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2021.06.13

充電しそびれたiPhoneの画面を見ると9:35で、ラジオを最後まで聞いてから寝たにしては上出来な時刻だった。腕を伸ばしてカーテンを開け、眼球の乾きに耐えられずまた目を閉じる。つけっぱなしのコンタクトを一刻も早くとりたいけどもう少しこのままでいたい。瞼を閉じていても外の明るさが前頭部に届いて眩しい。

頭に重みを感じ、顔を洗うより先にコップに水を注ぐ。一杯飲み終わる頃にやっと体が少しずつ起き出した。夏場は意識して水分を取らないとすぐに頭が痛くなってしまう。

天気予報を見ると来週末は雨のようだった。今日の天気も微妙だけどこのまま梅雨に突入されたら嫌だなと思いシーツを洗濯機に突っ込んだ。

120°くらいに傾けた座椅子に座って足をベッドの上に投げ出し、半分くらい滑り落ちている状態でsuumoのアプリを開く。住めそうな部屋は見つかるが住みたい部屋は見つからない。これじゃないということはわかるけど、どういう部屋だったらこれだ!と思えるのかはわからない。重力に従ってリラコがめくれ上がり、曇天の光を受けた太ももの産毛がポワポワと金色に光っている。

捨てるために雑誌をパラパラと見ながら仕分けしていたら面白くて読み始めてしまった。たった数年前のファッションを古いと感じるのってどうしてなんだろう。流行っていたことを知っているからだろうか。絶対的なものではなくて相対的なものなんだろうけど、メイクなんかはもっと如実だ。

見た目の話だけではなく変わりたいと願う時、どういう風になりたいか何が出来るようになりたいかが具体的であればあるほど努力の方向性も見えやすい。やって行く途中で微調整は入るしやり始めてわかることも多いのでもちろんゴールも変更可能だ。だけど北か南か、山か海か、空か地中かくらいはわからないと一歩目が踏み出せない。

最近どういう文章を書きたいのかよくわからなくなっていたので友人に色々と話を聞いてもらった。
取り留めのないことを取り留めのないまま書きたいが、特に書きたい主題のようなものがなくスケッチにしかならないと話したら、人の出てこない小説なら書けるんじゃない?という話になった。

彼女と話していているうちに色々と思い出したことがある。特別なことは何にも起こらないけど読めるものを、風とか光とか街中ですれ違う知らない誰かの横顔とかそういう風景を掴みたいんだった。書かなくても忘れないようなことじゃなくて、書かないと忘れてしまうことを書いてみたいんだった。書くことで取りこぼしてしまうものは絶対あるし、無理にはめ込んで変容させてしまう危険性もあるんだけど、それを加味しても書き残したいと思っていたんだった。

電話を切った後、久しぶりに色んな公募がまとめて掲載されてるページを開いた。小説の新人賞に送ってみたいと思っていたのはもう3〜4年前だろうか。あの頃は断片が集まるばかりで、結局一つも書き上げられなかったな。
今年は何でもいいからどこかに出そう。今は否定される恐怖よりどういう風に読まれるかに興味がある。そもそも選考に落ちる=否定ではないのだし。

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