<まっしー運命学研究所>神的な自分を探す2:断捨離②
ども、所長のまっし〜でございます。
人は一体何を不安とし、迷うのでしょうか。
継続的に起こっている恐怖や突発的に起こる迷いでしょうか。
こういったことから逃れる為にする行動が、人と人を離れさせる。
そこで不安や迷い、様々な社会問題をオールマイティに片付けるのは悟りであると、私は思っております。
では、行きます。
幸福感というものは、物や結果によって満たそうとするのであれば、追い続けなくてはならないことになります。
物や結果は限りのあるものがほとんどだからです。
また、人は物に対して飽きるように設計されていると感じます。
次から次へと流行りが切り替わり、人を物として捉える風潮は、芸能人や経済を見ればよくわかることかと思います。
限り有るものを追うということには、依存と競争を産む性質があるのです。
所長はそれを深く理解し、競争観念は消えていっております。
勝つことに人生を見出した方には、難しいでしょう。
とはいえ競走は成長を促す役割もありますし、所長が重要視していることは、無限性のものに重きを置くことによって、有限性のものをより貴重に感じることが出来るということです。
限られているからこそ感じられる美であったり、そこから産まれる芸術やスポーツが在る。
花は枯れるから価値を感じられるということであったり、その場所でしか体験出来ない極上の景色であったりと、有限無限の各性質を理解する。
0か1でなく、バランスよく安定することは、とても大切かと思います。
イメージ的には心が落ち着く家の様な場所が常に在って、外の空気を吸いにお出掛けする。
そんな穏やかな心の在りようは、現代に必要なのだと感じております。
人は物を所有することにおいて、自分の心の器がいっぱいになってしまうと、生きることが重たくなります。
そこへ来て外側から来るエネルギーにリンクし更に本当の自分を見失う。
心に空きを創ることで物事の考え方を自由にし、自他の境を無くす考え方は平和の為現代人に必要なのではないかと思うのであります。
生活がお隣さんの家からしっかりと見えないようにする心境や、プライバシーに拘るのは、自他の境が少々行き過ぎているのではないでしょうか。
それでは次回、断捨離③を語らせて頂きます。
因みに、社会の流れに心をバキバキに折られて、それを正当化する為にルールに従い、そこに正義をかざす他人軸の生き方。
確実に社会は正される方向に向かっていますので、正義をかざすことすらできなくなるでしょう。
無敵なメンタルは本当の自分に目を向けることで得ることが出来ると思いますし、
今後必ず役に立つと思います。
ありがとうございます。
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