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詩歌ビオトープ012: 五味保義

はい。というわけで詩歌ビオトープ12人目は五味保義です。

そもそも詩歌ビオトープとは?
詩歌ビオトープは、詩の世界を一つの生態系ととらえ、詩人や歌人、俳人を傾向別に分類して、誰と誰が近い、この人が好きならこの人も好きかもしれないね、みたいなのを見て楽しもう、という企画です。ちなみに、傾向の分類は僕の主観です。あしからず。

この人は1901年に長野県で生まれました。その後、京都帝大を卒業、島木赤彦に師事して「アララギ」の同人となります。赤彦の死後は斎藤茂吉や土屋文明に師事し、「アララギ」の中興と戦後の発行に尽力しました。特に戦後はこの人の自宅が「アララギ」の発行所となっていたそうです。

歌人として活動する傍ら、教師や万葉集の研究者としても活躍していたとのことです。1982年に亡くなりました。

今回もネタ本は小学館の「昭和文学全集35」になります。

本書には、「清峡」から21首、「小さき岬」から50首、「病閒」から40首が収められていました。ちなみに、「清峡」は40歳のときの歌集、「小さき岬」は65歳、「病閒」は70歳のときの歌集です。この人も、長生きした人ですね。

で、Wikipediaでは初期は赤彦の影響で自然詠が多かったものの、赤彦の死後は斎藤茂吉や土屋文明の指導で生活詠が増えていったそうです。

ただ、僕の分類では、「清峡」が生活詠と自然詠が半々くらい、「小さき岬」はほとんどが自然詠、闘病生活を詠んだ「病閒」はほとんどが生活詠で、合計すると111首のうち生活詠が61首、自然詠が49首、社会詠が1首でした。なので、位置はここにしました。

島木赤彦が亡くなったのがこの人が25歳のときなので、Wikipediaの説明の通りだともっと生活詠があってもいい感じですが、どうなんでしょうかね。闘病詠をまとめた「病閒」のほとんどが生活詠になるのはまあ当たり前だと考えると、僕的にはやっぱりこの人は本来自然詠の人なのだろうなあと思います。

個人的な好みとしても、「病閒」よりも「小さき岬」に好きな歌が多かったです。

特に印象に残ったのは

消えなむとする湖(うみ)の光にほそほそと見ゆる砂岸の恋しきものを

富士全山の雪の光はしづみゆきこのみづうみの長き薄明

富士山の見える湖ということは、山中湖なんですかね。僕は行ったことないけれど、こんな景色を一度見てみたいなあ。

あと、この歌が好きです。

萱ひかる丘をこえつつ吾は見きパラソルの下に汗あゆる妻を

この人は結構奥さんのことを詠った歌が多いなと思ったんですが、なんかこの歌は、自分の奥さんに惚れ直したというか、自分の奥さんに今更一目惚れをしてしまった瞬間を詠っているような、なんかそんな気がしました。人って割と「え、そこで?」みたいなところでドキッとすること、あると思うんですよね。

なんて、全然違うかもしれないけれど。

ということで、13人目に続く。

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