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おひとりさま四十路を謳歌している私の話|#01 謳歌できるようになったわけ

記念すべき第一回目は、なぜ私が「人生を謳歌している」と言えるようになったかについて書いてみたいと思います。
どうぞ最後までおつきあいください。


本題に入る前に...ちょっとだけ自己紹介を

日本人、東京在住、会社員、女、40歳、独身(結婚未経験、長い間恋人なし)。

このたった一行で概要説明できる虚しさ...(笑)。
これだけ見ると、多分、世間的には「独りでかわいそう」「結婚できなかった問題あり人間」「人生こじらせてるヤツ」「強そうな女」とか、そんなイメージなのでしょう。
私は、そういう色眼鏡に対して笑ってスルーできる大きな器は持ち合わせてないので、真剣にムカつくタイプです。
そして、本当は寂しいのに「寂しいー!」って言えない、見栄っ張りなタイプです。
自分でもどうかと思います。

時を40年前に戻してお話しますと、とある日本の地方で産声をあげました。地元の中学を卒業すると、高校ではなく5年制の高専(高等専門学校の略)へ入学。学歴欲しさに大学への編入を決めるも、第一志望校の入試には失敗し、第二希望くらいの地元ではない地方の大学へ高飛び。
この時点ですでにマイノリティ味が出ちゃってます(苦笑)。
そんなこんなで、2年間のあっという間の大学生活も終了となり、就職で東京へ来たクチです。
その後、新卒で入社した会社を2年4ヶ月くらいで辞め、数度の転職を繰り返して今に至ります。
最近、やっと少し落ち着いてきたかな...と思いますが、転職する度に家族を驚かせ、心配させ、反対され、呆れさせてきました。一番は一度地元に戻って何年か暮らした後、再び東京へ来たこと。まぁ、自分でも忙しい人生だなと呆れます。

ちなみに、社会人になってからというもの、真剣にお付き合いできた相手はいません。結婚を夢見た時期もあり、真剣に婚活もしましたが、かすりもしませんでした。振り返れば、学生時代も真剣に付き合えた相手は皆無です。
念のため言っておきますが、バージンではないです。こういうところが私のくだらないプライドが見え隠れするところ。

まぁ、ざっとこんな感じです。

こんなふうに自己紹介を書き連ねることも、半年前の私なら絶対にしませんでした。できませんでした。
だって、私の人生そのものがコンプレックスだったから。

コンプレックスの塊の私が変わった瞬間

残念ながら、今もコンプレックスの塊のままです。え、じゃぁ変わったって何んだよ?!ってなりますね。
変わったのは、私のスタンスなんです。心の持ちようとでも言いましょうか。
「それでもいい」「そんな私もいい」「そんな私がいい」と思えたのです。これには明確なきっかけがありました。

それは、家を買ったこと。
もちろん、35年ローンで。頭金200万円(この年齢で少なすぎけど、貯金してなかったから仕方ない)。もうね、不安と怖さしかないです。
だけど、そこでの毎日の暮らしはとても充実しています。そして、前よりも自分を好きになれました。

こうして私は、ついにここまでマイノリティを突き抜けたのです。

では、なぜスタンスが変わったのかって?
自分以外の人の声や意見に耳を傾けるのを辞めたからです。
自分の心の声に正面から向き合ったからです。

正直、こうなるまで、しんどかったこともありました。だって、ずっと周囲からどう見られているかを頭の片隅で考えて、それと葛藤してきた人生だったから。そういう「思考の癖」が抜けるまで、本当にしんどかった。
プロフィールからは自分勝手に気ままに生きてきたように見えるけど、私の脳内では、常時、もう一人の自分とのディベート合戦みたいなものが繰り広げられてきたんですよね。
「それやったら家族をがっかりさせない?」「いや、自分の人生だし…まぁ、でも、がっかりさせるね確実に」、「友達はみんな結婚して子育てしてるけど、結婚できないと恥ずかしくない?」「人は人じゃん、別にいいじゃん…でも早く親を安心させなきゃ」、「また変わり者って言われるんじゃない?」「変わり者上等!とはいかないか。それはちょっと嫌だな…」、「それは、できない奴、ダメな奴って思われるよ」「えー、そうかなぁ…でも、いつもカッコいい、できる人と思われたいな」などなど。
これが日常茶飯事。朝起きてから夜寝るまで、歯磨いてても、電車乗ってても、仕事してても、何しててもです。軽く病気です(笑)

でも、じわじわ気づいたんですよね。何かじわーっと。
「私しか私の人生を生きられないのに、私は一体何を気にしているのだ?」
「私が私を信じてやれないで、好きになれないで、誰が私を愛してくれるのだ?」
「もういいじゃん、自分以外の他人(家族も含めて)からの評価なんて」
こんなふうに段階を踏んで。

ここで少し振り返ってみます。
なぜこんな当たり前のことに40歳になるまで気づけなかったのか。
私たちの世代の日本人は、「集団行動」「みんな同じ」「普通が一番」「空気を詠む」「学歴第一」「大企業第一」…そんなふうに、大きなものや平均こそ正義みたいな教えを刷り込まれ、はみ出すのはタブーとされてきました。
そして、私たちも枠にはまることを良しとして、それに安堵して、喜ぶ家族を見て、幸せとはそういうものだと認識してきました。
もうね、負のループですよね。というか、自分軸の無さ満載です。
そんな鎖に縛られて、自ら縛られに行ってたものですから、そこから抜け出すことは、正直、怖かったし不安でした。
だって「自分の責任100%の世界」に飛び込むことになるし、「言い訳の効力を失う世界」なのですから。
だけど、よくよく考えれば、自分の人生の舵を他人に託していることの方がよっぽど怖いと気づいたんです。

さて、ではマンションを買ったことと、この負のループから抜け出したことがどうつながるのか。
それは次回にいたします。

最後に一曲ご紹介。
自分の人生を生き抜く人への応援歌です。


第一回目の記事、最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。
それでは、また次回。
徒然なるままに。

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