「イツァーク」という愛すべき絵本のこと。
イツァーク・パールマンというヴァイオリニストのことを知ったのははるか以前。僕がまだ小学生の頃だった。
ダニエル・バレンボイムとのデュオや、同じヴァイオリニストのピンカス・ズッカーマンと共演したいくつもレコードが「レコード芸術」誌をにぎわせていた。とにかく艶やかな明るい音色で、どこまでものびやかに歌いまくる。半面、どこか深みに欠ける。そんな印象だった。
だから母親が亡くなったとき、彼女が大好きだった「クロイツェル・ソナタ」を告別式で流したのだが、そのヴァイオリンがパールマンだったのは、急なことで、そのCDしか家に置いてなかったからだ。
ずいぶん経って、パールマンが小児まひにかかって車椅子生活を余儀なくされていることを知り、とても驚いた。あの当時、レコードジャケットにはにこやかに微笑む彼の上半身しか映っていなかったし、実際に演奏する姿を一度も見たことがなかったのだ。
彼が醸し出すあの音は、さまざまな困難を突き抜けた先にある明るさだった。
彼の存在自体が多くの人々を勇気づけていることに気づき、あらためてあの音の持つ凄味を知って、僕はまったく恐れ入ってしまった。
それから何十年も経って、不思議な出合いがあった。
ある日の編集会議。同僚の若い女性が一冊の絵本を机の上に広げた。
「イツァーク・パールマンの子どものときのお話が、アメリカの絵本の賞を取ったみたいなんです」
それはシュナイダー・ファミリー・ブック賞という、障害をテーマにした児童向けの絵本に対して贈られるもので、彼女が見つけてきたものは2021年のオナーブック(次点作品)だった。
僕らは興味津々でその愛らしい絵を見つめた。
ストーリーはいたってシンプルだ。イスラエルのテルアビブで生まれたユダヤ人のイツァークは3歳のとき、ラジオから流れるヴァイオリンの音色にたちまち魅了されてしまう。しかし4歳で小児まひにかかり、下半身が不自由に。それでもヴァイオリンを諦めず、13歳のときにアメリカのテレビ番組「エド・サリバン・ショー」のタレントコンクールで優勝して、華々しい全米デビューを飾るというもの。すべて彼の身に起こった本当の話だ。
なんとなく「いいんじゃない」という雰囲気になった。正式に部会に提出しようという流れになり、まだ経験の浅い提案者の彼女を補佐するという名目で、僕もその企画に関わることになった。
それから会社の企画検討会議で了承されるまで、3か月はかかったと思う。判型を決め、原価計算をし、翻訳者を選定した。会社はこんな絵本を出したことがない。だから一度は差し戻されたが、提案者の熱意もあって、二回目の会議で晴れて日の目を見た。
先週、僕の旧知のデザイナーと銀座で打ち合わせをした。
彼女と会うのはほぼ7年ぶり。僕がいまこういう仕事をしていて、今度こういう企画をやるということをとても喜んでくれた。
提案者の彼女ともあっという間に気心が知れてしまった。ふたりの感性がぴたりと一致したのだろう。こういう感覚はとても大事だ。編集者とデザイナーとして、おたがい今後もいい関係になるにちがいない。
僕の仕事は、もうほとんど終わったようなものだ。
今年の6月ごろ、もし本屋さんの店先に小さなヴァイオリンを抱く少年の絵本を見つけたら、ぜひ手に取って眺めてみて欲しい。
きっとイツァークが醸し出すヴァイオリンの音色のように、あなたの心に明るい光を灯してくれる、はずだ。
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