コントロールしようと思えば思うほどコントロール出来ない状況を引き寄せる。

いきなりだが、以前私が呼吸に意識を向けることで動悸を落ち着つかせた例を紹介する。

仕事から帰宅した際、玄関の鍵が開けっぱなしになっていた。まぁそんな時もあると気にも留めず風呂に入ったところ、風呂の外から人がいるような物音がした。鍵をかけなかったせいで人が侵入し、そこに潜んで風呂で犯されるのではと考えた途端、心臓の鼓動がとてつもなく速く大きくなった。時が過ぎても何も起こらなかったので侵入者は気のせいだと思えたものの、今度は動悸に対する恐怖感が出現したため不安は増大し動悸がおさまらないという悪循環に陥った。

偽性の不安発作のようだと思い、いつも患者さんに言っているように「息を長く吐き、動悸を落ち着かせてみるチャンスだ。」と考えた。

意識を呼吸だけに向けるとやがて動悸はおさまりゆっくりとした鼓動になった。ただ「心臓大丈夫か」と一瞬でも意識を再び心臓に向けると、また心臓がMAXに鼓動を打ち出し始めた。再度呼吸にだけ意識を向けると、再び動悸は落ち着いた。呼吸だけに意識を向けることで心臓の動きを操った興味深い体験であった。

このことから何が言えるかというと、嫌な奴(動悸)がいても無理やり追い払おうとするのではなく、そこに嫌な奴(動悸)が居てもいいから無視して目の前の自分のやるべきこと(呼吸)に意識を向ける感覚でいると自分の心の平穏に繋がるということだ。つまり、何事も囚われないことが私たちの幸せであるということ。

昔、担当患者さんから「会社の同僚に嫌いな女性がおり、その人の香水がどうしても苦手なんです。どうすればいいですか。」と相談があった。

マスクをつけるとか、席替えをしてもらうとか、上司に相談するとかが妥当な解答かもしれない。

だが私は、「目を瞑り、その香水の匂いだけに意識を向けて5分間嗅ぎ続けて下さい。その際、匂いが嫌・臭い、その女性が好き嫌いというジャッジを一切せず囚われないように。」と言った。これは嗅覚のマインドフルネス瞑想でもある。

なぜその香水が臭いのかというと、もちろんその香り自体が臭いということもあるが、その女性に対する「嫌い」という自分の感情が入り込んでいるから余計に臭く感じるのだ。つまり、嫌いという感情に囚われているためにいつまで経っても自分が落ち着かない状況を引き寄せている。

感情に囚われずその匂いだけに意識を向けてマインドフルに嗅ぎ続けてもらった。

2週間後、患者さんはこういった。
「マスクをせずに嗅ぎ続けていたけど、やっぱり臭いものは臭かった。午後になってさらに追い香水をされ、あまりにも臭くマスクをつけたら、その人は変化に気付いたようでその日からその女性は香水を辞めました。」と。

私たちは、ある状況をコントロールしようと思えば思うほど、つまり囚われるほどコントロールできない状況に追い込まれる。

この状況も同じ事が言える。嫌いな女性とその女性が醸す匂いに囚われ心の平穏が保てず仕事に集中できなかった状況は、なんとか匂いと女性をコントロールしようとしていた状況。こうすることでさらに自分が嫌な状況を引き寄せていた。

だが、その匂いや女性に対して「嫌い」というジャッジをせず、どうにかしてほしいとコントロールもせず、ただ「匂い」だけに意識を向けて嗅ぎ続ける(=マインドフルネス瞑想)ことで、過程はどうであれ結果的に女性に香水を自然と辞めさせる事ができた。

私たちはある状況、もの、人に執着し囚われることで苦しみが生まれる。もちろん執着する事で願いが成就することもあるが、その執着のせいで長期間苦しんでいるようであれば、囚われずに手放すことも考えなければいけない。

執着を手放すと、そこには空間が生まれる。宇宙は空間を嫌うため、焦らなくともまた新たなものが入ってくるものだ。宇宙を信頼し、次に入ってくるものは未来の自分の幸せのためのものであるということを信じること。これが次のステージにすすむために大切なことと考える。

今日紹介したのは、
呼吸だけに意識を向けるマインドフルネス瞑想と、匂いだけに意識を向けるマインドフルネス瞑想。

このように、マインドフルネス瞑想は日常生活に全てに取り入れる事が出来る。
音、匂い、見えるもの、風、足の裏の感覚、食感、味、自分の身体感覚。
その一つに集中し意識を向け続ける。途中で雑念が湧いても人間だから当たり前。その雑念に気付き、囚われず、ジャッジせずに思考を眺め、また対象物に意識を向ける。その繰り返しで何にも囚われない心のあり方が鍛えられて人生の質が上がっていく。


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