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2021.05.19

雨が上がったのが嬉しくて散歩に出て、知らない道を行ったら車が1台ギリギリ通れるくらいの墓地横の路地に入ってしまい流石に怖かった。風の気持ち良い日中に鬼散歩したい。鬼散歩は1万歩以上の散歩。

今日の日記。昼休みにover the sunを聞いてラスト10分あたりで号泣した。

「自分なんか」って謙遜してそこに居れば絶対傷付かないと思ってるんだけど、ちゃうねん削られてんねん。
どんどんガリガリ自尊感情が削られてんねん。

今聞き直すと謎の関西弁だしちょっとライトに聞こえるように多分2人とも話してるんだけど、昨日を少し引きずってたのもあって、うえっぐえっぐと声をあげて泣いていたところ宅配便のピンポンが鳴る。鼻声で受け取る。それだけで普段着が事足りるくらいあるのにまたグッズのTシャツを買ったのだった。でもまぁ再来月のワンマンのチケットが当たって着ていく場が出来たから結果的によしとする。

そうだ昨日の話、年に何度かある抗えない波に襲われて、勤務時間中も散々だったけど退勤後はもうぼたぼたになりながらベッドの上で丸まっていた。今までの経験から波が引くことはわかっているんだけど、それでも毎度身を掻きむしっていなくなりたくて仕方なくて、そんなのは馬鹿げた考えだって冷静な思考も頭の隅の方に数パー残ってはいるんだけど、本当にその瞬間瞬間がつらくて、何故かわからないけど苦しくて呼吸が浅くなって背中がめちゃくちゃ痛くなる。今までどうやって時間を過ごしていたのかわからなくなる。

昨晩も例に漏れずそのパターンで、好きなラジオをつけてもうるさくて、元気だな〜くらいしか思えなくて話が入ってこなかった。先述したライブのチケットの当選メールを見て、この日までは何としても辿り着かなくてはと思った。それでもかなり辛かったけど。
坂口恭平の「苦しい時は電話して」の折ってあるページを読み返し、頭の中の風景をずっと見ていた。私のは巨大な袋小路のイメージだ。どこに行っても行き止まりで、でもその壁の外からは人の気配がして、そっちに行きたいんだけど行き方がわからないの。

今日の話に戻る。夕方、星野源とガッキーの結婚を知り、「洗濯機回ってるの見なくて良くなるじゃん!」というのがまず最初に浮かんだ。(3月くらいのマツコ会議で、ひとりで家に帰ったあと洗濯機が回るのを見てると話していた)

めでたいというのは大前提で(結婚だけが特別にめでたいとされることへの違和感はあるが)、結局そっち側の人なのかと思ってしまう自分に嫌気がさす。もちろん結婚したからと言って孤独じゃなくなるわけではないだろう。それでも「できる側の選べる側の人なんじゃん」と思ってしまう。このマイノリティ側からの逆差別みたいなのが醜く手強い。自分は結婚“出来ない”側で、出来る方が優位だというのがどうしてもどこかに染み付いちゃってるのかな。嫌だな。
勉強してないしてない言い合ってたのに赤点にはなってないじゃん、みたいな。違うか。

散歩から帰ってきてシャワーを浴びて昨日の大豆田とわ子を見た。Twitterでうっかりネタバレを見てしまっていたものの、こういう描き方だとは思わなかった。気付いた時にはもう遅い何となくの別れと、突然やってくる永遠の別れ。人がいなくなること、いなくなった後もやっていくこと。そう、やっていく時のその自分を立ち上がらせる気持ちを思い出した。そんな経験はないけれど。石橋静河のセリフがかっこよかったな。かっこいいセリフがくさくないのってすごい。

昨日から見てるYouTubeチャンネル。中村佳穂のライブ映像からたどり着いた。楽しくてかっこよくて、今回の波から抜け出すのにかなり助けてもらった。
自分がまだ知らないかっこいいよさや心地よさがあるのって希望だな。元気がでる。

多分退屈が一番の敵で、冒頭の話にもつながるけど、どれだけ思い込んでる「自分」を手放せるかということかもな。「そういうキャラじゃないから」「女だから」「あの人より下手だから」そんなのはもうクソ喰らえだ。人に嫌われたくないとか、それなりに上手くやりたい20代前半までは有用だったのかもしれないけどね。世界中で自分にしか出来ないことがあるとすれば、それは自分を幸せにすることだろう。

長々と書いていて気付いたけど、最近の私が信用してるのってかっこよさと心地よさと面白さだ。体の反応は信じられる。

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