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平和のかけら#2 ワンダラーオブセレクション


「仕事はもう慣れた?」
 スレンダーは助手席に座っているナオミに唐突に話を振った。
「今聞く事ですか?」
 ナオミはバツが悪そうに彼女へ返す。
「そりゃあ、70マイル超える運転なんて久しぶりだからさ」
「前向いてください!」
ハイウェイではない一般道で時速70マイルを超えて運転している中、スレンダーは少し口角を上げ笑みを浮かべている。彼女の言う通り、たしかに久しぶりだ。できるだけ穏便に仕事が済めば楽な事、この上無い。しかし、多くない車を避けて自分たちの車を走らせるこの疾走感は気持ちがいいと感じてしまう。
「ナオミ、この距離ならタイヤを撃ちぬける?」
「ほんの200mですよね、揺れがなければ」
「揺れは保証できないけど、準備してくれる?」
「分かりました」
 スレンダーからの命令に後部座席の足元にあるペリカンケースを開けライフルを取り出した。スコープに付いているキャップを外す。弾薬を薬室に送り込み、車の窓を開け、ライフルと共に身を乗り出した。

「どうしよう……」
 ナオミは途方に暮れていた。3カ月前、人員削減で突如宣告され、会社に自分のデスクは無くなった。いつもは仕事をしている時間帯、クビになったショックで転職も上手くできず朝から日が暮れるまで町を歩いていた。自炊もせず目に留まった店で食事を済ませる。貯金を食い潰す日々、反比例的に不安が大きくなり目の前の真っ暗な明日に苛まれた。
 同じ道を歩くのも少し飽きてきた頃、怖いもの見たさに裏路地に入っていった。この平和な町も道一本違えば顔色が180度変わる。どの州へ行ったってそれは変わらない。ひび割れたアスファルトの上には、煙草の吸殻はもちろん、割れたビール瓶に空の注射器。やっぱり自分のいる場所ではないなと確信し足早に表の通りに出ようとした。しかし視界に捉えてしまったのだ『スタッフ募集』という求人のポスターを……ブラックホールに吸い込まれるように足が動く。店のガラスには、OPENの四文字がプラカードで吊るされていた。まだ太陽が昇っているのに早い時間からやるバーだと少し疑問符が頭に残りながらも、疑う事なく冷たい金属のドアノブに手を伸ばした。
「いらっしゃい」
 ドアに掛かっていたベルが鳴ると共に一つ結びの女性が気軽に話しかけてきた。店外の雰囲気とは反対に朗らかな声色で逆に違和感を覚えた。
「バーじゃない? ……」
 スタッフだけでなく、店内にも違和感を覚えた。どう見ても酒を飲む場所ではない、雰囲気的には質屋に近いようだ。
「外見はバーに見えるけど違うよ、よく間違われるんだ。だから酒は出せないよ。温かい紅茶なら出せるけど……」
「違うんです。表の求人を見たんですよ」
「それなら中に入りなよ。あっ、そうだ私はスレンダーよ。あなたは?」
「私はナオミ・スワンです」
「そう、良い名前ね」
 笑顔で手招きされナオミは受付の奥へと足を進める。店の奥にはオフィスの様な個室があり彼女から部屋に入るように促された。
「じゃあ、ここに。それよりも、あなたって銃を使える? そこ座って」
 急な質問に少し驚いた。普通の仕事で銃を使うなんて聞いた事がない。違和感が残るがスレンダーに指示され椅子に座った。
「それなりには……」
 不器用な返しをしたが銃の扱いはそれなりに覚えはあった。
「そうなの、前職は?」
「オフィスで事務を……」
「じゃあ、趣味で?」
「父がハンターをしていまして、物心ついた頃には七面鳥を狩っていました」
「そうなの、じゃあそこら辺のレクチャーは大丈夫そうね。ここに、セキュリティーナンバー書いて、あと前科とかないよね」
「無いです……すみません、ここは何の会社ですか?」
「ははっ、それも分からずに? まぁいいわ、私たちは保釈金保証業者、保釈金を肩代わりして踏み倒した輩を捕まえに行く仕事よ」
「そうなんですね」
 聞き慣れない仕事でナオミはそっけない返事をしてしまった。言葉に表せない不安を抱えながらもペンを握り、必要事項を紙に書き連ね、スレンダーに手渡した。
「じゃあ、行きましょうか」
「急に? どこへ?」
 書類を一目見てスレンダーは外を指さしナオミを部屋の外に出した。
「実地試験かな? じゃあこれ着て」
