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トークショー

 (帰りの湘南新宿ラインで書いた)

本はいろいろ読んできたけど、著者に会うのは初めてだった。
仕事から離れた時に接しているものたち、KPOPや本の世界は自分自身とは離れたところにあって、自分が生きている、やることなすこと山積みの世界とは別だと線を引いていた。実はすぐ隣にあるのに認めていない感じだった。

岸政彦さんとカツセマサヒコさんが声を発しながら登壇した時、現実を現実と認識できなかった。どこか離れた世界にいるはずの人たちが目の前にいることに追いつかなかった。オタクがライブに行った時の気分と重なる。

そして、カツセさんの声めちゃくちゃ良い。びっくりした。それで数秒持ってかれた。
Artist Spokenを聞いてたけど、生身の人間から発せられているぞ、と自分の体が視認したことの相乗効果で、そのリアリティが格段に上がる。

日記を書くことについて、「残したい」と岸さんは話していたけど、そこで終わりなのだろうか。振り返った時に、詳細に事実が書かれていることに満足感を覚えるのだろうか。その先に何かあるのか、言葉に続きがあるのか気になる。

自分はなんで日記を書いているのか考えてみた。「残したい」の先に「その時の感情に対して、共感・反感を覚えたい。あわよくば友達にシェアして共感してもらいたい」という気持ちがあるのだと思う。事実より感情に興味がある。自分の日記を読み返してそう思った。

「いやらしさが出てしまう」というカツセさんのスレッドのくだりが刺さる。
メモは自分しか見ないから何も気にせずに書くのに、noteやインスタに載せる時は自分で校正みたいなことをする。そうやって削ってく間に、新鮮さや自分の言葉が失われてる気がする。

でも、そもそも、自分がnoteに載せ始めたのって、「自分が感じたことを文章にして、人に対して開示した時に、自分と同じ感情になってくれる人がいるか、伝わっているか」を確かめたかったのだ。

そう考えると、メモ書きだけでは「感受性」
の鍛錬にしかならないのかな。「書きあげる力」を本当に鍛えたいならもっと書いて+見せなきゃだ。ずっしりのしかかる。

トークショーが終わった後、サイン会があったけど、オタク精神が発揮されてしまって、近づくことができなかった。
近づいてしまったら最後、別の世界、と区切っていた境を越えることになる。越えるとしんどい。

多分、しんどいのは、自分の好きなことに対して距離を置いて、住む世界が違うということにして、本気でのめり込むことを逃げてる気分になるからだ。楽しむ側、楽しませる側に関わらず。

ここ最近本気でのめり込んだことってなんだろう。
しんどい。そしてしんどがってる自分を斜め後ろから冷めた目で見るもう1人の自分。