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引きこもりとメンヘラ


不登校になってからの日々。

小学校低学年のときズル休みした日は友達と遊びに出ちゃダメって言われてて。
不登校になってから外出することもなくなってました。

毎日の楽しみはテレビドラマ。
と当時好きだったマンガ雑誌。

学校行ってないからテレビ禁止にされることも多々あったし。

父親が帰ってくるとき、顔見せるな!って言われて夜の9時くらいには自室で寝たふりをしてた。

起きてたらまためちゃくちゃ怒られた。

父親が部屋を見にきて必至に寝たふりをして、父親がいなくなって夜の10時くらいにこっそり部屋のテレビをつけて真っ暗な部屋でドラマをみる。そんな生活。

昼間はずーと寝てたり。絵を描いたり。

あと、週に一度。毎週金曜日の夕方に担任が必ず家にきて一週間分のプリントを置いていく。
それには必ず玄関で顔を出すって約束になっていた。

学校に行かない自分は生きる価値ないって思ってたし、グータラしててもどうせそのうち終わりがくるって思ってた。

たまに父親に無理やり起こされて起こられることもあった。

その度に狂ったように暴れた気がする。

部屋の扉の前に本棚をおいてバリケードしたりとか。
壁紙破いたりとか。

そしたら、もうどうしようもなくなったのか、市の教育センターでアドバイスされたのか、平日の父親が休みの日に何も言われず車に乗せられて病院に連れてかれた。

その時はアポなしだったらしく、小児科に回され血液とか色んな検査だけさせられて、体には異常ありませんってなって、精神科の紹介状をもらって終わった。

ちなみにその時の私はもう完全に病んでたというか、外に出ることもなにもかも苦痛だったからずーと真下をむいたまま。
外にいる間、病院の人との意思疎通はおろか誰とも話すことはなかった。

もう、こういうことになってる時点で精神がおかしくなった人ってレッテルを張られてるようで、何もかもどうでもよかった。
だからそういう風に振る舞おうともおもってたのかもしれない。

