見出し画像

あれから9年は、「もう」なのか「まだ」なのか。

「俺、『シンサイ』の担当になったんだよね」

3年前の今ぐらいの時期。当時付き合っていた彼氏がそう言ったので、私はてっきり東日本大震災のことだと思った。でも、東北とは程遠いおたくの職場でどんな業務が?と訊ねると、それは「新」卒「採」用の「シンサイ」だった。

そんなデリカシーのない略称が定着しているのかと、唖然としたことを覚えている。ましてや、岩手の被災地に移住していた経験をもつ私に、それをさらりと言える無神経さに、100年の恋も冷める思いだった(案の定終わった)。

東京圏と、東北と。
ギャップがあるんだなと、悲しい気持ちになった。
私も知らない間に、こうして東北の友達を傷つけてしまうんじゃないかと怖くなった。

ショッピングモールにパネル展示があった時は、10代の女の子たちが「重いよね、もうやだ」と言っていた。
正直な気持ちなのだろうけど、私は東北の人たちのことを蔑ろにされたような気がして、残念に思った。


今日は親友と一通りラインをした後に「こんな日にこんなこと連絡してごめんね、追悼したいよね」と言われた。私に気を使って、そう言ってくれたのかもしれないけれど、本当は取り立ててそう言われたくもなかったように思う。東北に住んでいた私も、東京にずっと暮らす友達も、みんな同じように心のどこかで想う、そうあればいいのに。

3.11関連のメディアは、誰に、何を、伝えるものなのか

3月11日前後は、毎年津波や災害時の教訓、苦労された人の特集や未来に向かう若者のトピックなどが様々に並ぶ。先日のNHKプロフェッショナルでは役場職員の方々が9年の時を経てようやく話せること、という番組があった。

何の関係もない人が見れば「考えさせられた」ことかもしれないけれど、「見ていられなかった」という人もいれば、「東北の人は前を向いているのだから、もうそういう暗い気持ちになるものはやめてほしい」という人もいる。

受け止め方が人それぞれなのは当たり前なのだけど、人の気持ちを暗転させてしまうのは辛いことだし、センシティブなことだと思う。かと言って発信しないことで風化されたくない。語り継がなければならない壮絶な経験や、想い、教訓、心揺さぶられるストーリーがある。

人の気持ちは、人によっても時によっても進むスピードが全然違うし、比べることも保存することもできないもの。3歩進んで2歩下がることもある。

2年前の3.11は、津波でなくなる前の「青春の思い出」の詰まった旧駅舎を新駅舎ができる直前にARで復活させるものだった。そこには過去を振り返った希望がたくさんあった。震災の番組は涙が出てしまうような、胸に使えるものが多い中で、私は絶妙にあたたかい「復興」的なものを感じていた。

「重い」「辛い」「悲しい」ではなく、経験をした人に寄り添うことができて、教訓を分かち合って、、という万人が傷つかずに受け止められる表現とはとても難しい。

代弁や語り部は、とてつもなく難しい

私は震災前から記事を書く仕事をしているものの、東北の人たちと親しくなればなるほど、SNSでも書くことが怖くなっていった。

これを書くことで誰かを傷つけたり、怒らせたりしてしまうんじゃないか。「津波も経験していないお前が語るな」と思われるんじゃないか。

他人の気持ちには、どう頑張っても丸ごとわかることはできない。寄り添うことができたとしても、どこでひずみがあるかわからない。

それでもライターという仕事をしているのだから、誰かに伝えるために、少しでも関心を持つ人を引き寄せるために、誰かと誰かをつなぐために、意味のある発信をしていきたい。

「もう9年」なのか「まだ9年」なのか。
私は、もうともまだとも言わずに、上からでも下からでもない絶妙な表現や切り口を探している。

八方美人かもしれないけど、傷つけない発信者でありたい。
それは今まで出会った人たちがくれた、大切な気づきであるから。

地道に模索して生きています。ライティング、デザイン、セールス…etcワンストップでいろんなことをお手伝いできる地域のプレイヤーにサポートいただけますと嬉しいです。