした」
「くっ間に合わなかったか」
「本部、空港に飛行禁止命令を……って無理だよな……目標の職員に接触、救出ポイントまでエスコートする」
 彼は独り言をつぶやくように無線機で連絡を取っていた。
「早くここを抜け出しましょう。立てますか? 目隠しもさぁ取って」
「ちょっと待って、あなたは暗視ゴーグルをつけているから周りが見えているのかもしれないけど、あたりは真っ暗で何も見えないんです」
 時間帯は夜だったのか電気すらついていない部屋。光源は一切なく部屋の出口は歩数で何となくわかるがこの基地の出口まではさっぱりだった。
「何言っているんですか? この部屋にも坑道の中のいたるところにランタンがぶら下がってますよ? まさか……」
「え……」
「尋問の際、頭や顔を殴られましか?」
「私のなりを見れば想像はつくと思いますが」
「そう見たいですね、……久しぶりの光に目がついて行けてないだけかもしれません。具合がよくなるまで私のベルトを掴んでいてください」
 彼はそう言うと私の手を革製のベルトへ引っ張り掴ませた。
「では行きます」
 二人は脱出のため足をすすめた。
「こうなっちゃうと私もCIA引退ね」
「何を言っているんですか。こうやってテロ集団を見つけて本部にも伝えた。凄腕じゃないですか。そう易々と手放すとは思えませんがね」
「ふっ、嬉しい事言ってくれるけど、私がヘマさえしなければこうやって助ける事も奴らを逃がす事も無かった。上手くいっていたら、今頃奴らを一網打尽にして本部で一杯できたはずなのに……」
「どうせ、一網打尽にするんだ。チェックメイトが一手伸びただけだ」
「ん?」
 彼がいきなり足を止め、少しつんのめった。レナは思わず問いかける。
「どうしたの?」
「静かに、まだ居るみたいだ。さっきよりも多い……」
「大丈夫なの?」
「見回りから帰ってきたのかもしれません。伏せて、敵を排除します」
 何も見えない私は彼のいう事に従順に従う事しか出来なかった。
もし目が見えていたら援護ぐらいはできるのに……そんな事を頭によぎらせる中、彼は自分の銃器のチェックをしているのを金属音で確認する。
「できれば耳を塞いでおいてください。爆音が反響して一時的に耳に障害が出るかもしれません。お願いします」
「わかりました」
 相槌を打つと、すぐに銃撃戦が始まった。彼は特殊部隊である為、武器にはサプレッサーがついており、空気が切れる音が頭上で鳴り響く。打って変わって、多国籍の入り混じった声と共にカラシニコフの銃声が聞こえる。
 跳弾や着弾が恐怖を掻き立てる。確実に戦力差は十倍以上。弾薬も無限ではない事ぐらい私だってわかっている。空のマガジンが地面に落ちる音が何度も聞こえる。
「大丈夫?」
「あまり今聞いてほしくないな。でも大丈夫です。あなたを救出するそれが任務ですから」
 爆音で聞きづらくならないように彼は耳元で話した。
「本部、上からだとどう見える? 無人機でどうにかなるか?」
 彼は無線で連絡を取りながら撃ち負けないよう素早い単射を繰り返す。
「分かった。職員はこちらで保護をする。あいつらをどうにかしてくれ。グレネードで外に追いやる」
 何か作戦が決まったらしい。
「動きます。奴らを押し出す必要があります。これが唯一の突破口です。難しいかもしれませんがついてきてください」
「わ、わかりました」
「大丈夫です。私の後ろにいれば弾が当たる事はありません……行きます」
 再びベルトを掴ませて弾切れのタイミングを見計らい足を進めた。すぐにしゃがませる。手榴弾のピンを抜く音の数秒後、爆発音ともに悲鳴が聞こえる。
「よし、うまく行きそうだ。残りはあと一発」
 出口側と思しき方向から風切り音が近づいてくる。
「大きい衝撃波が来ます。3、2、1」
 カウントダウンと共に彼が私に覆いかぶさる。破裂音、爆発音と共に粉塵が巻き上げられ爆風と共に二人に襲いかかった。砂埃が口に入りせき込む。
「大丈夫ですか」
「ゴホ、ケッ。口の中がソノラ砂漠を味見した時みたい」
「大丈夫そうですね。うぅ、敵も全員排除……あとはランデブーポイントへ向かうだけです。眼の方はどうですか?」
「ごめんなさい。何も見えないわ」
「謝る事はありません。さぁ立って。いきますよ」
 またベルトに掴ませ、足を進めた。
「さぁ出口です」
 彼に言われたが、ピンとこなかった。気温もほとんど同じ、辺りは夜なのか、太陽の暖かさも感じない。しかしこのクーラーなどから出る風では到底真似できない緩やかで優しい風が全身を撫でる。レナは、ようやく外に出る事ができたと実感したのだった。
「ここを脱出します。ランデブーポイントはすぐそこです」
 彼に案内され、どこを歩いてるかもわからず、ただ地面の砂を踏む感触と音が耳に伝わる。二週間ろくに食事も運動もせず、ただ殴られていたこの身体には苦痛だった。もうすぐ、すぐそこと声をかけてくれるが、返す言葉さえ口に出す事は出来ない。
「ベストタイミングだ」
 ヘリコプターのローター音が頭上へ近づき遠ざかる。
「迎えのヘリです。危険ですのでこのヘルメットを被せますね」
 ヘリコプターが近くに着地したのか地面に押された風が私に押し寄せてくる。
「頭を下げてください」
 彼の言う通りに指示を聞く。このやり取りはこの数時間で慣れてしまった。ヘリの段を昇り機内へ乗り込む。薄いクッションに座り、シートベルトを締めてもらう。扉が閉まるとローターの回転速度が上がり機体が揚がる。エレベーターが急に上がるように臓器が強制的に持ち上げられる感覚に襲われた。機体の揺れが収まり速度が乗り始めてくる。医療班に手際よく、点滴を打たれたりとしている間いつの間にか身体の力が抜ける。目が覚めたら近くの病院のベッドの上であった。
 その後レナは本国へ無事帰国した。秘密作戦の途中という事もあり書類上、事故として処理される事となった。
 奴らを捕まえる為に、レナは短い休息ののちCIAとして現場復帰を果たした。
自分が逃した奴らを牢獄へ、自分たちの犯した罪を償わせるために。

 
 
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?