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詩歌ビオトープ013: 吉田正俊

はい、というわけで、詩歌ビオトープ13人目です。今回は吉田正俊を取り上げます。

そもそも詩歌ビオトープとは?
詩歌ビオトープは、詩の世界を一つの生態系ととらえ、詩人や歌人、俳人を傾向別に分類して、誰と誰が近い、この人が好きならこの人も好きかもしれないね、みたいなのを見て楽しもう、という企画です。ちなみに、傾向の分類は僕の主観です。あしからず。

この人は1902年に福井県で生まれました。東京帝国大学法学部を卒業後、現在のいすゞ自動車に入社、出世して専務取締役にまでなったそうです。

大学卒業後の1925年、土屋文明に師事して「アララギ」に入会、後に選者、発行人にもなりました。

歌集は40歳のときに「天沼」を刊行。この歌集は同時代の歌人たちに大きな影響を与えたのだそうです。

亡くなったのは1993年。師匠の土屋文明に似て長生きですね。生前最後の歌集は85歳のときに刊行した「朝の霧」でした。

さて、今回も元ネタ本は小学館の昭和文学全集35です。

本書には「天沼」から38首、「黄茋集」から29首、「朝の霧」から45首の合計112首が収められていました。で、僕の分類では生活詠が67首、自然詠が28首、社会詠が15首、鎮魂歌が2首でした。なので、位置はここにしました。

Wikipediaによると、この人は高度成長期に写実主義を貫いた、ということだそうです。その時期の歌が本書には収められていなかったのですが、40歳のときの「天沼」、51歳のときの「黄茋集」には、写実的というか、自然を描写したような歌はほとんどありませんでした。

基本的には自分の気持ちを上手に歌にする人、という感じで、斎藤茂吉とかに近い感じがしました。あっさりした茂吉というか。ビジネスマンだったということで、川田順にも雰囲気は似ているかもしれない。

ただ、「朝の霧」は自然描写の歌が多かったです。どこかでそんな風に変わったのかもしれませんね。それは、いい意味で歳をとったということなのかもしれません。結城哀草果や五味保義も、何もなければ晩年の歌集はそんな風になっていたのではないでしょうか。

個人的には、まあ僕の好みですが、自然詠にいい歌が多いと思いました。たとえば、「天沼」からの

胸の上に月の光のいつまでもさし吾れに涙の出づるにやあらむ

や、「黄茋集」からの

紅の大き花びら散りもあへず黄なる花粉の先づこぼれたり

なんかがそうですが、本書には両歌集からはこのような歌はほとんど取られていませんでした。選者の好みなのか、この頃はこういう歌はあまり詠まなかったのか、どっちなのかはよく分かりません。

その一方で、やはりこの人の真骨頂は自身の気持ちを込めた歌なのでしょうね。晩年の歌集「朝の霧」では、この歌が印象に残りました。

何をして暮してゐるかと人の問ふ唐突にして暫しとまどふ

なんか、分かる、この感じ。別に悪いことをしているわけではないのだけれど、急にそんなこと聞かれるとどきっとしてしどろもどろになる、みたいな。で、後から「あれで変に疑われてたりしてないだろうか」なんて、ちょっと思ったりするんですよね。

心情を吐露した歌が多いのだけれど、その心情が深刻ではないんですよね。僕は、そこが好きです。別に誰が見ても辛いことや悲しいことを詠っているわけじゃないのに、ちゃんと心に響く歌になってるというのは、大したものだなあ、と思います。

ということで、14人目に続く。


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