 スレンダーは意気揚々にベストを手渡す。
「重っ!」
 彼女は慣れた手付きでベストを装着した。そのベストにはマガジンポーチや警察の様なバッジを付けている。彼女の着ているネルシャツにゴテゴテとした防弾ベストのミスマッチ感が流行りのサバイバルゲームの様な雰囲気すら感じる。しかしポーチに入っているのは確実に正真正銘の実弾だ。
「こうやってつけて」
 手渡されたそれは、普段着るセーターの様に軽い物ではなかった。彼女の見様見真似で腹回りのバンドをマジックテープで調整し身に付ける。ずっしりとした重量が肩回りにのしかかる。
「着れた? じゃあ行きましょう」
 言われるがままナオミは店の外へ出る。スレンダーはOPENのプラカードをCLOSEに裏返す。彼女が指さしたSUVの助手席に乗り、車が発進した。実地試験? まさかもう仕事なのかと少し困惑のまま車両は増速していった。
「少し重いと思うけど防弾の為だから我慢して」
 前後に防弾板を挿入したベストは普段の生活では、慣れない着心地だった。防弾ベストを身体のベストポジションに動かしていたら横から彼女が笑みを浮かばせながら話してくる。
 まさか、すぐに連れていかれるなんて……事務スタッフだと思ったら違ったみたいだ。
「じゃあ、すぐ着くから、それにこれ持っておきな」
 車両は赤信号で止まり、彼女はナオミの前のダッシュボードを開け紙資料など、どかし一丁の拳銃を取り出した。
「はい」
 何のけなしに拳銃を渡した。
「いや、いらないですよ」
「護身用だよ、弾は入ってるから気を付けて、でもほとんど撃つことないよ」
 彼女は日常の一ページの様に心配しないでと言っているが、普段からドンパチに巻き込まれるような生活はしていない。銃は撃ったことはあると言ったがティーンエイジャー以降、握っていない。
「そこだ、今回はあいつだよ」
彼女の指さす方向には家は無く道路の端にキャンピングカーが駐車されていた。二人は車から降りゆっくりとキャンピングカーの入り口へ足を運んだ。
「基本的に私がやるから、ナオミは後ろに着いていて」
「分かりました」
 ナオミが頷き、了承するとスレンダーはおもむろにドアノブを回した。ガチャガチャと金属音が扉に鍵が掛かっている事をおもむろに示す。
「スレンダーさん、いませんよ」
「エンジンもかかっているし電気だって付いているんだ。絶対にいる」
 彼女は語尾を強くする。ナオミはそうですか……と覇気の無い返事をするしかなかった。
「おい! いるのは分かってるんだ!」
 スレンダーの声にまったく反応しない。広い空に彼女の声が反響せず飛んでいく。
「愛車に風穴開けて通気性が良くなる前に出てこい! こっちだって時間を持て余してるわけじゃないんだ。三秒以内だ、出てこい」
 アルミ特有の銀色のボディがへこむのではないのかと感じる程にノックをする。
「撃ち込むぞ!」
 その一言で中の住人が出てくる。身体は頼りない細さにサンタと同じような髭を生やしている男だった。色はサンタの様に綺麗な白では無く、黒や薄灰色に入り混じり清潔感は皆無であった。
「早く出てくればいいものを……手を車のボディについて足を広げろ」
 男の履いている迷彩柄のズボンのポケットを叩きながら確認する。とくに危険な物は確認される事は無かった。
「危険物は持っていない?」
 男は無言で頭を横に振る。
「スレンダーさん、そんな乱暴にしなくても……」
 彼女の語尾の強さに少し躊躇の言葉を伝える。
「いいか、ナオミ私たちはチャリティーでやっているんじゃない。命がけでやっているんだ。それにこれは州政府からも認められているんだ」
「分かりました……」
 彼女の勢いに負け、頷く他無かった。その男も怯えボディに手を付け足をがたがた揺らしている。スレンダーはその男を間髪入れずに詰め寄った。
「期日までに裁判所へ行ったか?」
 男は首を横に振る。
「裁判に出ようとはしたか?」
 少し躊躇した様子でまた横に振った。
「拘束令状は出ているんだ……逮捕する」
 警察が持っている手錠と同じ金属の輪を両手首にはめる。SUVの後部座席に座らせ、二人も車へ乗り込みスレンダーはおもむろに車を動かし始めた。ついさっき、ほんの十分前までの彼女とは人が変わったように違った。オンとオフがしっかりしていると言われればそれまでなのだがすべてが違う瞳孔の大きさから何から何までだ。ナオミはその激しい温度差に警戒して一言も彼女に声を掛ける事ができなかった。
