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小説

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文章の練習のために小説を執筆しています。主に空想ですが、ところどころ実体験も混ざっています。
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記事一覧

男はひとつに編んだ黒髪に刃を入れる

 雲が薄っすらかかる鮮明な空に夕日が沈みゆくとき、百姓の娘・藤幸(ふじゆき)が家に帰ると、囲炉裏の周りを囲うように父と母が死んでいた。 「ただいまぁ」  大きくひと声、滑りの悪い木の扉をガタガタと引きながら藤幸は言った。手に下げている竹カゴには、戦利品がいっぱいに詰まっている。藤幸は夕暮れの少し前から林の中をひとりで歩き、キノコ採りをしていた。今晩の夕食の足しにするためであった。  藤幸は聞きなれた返事がくると期待した。この時刻、前掛けを身につけた母が駆けより、出迎えて

私はおじさまに飼われたい

柔らかく、どこか色気のある視線を私にむかって落としているおじさまを手に入れられないのなら、せめてあなたの飼い猫になりたい。 樹齢100年以上はある大きな枝垂れ桜の下で、座っているおじさまの横に甘えるように寝転びながら、そう思った。  日本の天然記念物に指定されたこの枝垂れ桜は、普段、人が近寄れないように厳重に管理されている。木のまわりには囲いがあり、人と一定距離が保たれている。枝垂れ桜の枝の部分を何本もの太い杭(くい)が支えている。見頃の時期になると観光客は観桜料(かんお

片足猫のシャンクス 人間の寿命を1日もらう代わりに願いを叶える

こんな結末が訪れるなんて、あの日の僕は想像さえしていなかった。  朝9時、電話がBGMのように一斉に鳴りだす。オフィスに規則正しく並べられたデスクの前に、20人あまりが同じ姿勢で座っている。僕もその一員に加わり、鳴り続けている電話をとる。社会的に定められた、個性のかけらもないあいさつを交わす。  昨日、おととい、それよりももっと前から変わらない業務をこなしていく。2着しかないスーツを着回し、黒いメタルフレームの眼鏡をかけ、同じ髪型をしている。別れた彼女から誕生日プレゼント

幼馴染の結婚と、飲み干せないワインと、名前も知らない男

 自宅の郵便受けをあけると、幼馴染の由依が結婚した知らせを記したピンク色の封筒が数枚のチラシと一緒に紛れこんでいた。 メールやLINEで知らせてくればいいのに。わざわざ招待状を送ってくるなんて。 <二次会パーティーのお知らせ> 謹啓 〇〇の候(時候の挨拶)皆様にはますますご清祥のこととお慶び申し上げます。 このたび、私たちは二次会パーティを開催いたします。つきましては日ごろお世話になっている皆様にお集まりいただき、ささやかな披露宴を催したいと存じます。ご多用中 誠に恐縮

私が好きになった人は大学の教師で、仔猫に無条件の愛を与えていた

「銀座」と聞くと背筋が伸びる。 高級ブランドショップ。洗練された街並み。行き交う人々も、街並みに合わせるように整った服装をしている。ジャージ姿にスニーカーの人なんてどこにもいない。銀座だから、そういう人しか集まらないのかもしれない。銀座というひとつの街からはみ出さないように、馴染んでみせたい。 私は、自宅のドレッサーの前でいつもより丁寧に身支度をした。髪にスプレーをして湿らせ、丁寧に乾かしてブローをする。38mmのコテでしっとりと丸みをつける。艶が出る、よい香のついたヘア

夜の世界に戻った私は、記憶に爪痕をのこす男性達と出会う

大学時代の女友達との飲み会をぬけ、クラブの体験入店へ向かった。 店を出ると、肌を指すような師走の空気が頬をなでた。黒い空にはにごりがなく、肺まで清潔にしそうなほど湿気のない空気だった。 金銭的な余裕がほしい。毎日同じことのくり返しで、あり余ったエネルギーを発散したい。刺激がほしい。これが体験入店の目的だった。女友達とは、本音をぶつけ合える関係ではない。飲み会が盛りあがってきた真っ最中に「大切な予定が入った」と告げ、急用をよそおって抜け出してきた。 初めての夜の世界……と

夫は当たり前の日常を粗末にしない人

湯上がりの温かさが残った身体のまま、和室にある寝室に向かう。 つい20分前まで一緒に入浴していた夫が、畳の上にひいた布団に仰向けになり、喉のあたりまで掛け布団がきていた。布団からちょこんと頭だけ出ていた姿がふすまから見えて、夫に気がつかれない大きさでフフッと笑った。 夫は「女ってものは時間がかかる」と言いたげな表情をしながら、目をつぶっていた。私がお風呂場から出てからというもの、化粧水を塗ったり、薔薇の精油入りのお気に入りのボディオイルで身体を手入れしたり、髪を乾かしてい

もしあの時、母をねだらなければ父は生きていたかもしれない

義理の母から虐待をうけていた日々から、19年が経った。 私はひとりで3LDKのマンションをローンを組んで買えるほど、特定のパートナーを持たなくてもいいと考えるほど、1人で生きていく覚悟を持った大人になった。 人生の歯車を狂わせた彼女に負けないくらい。その記憶に苦しむことがないくらい、強く。もう思い出すことなく、人生を歩んでいけると考えていたのに。 ある日曜日の夕方、自宅で過ごしていると携帯に親族から電話がかかってきた。たわいもない要件ならメールがくる。電話はなのは、何か

危険な背中

女はBARの中央にある木製のテーブルの前にひとりで座り、こちらに背を向けていた。 周囲には客はおらず、女だけがポツンと太平洋にうかぶ小島のように、いた。その様子を店の1番奥の席から眺めていた。 肩まである黒い艶のある髪。細身の身体に、分厚く品質のよい生地で作られた黒いワンピース。黒いパンティストッキングから肌が透けている。女が座るには苦労しそうな、背の高いイスに腰掛け、組んでいる足先が浮いている。足首の細さを際立てる、ハイヒールの赤い裏地がみえた。 女はテーブルに広げて

人生とは「時間の波」に流されるということ

子供のころに思い描いていた”大人像”よりも、幼い部分を残した”外側だけの大人”になった。 1年、半年、1ヶ月、1週間、1日があっという間に過ぎる。そうしているうちに、もう30過ぎになった。 推薦入試ができる、いわゆるFラン大学に入学。周りが進学するから、という理由で。とくに勉強に励むことなく学生生活をすごし、楽な事務仕事ならいいだろうと、大学卒業後は大手の事務作業を請けおう派遣社員になった。 実際には楽な事務仕事とはかけはなれていて、頭を悩ませる人間関係を横目に静かに仕

女は真夜中に”あの男”を思う

深夜2時、私は明かりをつけずにリビングのソファーにひざを抱えて座っていた。 窓の向こうに見える静まりかえった街。漆黒の暗闇に包まれて、いっそのこと、このまま黒い渦に飲み込まれて消えてしまいたかった。 レースカーテンの間を縫うように、月明かりだけが部屋を照らしていた。 “あの男”から贈られた背の高い、名前もわからない観葉植物の表面が、ぬめるようにイヤらしく光沢を放っていた。 ソファーの背もたれに深く身体を沈ませながら、遠い過去の記憶にふける。 幸せな恋愛でもないにも関