みんないろいろ。


私が入院した病棟は子供が多かった。
12歳の私が最年少で上は18歳くらいまでいたと思う。

もちろん閉鎖病棟なので、出入り口の扉は2重になっていて、どちらも鍵がかかってた。

持ち物、服装は規定が多かった。例えば。

ハサミや安全ピン、カッター先の尖った物は持ち込み禁止。基本病棟は私服で過ごしてよかったが、スカート、膝上のパンツ、レギンス。あとパーカーやジャージなどでひものついてるものは禁止。。ゲーム、携帯電話も持ち込めない。それ以外は病状に合わせて主治医が決める。

私の仲良くなった子で絵を描くことが凄く好きだったんだけどシャーペンはとがってるからダメだって、言われてでも鉛筆はいちいち削るのにナースステーション行かなきゃいけないからわざわざ太い芯のシャープ鉛筆使ってた子とかいた。

自由な時間の娯楽はテレビをみることができた。
あと卓球台があって、よくカコンカコンとリズミカルな音がフロアに響いていた。

その音を聞いているのはすきだった。

時々看護士さんも混ざってやってて、その時は白熱してた。

入院している患者同士は、それなりに交流があって、一緒に卓球をしたり、病棟の決められたプログラムにさんかしたりした。

他の患者さんと関わるときの絶対のルールがあって、ボディータッチの禁止。連絡先の交換禁止。

破ったら部屋に謹慎してなさいってなって。そうなってる子、何人もみた。

そのなかでも、時にはお互いに"なんでここにきたのか"について話すこともあって。

その時私が知っている精神病の名前はせいぜいうつ病くらいで、起立性調節障害とか、パニック障害、摂食障害、潔癖症、アスペルガー、ADHDとか、そういう言葉をその場で初めて知った。

なかには薬物やってたんだっていうお兄さんもとか、身体中刃物の傷だらけでレクでどんなに運動をした日でも断固長袖長ズボンのお姉さんもいた。

みんなすごく優しかった。

引きこもってた時は絵を書くことが好きで、病棟のお姉さんたちと集まってお絵かきするなんてこともよくあった。

(ちなみにこのとき深夜アニメとかBLとか色々なことを教えてもらい、中学生時代はオタクまっしぐらだった。)

話を聞いてると皆、私よりすごくしんどそう、大変なのかなって思うのに、病棟で仲良くなった子達はみんな3か月くらいで自分より早く退院していった。

色々な症状の名前を知ったけど、私の病名は入院するときも退院したあとも主治医からはっきりと伝えられることはなかった。

飲んでる薬とか、当時お父さんの声が聞こえたりしない?とかしきりに聞かれて、そういうのを鑑みて、統合失調症を疑われてたのかなって思う。

実際私は、入院生活とデパスとリスパダールで常人に戻れたわけで。

幻聴とかはなかったけど、凄く周りの目を気にしてたし、思い込みも激しかったから。

入院中ウィスクという、発達障害かどうかの検査もした。

心理検査とか計算とかIQ検査ぽいことをした。

結果、私は当時の同年代に比べて言語能力が少し高い、計算能力は低い。でも異常はみられないって結果だった。

とは言っても、自分が昔から人とは少し違う、みたいに感じることはあって。グレーなのかなって思う時はある。

人よりもつかれやすいし、人付き合いも苦手だしバイトで沢山凡ミスするし、色んな人から変わってるねって言われるのにそういった特性はないっていうのは、わりと救いようがないんじゃないかって自分で考えたりもする時がある。

家庭が普通じゃなかったのか、自分の性格なのか、能力なのか。発達障害って"障害"ってついてる。自分の特性で人生上手く行かなくて困ってる人が生きやすくなるためのラベルで。 

そういうの関係なく、みんながみんな自分の個性と向き合って個性に合わせて暮らせる社会だといいよね。


という、入院していた時の話でした。

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