「よし、着いた」
 スレンダーの一言に反応するように意識的にナオミは窓から外を覗いた。
裁判所……ナオミはふと呟くとスレンダーは車を降り、男を降ろした。ナオミも彼女たちの後ろについて行った。
書類的な手続きだけのドライな数分間だった。保釈金の件も今じゃ銀行の振込、本人確認も令状やバッチを見せるだけ簡単に男の引き渡しが完了した。
「やっと、終わった」
 タイヤの空気が抜けるようにスレンダーの身体から力が抜け車のシートに深く座り込んだ。今までの表情とは打って変わって表情もほころびどこか語尾も柔らかくなっていた。
「ごめんね、さっきの言葉」
 ナオミも車のシートに座ると彼女の方から声を掛けられる。しかし謝られるナオミ自身訳が分からず、彼女に真意をオウム返しする。
「どういうことですか? さっきの言葉?」
「そうだよ、私さっきナオミに怒鳴っただろう。ごめんね」
「いえ、そんな謝らないでください。私が勝手を知らずに言った事なんですから。謝るのは私の方です」
「そうか……まぁいいや。あの場面で弱い所を見せると奴らが舐めた態度をとってくるんだ。だからああ言う場面ではできるだけ強い口調を使う様にしているんだ。ただ言いたい事はさっきと同じだから言葉の意味だけは理解していてくれ」
「分かりました。失礼を承知の上で聞くんですけど、警察や保安官とやる事は似てますけどそっちにはならなかったんですか?」
「痛い所ついてくるね、まぁそっちの方が給料も良いかもしれないけど……まぁその内ナオミも分かるよ」
 煮え切らない答えにナオミは口を窄み相槌を打つ、スレンダーも苦笑いし事務所まで車を走らせた。

 揺れる車の中、重いライフルを構える。窓から身を乗り出し追い風が上半身を押す。スコープをのぞき込み十字のレティクルを少し揺れながらタイヤに重ねた。引き金に人差し指をゆっくり乗せ、呼吸を整え始めた。心拍が服の下から伝わってくる。絞るように引き金を押し込む。
 渇いた火薬音が一発、スコープ越しに目標を見続けた。しかし目標の車は走り続けている。ナオミは舌打ちを挟み、もう一度ゆっくりと引き金に人差し指を乗せた。
「ナオミ、車に戻って!」
 ズボンを彼女が引っ張り、車外に出した上半身を車内に引きずり込んだ。相手の車にフォーカスされていた集中力が一気に切れる。全身がびくっと痙攣するように跳ね、危うく誤射しかけた。
「急にどうしたんですか?」
「あれをみろ」
 彼女はバックミラーを指さす。黒塗りのボディに赤と青のランプを天井に携えたパトカーだ。ナオミの射撃はみられていなかったが、速度を落としきる事ができず上限速度を超えてパトカーの横を通り過ぎてしまった。瞬間パトランプが回転し独特のサイレン音が鳴り響いた。
「お邪魔ムシめ……」
 スレンダーは舌打ち交じりに呟いた。速度を変えず目標の車を追った。
「おい!」
走行音が車内に響く中、隣のパトカーから男が声を張り上げている。運転席側の窓を開け耳を傾けた。
「おい、あとは警察に任せろ。ここではあんたらは違法だ。アウトローになるんだ。しょっ引く前にインディアナに帰りな」
 はっきりと聞こえた。イリノイ警察の巡査みたいだ。いつの間にか隣の州まで来ていたみたいだ。州法が違うためこっちだって検挙対象に入ってしまう。しかし彼の口ぶりで見逃してくれるみたいだ。
「あとは任せた」
 スレンダーはパトカーに乗っている、正義色漂う水色のシャツを着た恰幅の良い男に聞こえる様に声を上げる。スレンダーは窓を閉め、ハンドルを握り直した。
 溜息交じりにアクセルから足をどけ速度を落とした。
「あきらめよう」
「そんなの、いいんですか⁈」
「警察が来たら、こっちはお手上げだ」
 彼女に相槌を打ち、持っていたライフルの片付けを始めた。こいつも久しぶりに使った。帰ったら手入れをしないと……忘れないように頭の片隅にメモするように呟いた。
「ナオミ、きょうはもう一件行けそうだけど時間大丈夫?」
「家に帰っても一人ですし」
 肩をピクリと動かし顔を立てに振った。
「そうなの、じゃあ今度家に来る? マリーも紹介したいし」
「本当ですか、行ってみたいです」
「OK、準備しておく」
 スレンダーは右手でOKサインをし、笑みを浮かべた。
 自分達の州へ帰るなかダウンタウンへと向かう。いつもは来ないような細かいクランク車体を擦りそうだ。
