痛みに寄り添うとは
あるきっかけで今までの自分を振り返ってみることがあった。
そこで気づいたのは、僕はよく誰かが傷ついていると「なんとか元気付けよう」とポジティブな言葉をかけることが多いということ。
もちろんそれが正しいと思っていたし、本当になんとかしてあげたいという気持ちがあったのは間違いない。
だけど、その行動を分析してみると今自分はこの人を支えているんだという傲慢さがあったんじゃないかなと思い始めた。
他にも、この人はこんなにも傷ついてしまっているんだ・・・と一見相手を慮っている様でどこかで弱い人と決め付けてしまっていたのではないだろうか。
この世には弱い人と強い人がいる。そう思ってた。
じゃあ強い人は傷つかないのだろうか?傷つきにくいのだろうか?
大人でも注射を怖がる人はいるけど、平気な人は全然平気。例えばそういった人を痛みに強い人だとしよう。だけど、その人だってたぶん火傷をした皮膚に塩を塗られれば痛いはず。だけど何の怪我もしてない皮膚に塩を塗っても大概の人は痛くはないと思う。
だから、もし傷つき落ち込んでいる人がいたとしたら、その人は今傷つきやすくなってしまっているんだと思う。心に火傷を負っているのだ。そう、決して心が弱いのではない。
「気にするな」「なんとかなるよ」「考えすぎだよ」「もう少しがんばろう」それらの言葉は励ましている様で実はより深く傷つけているだけなのかもしれない。まさに火傷を負った心に対して塩を塗りつけている可能性がある。
僕「誰にだってあることだよ気にするな」
相手「(気にしないように頑張ってるのに無理なんだよ・・・)」
僕「大丈夫だ、なんとかなるから」
相手「(どうにもなりそうにないから辛いんだよ・・・)」
僕「考えすぎだよ、誰もそんな風に思ってないよ」
相手「(考えたくないのにコントロールできないんだよ・・・)」
僕「もう少しだけがんばってみよう」
相手「(もうじゅうぶん頑張ったよ。限界だよ・・・)」
必要なのは前向きな言葉じゃない。本当に支えたい気持ちがあるんだったら、その辛い気持ちを受け止めてあげればいい。
そして、心の中でだけこう思えばいい。
(あぁ、君はいまこんなにも傷ついているんだな。でも大丈夫。本当の君は強い心の持ち主なんだ。時間はかかるかもしれないけどきっと立ち直れる。それまで一緒に待とう。痛みが過ぎ去るのを。)
痛みに寄り添うとはきっとそういうこと。大事なのは励ましたり元気付けたりすることじゃない。
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