とにかくその時の私は何もかも自暴自棄で明日世界が終わらないかなとかそういうことばっかり考えてた。


それで精神科に連れてかれた。
また父親同伴のもと無理やり車に乗せられて。
私の状態はさらにひどくなってた気がする。

まず、お風呂に入らない。
部屋からも出て来ない。あと、自分の髪の毛切ったりとかもしてた。

夜一人で自分の部屋ですごすのが怖かった気がする。

初めて精神科に連れてかれた時のこともあんまり覚えていない。
母親が問診票たくさんかいたり、部屋で男性の看護士みたいなひとに色んな事を質問されたり。

私はずっと下を向いてうなだれてるだけでなにもしゃべらなかった。

から母親がいろんな質問に答えてた。

何聞かれたもあんまり覚えていない。
唯一記憶に残ってるのは、初経はきましたか?って聞かれて父親がいるのに"はい"って自分のことを答えられたこと。

そのあとまた待合室でまって今度は白衣の女の先生がいる部屋にいって、また色々聞かれた。

途中両親がはずされて、先生と二人たなった。

この時は流石に首を縦に降ったり横にふったりして、意思表示をした気がする。

ここの記憶も曖昧で。


結局この後薬を出されて毎晩飲むことになった。
病院には月に1回くらい行くとこになってたけど外に出るのがいやだったから全力で拒否した。

母親では無理やり連れていくことはできなかった。


精神薬飲んでるなんて本当に私ヤバい人になっちゃったなとか。
そういう自分を受け入れたくない自分もいた。

でも、薬を飲むといままで怖かった夜はすごく楽になった。
それがないと眠れなくなるくらい。

朝は自分の体が金縛りにあったときみたいに重くて、自分が起きてるのか起きてないのかわからなくなるときも多々あった。

いつの間にか小学校6年生になり、担任も変わり。
でも、私の状況はなんら変んなかった。

病院には初診以来行っていない。

そしたら、そこの先生にもっと大きな病院を紹介された。

入院施設のある大きな病院。
家からは車で一時間半くらいかかる。

朝早く、また無理やり車に乗せられて。

その病院に行った。

で、なんか気がついたらそのまま入院することになってた。

泣きながら必至に首を横に降った。
けど、その時同席してた大人両親含め、たぶんここで入院させないと2度とここに来ないって思ったんだと思う。

なんならそのときの私も全くおんなじ事を考えてた。早くここを切り抜けたい。切り抜けて帰って夜のドラマをみるってそんなことばっかり考えてた。
そしたら2度とここには来ないって本当に思ってた。

結局私は両親同意のもと、医療保護入院という形で嫌々いいながら、周りを白い服の大人に囲まれてそのまま病室につれてかれました。

二重扉の個室。

一つ目の扉の中のスペースで女の看護士さん同席で服を脱いでボディーチェック。

それで病院のパジャマに着替えて、二つ目の鍵がかかる部屋。

むき出しのトイレと、カバーのかかってないマットレスと布団と枕。
全部がベージュー色のシンプルで無機質な部屋。

そこのマットレスに寝かされて。
まだお昼なのにゆっくり休んでねって部屋の扉の鍵がしまった。

ずーと泣いていた気がする。
落ち着かなくて、部屋の一番隅っこの角に背中をつけて、体育座りをしてずーと泣いてた。

途中何度も、ガチャガチャと二つ目の扉の鍵を開けて看護士が部屋を見に来る。
声をかけられてもうんとも、すんとも反応を見せなかった。

部屋には当然監視カメラもある。

部屋には窓もあったが二重になっていて鍵は開かない。
シャッターも締め切りだった。

自分のいる部屋のおそらく目の前くらいに隔離されてる人がすごくて、声は男の人だけど昼間と夜中もずーといろんな事を叫んでた。

かんごしさーんとか

わーとか、あーとか。

本当すごかった。


自分もこんなにつらくて、叫びたくなるくらい、しんどかったのに、そういう声を聞いて余計に頭がおかしくなりそうだった。

出されたご飯には一切手をつけなかった。

夜の薬はちゃんと飲んだ。

次の日の朝。
別の病棟の部屋を移動することになった。

朝から血圧、検温、採血もされた。

朝のご飯も手を着けなかった。

そのあとタンカーに乗せられて。
5人くらいの大人に囲まれて移動して。

鍵のかかる個室に入れられた。

でも、最初の部屋とは違い、2重扉でもなく、トイレはむき出しでもなく。

ベットとテーブルがあって、ベットと枕と布団にはにはちゃんと真っ白なシーツがかかっていた。

そこに座らせられて。

色々と説明をされた気がする。

両親がもってきた荷物が部屋にあって。
自分の洋服に着替えた。

先生と看護士の人はびっくりするくらい優しい人だった。
やりたくないことはしなくていいって言われた。

でも、その日はお風呂の日だったらしく、本当はシャワーがよかったのに意思表示をしないでいたら女の看護士さんに言われるがまま、いきなり他の患者さんとおんなじ病棟に備え付けのおふろに入った。

そのとき体重計に乗せられた。

お風呂か出て、まっすぐ自分の部屋に戻ろうとしたら自分よりたぶん5つくらい年上の凄く痩せたお姉さんに声をかけられて。
自己紹介された。

どうしていいかわからなくて、なにも言わずそのままへやに戻った。

ごはんは部屋からでてラウンジみたいなところに、とりに行かされた気がする。
でも部屋で食べた。

病院に入れられてから食べてなかったけど夜から少しずつ手を着けるようになった。

そんな入院2日目。

なれていくにつれて、しゃべるようになり、ごはんもたべるようになり、他の入院してる子とも話すようになり。

一週間くらいで、4人部屋に移動した。


それから、だいたい半年くらい入院してた。

退院するころには小学校生活も残り3か月くらいになっていた。





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