[短編小説] 僕が僕になる

 僕が六歳のとき、両親からあることを聞かされた。それは、僕の頭の中には、もう一人の僕がいて、その僕が、僕という人間をつくっているのだと。

 もう一人の僕には、さまざまな僕がいる。怒っている僕、優しい僕、困っている僕、悲しんでいる僕。さまざまな僕が、僕の中にいて感情を表現する。その感情を感じている僕がいろいろなことを学んでいくことが人生なんだよと説明した。


 そのことを聞いたとき、僕は何を言っているのかわからなかった。もう一人の僕と言われても想像がつかなかった。そのことを理解したのは、十年後になってからで十六歳になったときだった。


 十六歳になったとき、父が癌で亡くなった。訃報を聞いたとき、僕は学校にいた。それまで闘病生活を送っていたが、急に体調が悪くなり、あっという間に息を引き取ったのだった。


 そのあと葬式を行われた。父の知り合いや会社の人が多く参列した。僕は親族の席に座りながら、お焼香をあげる参列者の姿を見ていると涙が流れてきた。父という大きな存在を失った悲しみは、いままでに経験したことのない衝撃的な体験だった。

「父さんの分も生きていかないとね」

 葬式が終わって家に帰ってきたあと、母が言った。僕は、そのとき黙って頷いた。


 父が亡くなって半年が経った。そのとき、学校から家に帰っている電車のなかで、僕はイヤホンをつけて音楽を聴いていると、ある歌詞が耳に入ってきた

「いろいろな僕が僕のなかにいるんだよ」

 ロック調のリズムで激しい音に合わせて歌っている曲で、バンドのボーカルが声を張って表現していた。その瞬間、僕は肩の力が抜けたような感覚になった。

 それまで僕は失望のふちに沈んでいた。父が亡くなったあとは、みぞおちのあたりがぽっかりと穴が空いて生きた心地がしていなかった。そんななか、今まで通りに学校にいって、いつも通りに振る舞っている自分に対して嫌気がさしていた。虚しい気持ちがどこかにあって、それを隠していた。だが、その曲の歌詞を聴いた瞬間、心が落ち着いたような気分になった。


 すると、僕は六歳のときに、さまざまな自分が自分の中にいることを両親から教わったことを思い出した。僕はこのことについて知りたいと思った。


「母さん、僕が小さいころに、僕の頭の中にはもう一人の僕がいるって話をしたこと覚えている?」

 家に帰ったあと、僕は、台所で夕飯の準備をしている母に向かって聞いた。

「覚えているよ。これはね、父さんが好きな小説家が小説で表現していたことなの。『頭の中にはもう一人の僕がいて、僕の人生を学んでいる』ってい表現があるのよ」

 僕は、知らなかったよと言って反応した。母は続ける。

「私も好きな小説でね。人が自分らしく生きてくためには、自分のなかにはさまざまな自分がいるって知ることが大切だと教えてくれたの。その表現が上手くてね。私はその人の小説をたくさん読んだわ」

「僕は、小説を読まないからあまりわからないけど……」

「そうよね。今度、教えてあげるよ」

「ありがとう」

 僕は、息を整えながら言った。

「その小説家はね、さまざまな自分がいることを認識できると自分がひとつになって、本来の自分になるって考えていたのよ」

 僕は、黙って考えた。すると、言葉が出てきた。

「なるほどね……」

「だから、私と父さんは、あなたに小さいころから、さまざまな自分があなたのなかにいるって教えていたの。さまざまな感情の自分がいるって認識することによって、自分という存在が認知しやすくなるのよ」

 母は笑っている。僕は、息を整える。

「そんなこと考えながら教えていたんだね」

「そうよ」

 母の答えに、僕は苦笑いをした。

「ちょっと待ってね」

 母は、自分の部屋に行った。すぐ戻ってきて、この小説にいろいろと書いてあるからと言って、一冊の本を僕に渡した。僕は、お礼を言って自分の部屋に戻った。 

 僕は自分の部屋の本棚に小説を置いた。机に座ったあと、学校の帰り道に聞いた曲をスマホで流した。テンポの良いメロディーが流れ始めたあと、サビに入った。

「いろいろな僕が僕のなかにいるんだよ」

 歌手が叫ぶように声高らかに歌っていた。その歌詞を聴いたとき、僕はさまざな自分を認識して一つになった自分がいるような気持ちになった。

                了

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