五月への思いを、「詩人の恋」に乗せて。


今週の土曜日、実は小さな発表会がある。先生のお宅で、シューマンの「詩人の恋」、その最初の七曲を披露するのだ。

半年に一度の門下生たちの発表会。今年はコロナの影響で参加者も少なく、たった四人しかいないので、改装なった先生のご自宅で、サロンコンサートのような形で行うことになった。

お客さんは参加者も含めて十名ほど。教会で行われた前回に比べたらずっと少ないし、ほとんど身内しかいないから気は楽なのだが、それでもやっぱり緊張してしまう。年明けからいろいろあって、練習不足は否めない。譜面を見ながらなんとか最後まで歌えるかどうかという代物だ。

おそらく僕がソロで歌うのはこれが最後になるだろう。だからせめて心を込めて歌っておきたい。「詩人の恋」の最初の曲、「美しい五月に」を歌いたくてソロを習い始めたようなものなのだから。

詩人の恋

「詩人の恋」はハイネの詩にシューマンが曲をつけた彼の代表的な歌曲集。一八四〇年、いわゆるシューマンの「歌の年」に作曲された。全十六曲で、最初の六曲目までは愛の喜びを、そのあとは失恋の苦しみを歌っている。

第一曲「美しい五月に」は、ピアノの夢見るような分散和音に乗って始まる。歌詞はシンプルに恋の始まりを歌っている。

美しい五月に あらゆるつぼみが開き
僕の心の中からも 恋が芽生えた

美しい五月に あらゆる鳥たちが歌い
僕も彼女に告白した 憧れと熱い想いを

これはシューマンのロマンティシズムの結晶だ。官能的でさえあるこのリートはもはやシューベルトを超えている。「詩人の恋」は一曲が非常に短く、それでいてピアノの後送部分が長いのが特徴的。クララとの結婚を目前にひかえたシューマンは愛の喜びの絶頂だったのだろう。失恋を歌った後半部分でさえ、どこか夢見心地な雰囲気がある。シューマンの最も幸せな時代の一大モニュメントである。

しかし、そんなたぐいまれな名曲を、僕みたいな素人が、さほど練習もせず、いきなり人前で歌ってしまうなんて、暴挙にもほどがある。そんなことを思いながらこの前の日曜日にレッスンに行ったら、先生はニコニコしながら「ま、なんとかなるでしょ。気負わず、楽しんでいきましょう」と優しく背中を押してくれた。

絶対にダメ出ししない先生に対して、僕は少し甘えているのだろう。前回は暗譜で歌ったのだから、今回も本当はそうしなければいけなかった。彼女が来れないことをいいことに、僕は気を抜いてしまったのだ。

思えば前回は初めて彼女の前でステージに立った。お互いすごく緊張して、彼女に至っては「あんな苦しい思いをするのはもう嫌だ」と音を上げた。でもあのときもらった造花の花束はまだ僕の家の玄関に飾ってあるし、彼女に届けとばかりに歌ったあの心意気はいまも少しも変わらない。

いや、それよりずっと進化している。テクニック的には及ばないけど、気持ち的にはその何倍も。

春になって、環境が変わって、早く結果を出さなくてはと焦る気持ちもあるけれど、強く願って、強く信じて、自分が選んだ道を進んでいくべきだと日々思っている。

なにはともあれ、来るべき五月を、これまで感じたことがないほど美しい五月にしたい。その思いを込めて、歌ってきます。

少しでも満足できる出来になるように。僕に、幸運を!

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