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<まっしー運命学研究所>内なる自分と出会う3:基礎③

ども、所長のまっし〜でございます。

辛い、不安、やる気が出ないなど、殆どが思い込みを切り離す為に起こるサインと思います。
三次元思考だと辛いものは辛い。楽しいものは楽しい。
物事への違う見方をする為のサインでもあるかと思います。

では行きます。

あらゆる物事には基礎があります。
それが建物の基礎に色々なタイプがあるように形上、多少の単純か複雑かの違いはあるにしても、支えるものという性質は至ってシンプルです。

自分にしっくり来る基礎が出来上がればどういった思考であれ、人生は豊かになると思います。

自分を支えるものは何なのか。
変化には痛みを伴うこともあるかも知れません。
それでもいつでも書き換え可能。
間違えたとしても直せば良い。

生きることにステータスデータの提出期限などありませんから。
評価してるのは自分です。

優位に立とうとする思いは自他の分離を進めます。
自他の分離が進めば進む程、本当の自分を見る視点を失っていきます。
これも一つ法則と思って下さりましたら幸いです。

個人の時代とかプライバシーを大事にとか言いますが、これは内なる自分を発見することの逆の発想、逆の教えということが言えます。

意識界における人と人との間の壁は比較の対象を失い、自分が分からなくなる。

そういった表現が適当かと思います。

内なる自分を探す姿勢は安定の基軸。

生きる意味は人それぞれですし、何を基礎にするかは自由です。
それに、散々建物を基礎の例にして来ましたが、人は建物ではありません。

あらゆるものにベースとなる仕組みがありますので、人それぞれにしっくり来るものが最善かと思います。

車、芸術、スポーツ、武道、健康等々あらゆる物事、どこから汲み取るかは選びたい放題です。

所長は恒久的な平和、この世の楽園という世界観に憧れていますので、平和をもたらす現象を研究しているわけです。

よく思うのが、どの状況どの状態であっても、人は途中なのだと思います。

途中にも関わらず、とある点にいる人が違う点にいる人を馬鹿にしても、所長的には無意味なことだと思います。

もし無限に広がる空間に自分がいたとすれば、違う点にいる人にありがたみを感じる筈です。

人が人を癒すのは、誰かの癒しが始まり。
人が人を憎むのは、誰かの憎しみから。
人が人を育むのは、誰かに育てられたから。

そういった繋がりに着目することは自分を見つめることになるかと思います。

それでは次回は繋がりについて語らせて頂きます。

因みに人は一人では生きていけません。
これだけ科学が発展したのであれば、皆が恒久的な安息の生活を送ることは、簡単だと思うのです。
他を思う心を折ってしまうのは、皮肉にも自分を大事にする心。
自分という定義を見直すべき時でもあると思います。

ありがとうございます。

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