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<まっしー運命学研究所>神的な自分を探す6:無

ども、所長のまっし〜でございます。

もし生きる中で楽しいことばかり、辛いことは何もない。
そんな状況が起こったのだとすれば、人は飽きると思います。
片寄ることなく、コントロール出来る生き方って在ると思っています。

では、行きます。

始まりと終わりの点が同じの時があるように、"全てと無は表裏一体"。
"無"には全てが詰まっていると思っております。

全てが在るという状態は比較が無い。
何も無いという状態も比較が無い。
比較が無いものというのは、
そこに全てが在るとも無いとも言える。

人は他の存在があるから自分を認識できます。

他の存在は自分がどういう状態なのかを教えてくれるありがたい存在です。

善も悪もその人の価値観によって捉え方は変わります。

一度価値観をリセットし、一からやり直すことが出来たのであれば、人の悩みや迷いは積み上がることなく浄化することは出来ます。

同時に大事なものも失ってしまうと思ってしまうかも知れませんが、
それは悩みや迷いを産んでいる価値観をリセットするのと同じくらいに、大事な心はリセットが難しいものかと思います。

どれだけ無の心境を目指そうとも、残るものは残る。

その残ったものが真の自分の心。

そう考えております。

これは生きる為の知恵に繋がるということで結構なのではないでしょうか。

現代では証拠ありきの結果論が中心ですし、この先もそこ迄変わることは、もしかしたらそうそう無いのかもしれません。

ですが、数字は絶対と言いつつも
1一1=0でも、元々マイナスする前に1が在ったという事実を表現することをしていません。
他にも穴が在ります。
絶対では無いということです。

PCに保存したデータは、削除して理論上消えているにしても、そこにデータが在ったという現実が消えたわけでは無い。

今そこに無い物は無いのと同じという価値観が育って来たから、その作業が出来もしないのに資格さえ有ればそちらが優遇される。

また、過去の栄光に縛られたり、人を負かす為に嘘をついても証拠が無ければ良いとかのような話になるわけです。

物質的に無いということの奥には、在った事実や感じた想い等が在るということです。

心にはそういったものが、残す力もあれば圧縮する力もあるから、人は混乱せずいられるのだと思います。

整理は大事ですね。

それでは次回は物について語らせて頂きます。

因みに、某漫画でのセリフ、命懸けで守られた主人公が、守ってくれた仲間に「なぜそこまでしたんだ。お前にもしもの事があったら・・・。」
これに対し守ってくれた仲間は
「俺がお前を守ることにいちいち理由が必要なのか?」
主人公は絶句。
カッコいいですね。
全てに"理由"は必須では無いと思います。

ありがとうございます。

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