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2021.07.26

仕事が終わって床に寝転んだまま、YouTubeで日本語ラップの動画を延々と見ていた。音楽が目的で見る場合もあるが、格闘技を見る感覚でスカッとしたくて選ぶ動画もある。

簡単な夕食で体力を回復しスーパーへ。食べ切れる量、と思うとどうしても消極的な買い物になる。しかし来月から西友がない町でやっていけるのだろうか。段ボールはまだ4箱しか組み立てていない。

帰ってからヒップホップがホモソーシャル的な空気を前提としている理由を考えていた。私が好んで聴いている文化系というか王道じゃない人たちも、結局その枠組みの中での立ち位置で戦っているように聞こえて時々もやもやする。
既に書籍か有名なはてブエントリーで語り尽くされていそうなテーマだなと思うが、だからと言って考えなくていいかともならない。なぜならホモソーシャル的ノリは嫌いだけどヒップホップは好きだから。日本語ラップが好きだから。つまり自分事なのだ。

フェミニズムの流れから遅れること数年、最近は書店で男性学について書かれたものもよく目にするようになった。「男らしさの終焉」は今読んでいて、小説だと結構前に「たてがみを捨てたライオンたち」を読んだ。いつかの違国日記にも描かれていた。これらを読んだからという訳ではないんだけど、いや読んだからなのかな。最近は男性に課せられている「男らしさ」とその困難さに目がいくようになった。
選択肢が少なくて、極端に言うと降りるか降りないかの二者択一に見える。そして降りた方はそれが当人の意思であったとしても降りない人たちがあまりに多数派なので、「男らしさを獲得出来なかった奴」というレッテルを貼られやすい。

女性は割と選び放題というか、装い含めてなりたい自分を考えることがほとんど自然のこととしてあるでしょう。
かわいいもかっこいいも選べるし、コンサバもカジュアルもモードもその組み合わせもやりたい放題だ。
そしてここからが重要な気がするけど、女性は自分と違う趣味の人にも「あら素敵ね」という感覚をごく当たり前に持っているように思う。
既婚/未婚、非正規/正規、子持ち/シングルというものによって常に分断されている私たちにとって、他人が自分と違うのはごく普通のことなのだ。競ってないから相手のことを素直に褒められる。おそらく「かわいい〜」だけで成り立つ会話も一役買っているだろう。共感性の高さというのかな。

一方男性はどうか。職場にいる人の顔を思い浮かべる。全員正社員で、年齢以外の違いは独身/既婚くらいしかパッとは思いつかない。わたしの解像度が低いのもあるけど、あまりにあまりに皆同じルートを進んでいるように見える。結婚、出世、仕事ができることが良しとされる。女の子にモテるやつがイケてるとされる。幼い頃から強くあれと言われる。強い=良いと一度インプットされてしまうと、弱い=悪いに転じるのは簡単で休職している人を弱い人だと言うような感覚が生まれる。その裏側には必死で強くあろうとし続けている大変さやプレッシャーがあり、誰が悪いという話でもないのかもしれないけど心地よくはない。少なくともわたしはぎょっとした。

何の話をしていたんだっけ、そうヒップホップの話。そういう自分が好きなカルチャーを学問的なアプローチで捉えたいのか?と一瞬閃いたような気分になったけど、すぐにそうでもないと気付き落胆した。

知識を蓄えて芸術として文脈の中で見たいわけでもなくて、ただ面白かったりかっこいいものが好きで、何でかっこいいと思うのかも知りたくて、そこに平等性がない理由も知りたいんだよ。
女性芸人、ガールズバンド、フィーメールラッパー

自分の実感だけじゃなくて、学術的な知見やロジカルな思考も多少あった方が少ない手数でそこにたどり着けるかも、ってことなのかな。

自分が何をしたがっているのか、何のために何を知ろうとしているのか。
何度か触れはしているんだけど毎回掴めなくて、するりと抜け出す尻尾の感触だけが手の中に積み重なっていく

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