🐸🗻

恋愛の話として、単純に自分を褒めたり魅力あると言ってくれる人が人生幸せになるセンスなくて嫌になる感じがしてただの自己中ないわゆる蛙化が起きてるのかも。そうだとしてもやはり自信を持って自分で認めた良いところを理解して好きになってもらえてないと、中身の伴った良い恋愛ができない気がする。偶然好きになったなられた!ラッキーで気分が済まなくなっている。同じパターンで自分から好きになった人を10人くらい嫌いになってしまったかも、恋愛としては相手に魅力を感じなくなってしまうことは仕方がないが人間付き合いとして共有した前提を一方的に破棄するようなことが許されるべきではない。もちろん優しいからほとんどの人たちは押し黙って厳しい人生の中におかれながら私の身勝手さを消極的に許してくれた。中には発狂して俺の人生がつまんなくなったのは鬱病になったのはお前が悪いと言ってくる人々もいた(そういう人たちに対しては、「お前の人生元々つまんねーだろ」と言いたくなってしまう)。別れた後に自分と関係ないところで活躍している姿を見るととてもその人間が再び魅力的に見えて、自分に絶望する。
まあ現在、そういう人たちの粘り強い犠牲のおかげで15歳から23歳までの鬱病が治って、登山中のプチ見晴らしの良いところに立っている。今まで見えていなかったものが見えて、過去の現象も理解でき、感覚が研がれてきた。この後また登山を再開したら以前よりも強い苦しみが始まるかもしれない。高山病で意識が朦朧としておかしくなるかも。そういう時には第一段階ではいなかった、協力しあって苦しみを紛らわす登山仲間がいると良いな。
露悪と社会的正しさの間を揺れ動く感じも私やその上の世代のあるあるかな

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