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作り手が注ぐ、あふれんばかりの愛について。


ある音楽評論家の方と打ち合わせをしたときのこと。

彼は芸術にまつわるとても知的でかつ情熱的な文章を書く人で、僕は彼の著作集をぜひまとめたいと思っているのだが、その彼がふとこんな話をしてくれた。

数年前、浜崎あゆみがシングルCDを出した。その売り上げがなんと2800枚しかなかったというのだ。いまやサブスク全盛期で誰もお金を出して音楽を買わない時代。もはやパッケージとしてのCDは終わったと思った。それでもクラシックの世界では毎月多くのCDがリリースされている。その中で、はたしてどんなものが後世に生き残っていけるのか。

彼は熱っぽく語った。

「それはやっぱり、作り手の愛があふれたものしか残らないんじゃないかと思うんです。どうしてもその形でなければいけないもの、音源はもちろん、ジャケットのデザインひとつ、ライナーノーツひとつとっても、その思いがあふれているものって、一目でわかっちゃうんですよ」

同じことは本の世界でも言える。

会社の都合で、著者との力関係で、あるいは年度末の数合わせで出されるような本は、おのずとどこか似たようなたたずまいをしている。

そうではなくて、著者と編集者の情熱が幾多の問題をクリアして世に問うた本は、どれもまばゆいばかりの潔さと誇らしさと、ほんの少しのためらいに満ちているように思えてならない。

たとえば、CDならこれ。マリア・ジョアン・ピレシュのベートーヴェンの「月光」ソナタを中心に集めたアルバム。

ピレシュ

作品27の2曲の「幻想曲風ソナタ」と後期の名曲、第30番作品109を並べることで、ベートーヴェンの作風の進化を解明するという構成。しかしジャケットでも見て取れるように、あくまで中心は「月光ソナタ」だ。

センチメンタルに流れることなく、でもどこまでも夢見がちに進んでいくピレシュのタッチはいつ聴いても胸の中に小さなさざ波を引き起こす。ジャケットのデザインワークもまるでひとつの工芸品だ。こんなCDなら本棚の隅っこにいつまでも立てかけておきたくなる。

たとえば、本ならこれ。堀内誠一と谷川俊太郎による『音楽の肖像』。

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稀代のグラフィック・デザイナーであり、しゃれた画文集を得意とする堀内誠一がモーツァルトやドビュッシーといった作曲家たちの肖像画とエッセイを綴り、その画文に答えるように谷川俊太郎が書き下ろしを含めた詩の数々を連ねていくという夢のような企画。

僕が作りたかったのはこんな本だと思いながら最後のページをめくると、そこにかつての会社の先輩編集者の名前を見つけた。なるほど、この両名を結びつけるのに彼ほど適した編集者はいない。これぞ生まれるべくして生まれた珠玉の宝物だ。


できることなら、音楽評論家の彼とこれから作ろうとしている本が、これらのパッケージに勝るとも劣らないものになってほしいと願わずにはいられない。

いただいた文章は最高だ。あとはそれを僕がどう編んでいくか。そしてそれをいかに多くの読者に届けていけるか。

臆することはない。心の中にあふれる愛を注いでいけばいいのだから。

それはおそらく、僕が得意とするところのひとつだと思う。

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