「大切にしてもらえた」と思えること
「え、お昼にそんなもの食べてるの?仕事辞めるのやめようかな」
……私が高校時代からの友人に言われた言葉です。
「そんなもの」って。納豆ご飯ですけど。美味しいですけど。
働く友人と家にいる私
東京に転勤してきて、同じ沿線上に高校時代の一番親しい友人が住んでいることが判明。ちょこちょこ行き来するようになりました。
友人は30代になってから子どもを2人出産しているので、来年春に上の子が1年生になるそう。今は2人目の子の育休が明けて、時短で職場復帰しているものの、やはり毎日があわただしいので、上の子の入学を機に仕事を辞めようかと考えている、という話でした。
私は数年ごとに転勤があるので、その時点であわただしい上に、夫は家事を全然しない人なので、子どもが小学生になってからも、午前中だけのパートとか、自宅でできる仕事とか、お小遣いにしかならないような働き方をしていたのです。
それでも、今後いざフルタイムで働きたい時に、子育てしている間まったく働いていないよりはいいのかな?と思っているのだけど(どうなんだろう)。
そんな生活では、日々どれだけお金を使わないか、ということがゲームのようになってきます(普通のサラリーマン家庭なので)。
前の日の残ったご飯に納豆、インスタント味噌汁のお昼ごはんとか、前日に余ったスパゲティをそのままチンしてタッパーのまま食べたりとか。その他の時間は出かけるとお金を使ってしまうので、パソコンで仕事をしたり、刺繍や編み物をして過ごします。
子どもは2人とも小学生になったので、園のママと会うこともなく、っていうか転勤してきたからそもそも会うような知り合いもいなく、2週に1回くらい、買い物などの用事にかこつけて一人ランチをするのがもっぱらの楽しみといった生活です。
友人「そんな生活イヤすぎる」
全否定か。まぁ、20年の付き合いだからね。本音だね。
共働き主婦と準専業主婦のお金の使い方の違い
彼女を見ていると、確かに羽振りが違う。←バブルか
遊びに来てくれる時に持ってくるものが違う。
どっかで話題の、なんか可愛い高そうなスイーツとか。(全然興味ない)
私は時間だけは人よりあるから、家に来てくれたならキッシュ焼いてお昼にしてみたり、向こうの家に出向くなら焼き菓子焼いてティータイムの足しにしたり。
そもそも、話題のショコラティエとか知らんし、お小遣い的にそんなゆとりもないから基本的に手土産は手作り。これは各赴任地のセレブ達と渡り歩いた私の知恵。
そんなことも相まって、シフォンケーキやパウンドケーキ、マフィン、ゼリー、ムース、手作りお菓子の定番ならばなんでもござれの腕前となりました。かわいいラッピングをして持参するとホストはなかなか喜んでくれます。
焼き菓子は個包装して子どもが直接お友達に配ったりしてもGOOD。お菓子作りが得意なママというキャラで長年やってきました。
…本当は料理なんて嫌いですけどね。背に腹は代えられぬ。(小声)
友人は美容にかけるお金も違う。
化粧品にしても、美容室、ネイル、服にしても、やっぱりお金があるとワンランク違うな、と思いました。
30歳くらいまではかけるお金に違いがあっても、見た目の差はそんなになかったように感じていたけど、やはりアラフォーに片足突っ込むと髪とか指先に年齢が出る、というか、どれだけ気にかけているかが表面化する。
私なんて、そもそも人に会わないから、お手入れも雑になるし、お金もかけなくなってくる。毎日出勤する、ということはそれだけで価値があるんだなと痛感しました。
いや、ほんと。
参観日に子どもが恥ずかしい思いをしない程度にきれいにしておかねば。
それでも私が手放したくないもの
私が微妙な劣等感を抱きつつも、自宅を出て働かない理由はひとつ。
子どもに安心して毎日を過ごしてほしいから。
朝、熱があったら傍にいて、小児科に付き添ってあげたいから。
学校に行きたくない日があっても「行きたくなるまで家にいなよ」って言ってあげたいから。
学校で具合が悪くなったら、すぐに迎えに行ってあげたいから。
放課後、習い事に連れて行ってあげたいから。
急に地震が起きても家に帰ればお母さんがいると思ってほしいから。
特に体調が悪い時は心細いですよね。
私が小学生の時は、学校で熱があったとき、高学年なら家に親がいなくても早退させてくれたんです。でも熱があるのに誰もいない家で一人で寝ているのはすごく心細くて、泣いた覚えがあります。
学童で勤めていた時も、インフルエンザが流行ったとき、熱があるのに学校に行かせられて、具合が悪くても先生に言ったらダメよ(早退させられるから)と言われている子どもがいると聞いたことがありました。
何のための仕事なのか。
私自身も、我が子には勉強ができるようになってほしい、運動ができるようになってほしい、習い事でも……と思うことはあるけれど、まずは「子どもの時に大切にしてもらった」と思ってほしい。
それは、欲しいものを買ってもらえた、とか、海外旅行に連れて行ってもらえたということではなく、寂しい時に一緒に寝てもらえた、とか、手をつないでおしゃべりしてもらったとか、そういう些細なことなんだと思います。
そして、大切にしてもらった子は、他の人も大切にできる、と思う。
やってもらって嬉しかったこと、安心したことを覚えていて、自分の大切な人を大切にしてあげられると思っているんです。
それが、仕事をしてあわただしい生活の中でバタバタしておろそかになってしまうのが怖いのです。子どもの些細な変化に気づかなくなってしまったり、「ちょっとテレビ見てて」「新しいゲーム買ってあげるから」とか、自分の時間欲しさについついやってしまいそうで怖いのです。
でも変化が。
休校明けの生活がなじんできた先週、下校した子どもたちと一緒におやつを食べていたら、「おかあさんは、もう先生やらないの?」と聞いてきました。児童館勤務時代は「先生」と呼ばれていたし、転勤が無ければ近所の幼稚園の先生になる予定だったので。
まぁ、やりたいけど…いいの?プール(習い事)一人で行ってもらったり、晩ご飯が今よりもっと適当になったりすると思うんだけど…?というと、「一人で行けるよ」「大丈夫だよ」「たまには夕飯カップ麺だっていいし」「それはおかあさんが嫌だ~」などと話が盛り上がり、「じゃあ、いい募集があったら考えてみるね」と話がまとまりました。
子どもたちも「おかあさんだってやりたいことやればいいじゃん!」と言ってくれているようで、とても嬉しい出来事でした。私も大切にされているのかな。「先生」のお仕事、気長に探してみようと思います。
記事を読んでいただき、ありがとうございます。