「もう、ここからは歩いていこう」
古いアパートメントが乱立する裏路地に車を止める。雨や太陽で色禿げたタイルの貼られた一棟へ足を踏み込もうとした。五階建てにさび付いたパイプや非常階段、写真の撮り方ではレトロな街並みを表せそうだ……だがあいにく写真家ではない。ナオミはふとそんな考えが脳裏によぎる。スレンダーはさっさとそのアパートへ踏み込んだ。
中も外と同じレトロな愁愛さや不気味さを感じる、軋む床に乾燥しているのか湿気っているのか分からない空気感。ふと不安を吐露する。
「私、いやですよ、足を踏み込んだらそこがホーンテッドマンションでしたなんて」
「ナオミ、意外と怖がりなんだな。大丈夫だよ、マシュマロのお化けは出てこないから」
ナオミの一言にスレンダーは軽いジョークで返しながら扉の前に書かれている部屋番号を数えていた。
「ここだ」
 スレンダーはドアをいつもの手付きでノックする。
「すみません」
返事もなく扉が開いた。年代ものの割には建付けもよく軋むことは無かった。扉を開けたのは若い女性。赤ん坊をあやしながら二人を部屋の中に入れる。
 そのこじんまりとした部屋はとても質素だった、備え付けのテレビ台には何も置いてない。ベッドの上にはスーツケースが開き置かれていた。
「裁判に出ていませんね」
 ナオミが部屋を見回しているなかスレンダーは唐突にその女性に問いただした。その言葉にあわあわと慌てだし英語ではない言語が急に口から出てくる。
「スレンダーさん、この人……」
 二人は目くばせしスレンダーは問題ない、と小さく呟いた。
「ゆっくり喋ってくれ」
その母親はゆっくりと頷き、一言一文丁寧に話す。スレンダーはそれに呼応し相槌を打つ。一通り話終えたのかその母親は慣れない英語で感謝を伝える。
「どうでした?」
「彼女は有罪になったら、その赤ん坊が施設へ離れ離れになってしまう……」
「父親は?」
 ナオミの問いにスレンダーは芳しくない表情を浮かべ顔を横に振る。
「でも裁判は受けさせないと……」
「そうなんだよ……荷物をまとめてくれ」
 スレンダーは母親に指さし念を押すように伝えた。母親は小さく頷き子どもを抱きかかえ家を出ようとした。
「違う、そのキャリーケースで、だ。なんの為に荷造りをしていたんだ?」
 母親は彼女の一言に意表を突かれた表情を浮かべる。言語は分からないが、どうして? とでも言っているのだろう。ナオミ自身も同じことをスレンダーに問いかける
「どういう事ですか?」
「聞いただろう。荷造りしなって、お金は300ドルあれば足りる?」
 スレンダーは財布から札を取り出す。おもむろに母親へ握らせた。
「正気ですか?」
「私はいつでも正気よ」
 犯罪者になる可能性の人間に金を渡して逃がす。この三か月彼女の背中を見てきたが初めての事だった。依頼中の人が自首する事はあっても人を逃がすなんて信用問題にも関わってくる。彼女を札を握らせすぐに部屋から出した。
「すぐに隣の州へ行って個人店のパートタイムで働きな」
 スレンダーの言葉を訊くと母親は、涙を浮かべながら階段を降りて行く。
「本当にいいんですか?」
「まぁ、いいんだよ」
 納得がいかない。
「納得いっていない顔だね。まぁ仕方ないよね。彼女、私と似ていたからさ……」
 ナオミと合っていた目線をふいと外し、廊下にはめられた窓の奥を見つめた。
「だいぶ前にナオミがなんでこの仕事をしてる? って聞いたよね」
「確か……しましたね」
「法を犯したから罰せられる。まぁ至極当然だけど、それだけでいいのか? って思うんだ。たぶん、彼女は二度と罪を犯さないよ。人間は必ず正しい道に戻れる。だけど彼女が子どもと離ればなれになってしまったら絶対に戻ってこれないだろうね。でも裁判所へ連れて行く、それが世間一般の正義だよ。その決めつけが私は嫌だ、だけどこの仕事をしていればどうにでもできるからね」
 ほのかに上がる彼女の口角と横顔には、どこか安心感が滲み出ていた。二人は何もなくなった部屋を後にする。
「この仕事を続けてみます。自分の中で答えを出したいですし」
 先に歩いているスレンダーに追いつき彼女の横で呟く。
「沢山時間があるんだ。どれだけでも付き合うよ、私だって沢山働かないといけなくなったからね」


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