親孝行〜金ならいくらでも払うからライブを見に行け〜
おかんの親友が病気で死んだ。だから最近はちょくちょく地元に帰るようにしている。俺もおかんも中身はそっくり。だから、おかんが心を許し合える友達が、片手で数えられるほどしかいない事は、分身である俺が一番よく知っている。
俺もおかんも本当によく似ていて、とにかく自分の思想しか信じられず、肉眼で見た事しか認められず。頑固で意固地で、厄介な事にひねくれ者である。ただそんな厄介者の存在を許し、そして笑ってくれたのがおかんの親友だった。かつてそんな人がいてくれた事を示すために、あえて本名を書くが、中西由香はそういう人だった。
今日はたまたまおかんに用事があったから、仕事終わり電車に乗って地元へ帰った。待ち合わせ場所は、夫婦でこじんまりやっている、それでも週の中日から人で賑わう居酒屋。先についた俺に女将さんは「久しぶり〜」と微笑みながらおしぼりを渡した。おかんはそれから10分ほど後に来た。
久々というほどでもない再会。話すことは、俺も仕事はなんとか上手いことやってるよとか、あんたは帰ってこなかったけど淀川花火大会がすごく綺麗やったんよ、あたし朝6時から場所取りしたんやから、とかそんな話。
ふと俺は思い出して切り出した。「そういえばこないだ話したハルカミライのライブ、ほんまに行かんでええの?」
ハルカミライっていうのはとあるロックバンド。俺が学生の頃、おかんに聞かせたら思いの外ハマって、来る日も来る日もハルカミライの曲を聞いて、歌いながら小躍りしていた。そのバンドがツアーで今度大阪に来るから、チケットを応募してやろうか?と。俺がチケット代は出してやるから、たまには気分晴らすためにライブでも見に行って来ればええんちゃうかと。そういう提案をLINEで持ちかけていた。おかんは二つ返事で「行きたい!」と、言うと思っていたのだが。
「うーん。もういいのよ。」
意外な返事だった。
「最近は色んなことで頭いっぱいやし。ハルカミライの最近の曲は知らんし。立ってライブ見るのもしんどいし。次の日仕事やからしんどいし。」
出るわ出るわの小言。
「でもさ、たまにはライブ行くのも気分晴れると思うで?行ったら絶対楽しいと思うし。」
「いや、あたしはな。忙しいねん。パートもあるし。」
「俺の方が忙しいわ正社員やぞ。」
意固地同士の親子。親友が死んでしまったおかんに、何かしてやれれば。ただそれだけの事だったのだが、俺は俺で親孝行の押し付けだったのかもしれない。おかんはおかんで素直にそれを受け取れない。
見苦しい親子だ。本題なんか忘れて、もはや口論になり初めていた。微笑みかけておしぼりを渡してくれた女将さんも苦笑いしている。
「俺の初めての親孝行やと思ってさ。行っといでや。」
「あたし思うねんけどな、本人が求めてないプレゼントをもらうのが一番困るんやわ。そんなんやったらな、飲み屋で奢ってくれる方がよっぽど嬉しいわ。」
「へー!お酒奢ってほしいねんな!じゃあさあ!俺がここ奢ったるからさあ!金ならいくらでも払うから、その代わりハルカミライのライブ応募したるから行ってこいよ!」
「へー!奢ってくれんの!?じゃあいいよ!奢ってくれんねやったらライブ行ってやってもいいよ!」
そんなこんなで俺は人生で初めて、自分で稼いだお金でおかんに酒を飲ませた。お酒奢ってやるからライブに行ってくれ、もはや利害関係が全く分からない。初めて奢る酒はこんなダサい形にするつもりではなかったが、俺もやはり素直ではなかった。おかんは続ける。
「へ〜じゃあライブも楽しみになってきたわ。何日やったっけ?最近出たアルバム教えて。へ〜。やっぱりライブ行くってのも良いよねえ〜。」
息子に初めて酒を奢ってもらえるからか、意固地な言い合いに勝利した気になったからか、一転して水を得た魚のように急に喜びだすおかんに内心イライラしたが、これ以上口論にならないようにグッとこらえた。もう行ってくれるならそれでいいと思った。自分が負けになったって、おかんが得る何かがそのライブあると信じた。
その後も数杯お酒を飲んで、店を出た。俺とおかんは歩いて実家に戻り、もう一杯飲み直すことにした。
さっきした口論なんてなかったかのように、おかんは機嫌が良い。軽々とステップを踏みながら、俺にハイボールを作ってくれた。俺にはまだまだ分からないが、息子に酒を奢ってもらったというのは、それくらい嬉しいもんらしい。俺はテーブルの上に置いてある小さめな卓上テレビをつけて、YouTubeを起動した。それに気づいたおかんが弾んだ声で言った。
「しばらくハルカミライも聞いてなかったから、あたしが知らない曲かけて!」
最近のハルカミライの曲、確かに俺も知らない。俺とおかんはハイボールを片手に、卓上テレビを見つめた。数々並んだサムネイル。昔から好きだった曲もあれば、数ヶ月前に出たような知らない曲もある。おかんが、2020年の夏に出ていたらしい、知らなかった曲を一つ見つけた。
「このピンクムーンって曲かけて!」
ミュージックビデオは、明朝か、日暮れか分からない、薄暗い遠くの街から始まった。ギターがジャーンと鳴り、おかんは良いやん、と呟いた。
卓上の小さいテレビ、大して音質も良くなくて、大雑把なメロディだけが聴こえる。お酒がまわっているのか、細かい音も声もあまり聴き取れない。それでも、これだけが伝えられればいいんだと叫ぶよう、サビの歌詞だけがよく聴こえた。
君より早く死なないから
僕より早く死なないでね
短髪で赤髪のロックバンドのその男は、曲の最後まで何度もそう叫んだ。自分の気持ちを叫んだのか、誰のかの気持ちを代わりに叫んだのか。力強くて、優しい歌だった。
最後のサビが終わって、ギターの和音が遠くなっていく中、涙をTシャツで拭きながらおかんが絞り出すような声で呟いた。
「由香ちゃんより早く死にたかった」
暗く聞こえる言葉かもしれないが、死にたいという意味ではない。頑固で意固地でひねくれたおかんなりの、精一杯の「僕より早く死なないでね」だった。色んな感情を取り払って、心から絞り出した言葉だった。
俺は今住んでいる家へと帰る。おかんと最寄の駅まで歩いた。おかんはスッキリした顔で「ハルカミライのライブ、当たると良いな。」と言った。
最寄駅のある商店街を通るとき、おかんがニヤニヤしながら指差して言った。
「あれさ、見てや!由香ちゃんの名前!」
指差す先には、先週あった『淀川花火大会』の協賛者の名前が連なっている。その中に「中西由香」の名前があった。淀川花火大会は、誰でも協賛金を出せば、そこに名前を連ねてもらうことが出来る。生前、そこに名前を載せてほしいと言っていた由香ちゃんの願い通り、そこには確かに生きた証があった。
俺はおかんのためにハルカミライのライブチケットを応募した。それが当選して、おかんがライブに行けたなら、あのロックバンドの短髪赤髪の男は、ピンクムーンを歌うだろう。他の誰でもない、おかんと由香ちゃんのためだけにそれを歌うだろう。それは気のせいではない。それがロックバンドってやつだからだ。
サポートして頂いた暁には、あなたの事を思いながら眠りにつきます。