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この重苦しい空気を吹き払ってしまえ!


新年が始まってそろそろ二週間。異例だらけの新春の中で、いくつかのことを思い、願った。忘れられない光景もある。ここに書き留めておきたい。

元日の夜はなんといってもウィーン・フィルのニューイヤーコンサート。無観客開催には驚いたが、これまで客席で目立っていた着物姿の女性もいなくて、逆に音楽に集中できたのはよかった。

指揮はリッカルド・ムーティ。今年八十歳になる巨匠は颯爽と指揮棒を振り、どこか男の色気さえ感じさせる。あやかりたいものだ。

圧巻だったのは「美しく青きドナウ」の前のスピーチ。「我々にとって、音楽を奏でることは仕事ではなく『使命』。世の中をよくするための『使命』なのです」。このセリフは胸にこたえた。ムーティはさらに、「喜びと悲しみ、生と死を表現したこの曲を演奏します」と言って、このオーストリア第二の国歌を振り下ろした。

いまこのときにふさわしいメッセージと演奏だった。オーストリア国内の視聴率は50%を超えたとか。さすがムーティ。このコンビは今年の秋、再び日本にやってくる。

ムーティ

三が日が過ぎたころ、初めて寄席に行った。

新宿・末広亭の新春公演。午前11時に中に入って午後2時半過ぎまで、なんとも幸せな時を過ごした。換気に万全を期し、めちゃめちゃ寒かったにもかかわらず、心はずっとぽかぽかだった。もちろん隣で小さな声でくすくす笑っていた彼女が僕をそうさせたのだが、それだけでもない。現状にめげず、少しでも明るく生きていこうという芸人さんたちの心意気に、僕らは知らないうちにやられてしまっていたのだろう。

仕事が始まってほどなくして再び緊急事態宣言が発令された。

その日は僕が所属する合唱団の今年最初の練習日だった。明日から夜間の外出は禁止になる。今後の練習はどうするのか、二月に迫った本番は? 本来なら「おめでとう」と挨拶しあうはずだったのに、この重苦しい沈黙はなに?

それでも練習が始まり、ヨハネ受難曲のコラールを歌っているうちに、少なくとも僕は、数少なくなった仲間とともにこの曲を歌える喜びを噛み締めようという気持ちになった。

バッハのヨハネ受難曲は大曲だ。全40曲。二時間半ほど歌って、最後の長大な合唱曲のあとに終曲のコラールが来る。

「一度は死んだ我が魂を復活の日にはあなたのもとでよみがえらせてください。おお主よ、私は永遠にあなたをほめたたえます!」と歌うこのコラールを、指導者の先生は「明るく歌ってください。西洋では、死とはそういう捉え方なのです」と教えてくれた。

死でさえも肯定的にとらえるこの強さはどこから来るものなのか。たしかに歌っているうちに得も言われぬ勇気がこんこんと湧いてくる。音楽の喜びとはこういうことなのかと励まされることしきりだ。

ヨハネ

まだ僕はいまの職場で汲々としている。あと一か月の辛抱。三月になればまた新しい音楽漬けの日々が始まるに違いない。

彼女もまた新天地での生活が始まった。じっくりと将来を見据えて挑戦した結果だ。ここぞと思って狙いを定めたときの並外れた集中力には舌を巻く。今度こそ君に幸多かれと願うばかり。

きっといまの僕らは、雪の下で蕾を膨らませる「ふきのとう」のようなものなのだ。すぐにまばゆい春が訪れる。そのときまで、握ったこの手を決して離さないようにしていようと思う。

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